ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

ジェネリック医薬品で医療費の抑制が可能だとしたら

2010年09月08日 | Weblog
報道ステーションで医療費が35兆円を越え、それを抑制するための手段として「ジェネリック医薬品」の使用を進める広島・呉市の取り組みを紹介していた。

呉市では年間の医療費が1人当たり60万円弱と全国平均の約1.5倍。医療費負担のために財政破綻の可能性が高まり、全国に先立ちジェネリックの普及を進めることになった。その結果、「初年度は4500万円、2年目の平成21年度は8800万円の医療費削減効果」があったという。

市民にとっては医療費は1割負担。呉市では市民への医療費の明細を送付する際に、ジェネリック医薬品に切り替えるとどれくらい安くなるかを伝えたという。市民1人ひとりでは先発薬の1~2割の削減、せいぜい月1~2千円削減だったとしても、実際には1人当たり1万~2万の削減となる。この効果は大きい。

先日、波頭亮氏の「成熟日本への進路」を読んだのだけど、その中で国家の成熟化社会の中では国民の「医・食・住」を保障しなければならないとして、残りの1割も国家が負担すべきだという議論があった。それは確かに理念としては分かるのだけど、こうしたニュースを目にすると、やはりどこかで「受益者負担」という考え方が必要な気もする。全額が国庫からの負担となれば、おそらく国民1人ひとりの意識としては、効果が同じであるのに「ジェネリック医薬品」を使う必要性は感じないだろう。

 【書評】成熟日本への進路――「成長論」から「分配論」へ / 波頭亮 - ビールを飲みながら考えてみた…

それどころかとりあえずもらえる薬はもらっておく、そして医療機関側も出せるものは出しておくという風になりかねない。 理念の「すばらしさ」が現実の「いやらしさ」に取って代わられるのだ。

もちろん、だから全額国庫負担は失敗する、という気はない。例えば「処方箋」を出しそれを受けて薬を販売する過程で「ジェネリック薬品」を推奨できる仕組みを導入できれば、医療費の削減は進むだろうし、医療機関に対しても必要以上の薬の処方を削減できるような仕組みが導入できれば、国民の医療負担が0円であっても医療費の削減は進むだろう。

そうした「仕掛け」が用意できないのであれば、やはり「受益者負担」の原則の下、国民1人1人の意識に訴えかけるのが有効なのだろう。


【医薬最前線】第3部 ジェネリック始動(1)医療費削減の“特効薬” 根強い医療関係者の抵抗 (1/5ページ) - MSN産経ニュース

【書評】成熟日本への進路――「成長論」から「分配論」へ / 波頭亮 - ビールを飲みながら考えてみた…




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