岩田規久男さんの「金融入門」を読んだ時だっただろうか、銀行内に開設された口座を担保にその何倍ものお金を貸し出す「信用創造」という仕組みにどうしようもな違和感と、直感的にバブルの発生の根本原因がここにあるのだなぁと感じたことを覚えている。と、世界史の授業で習ったニクソンによる「金・ドル交換停止」がもたらしたものについて、その意味の大きさを漠然と感じたりしたものだった。
定義の違いはあるだろうが、「貨幣」の機能を分類するとすれば、4つに大別される。。
1)交換機能
2)価値の尺度
3)価値の保存
4)投機的手段
このうち1~3は本来的に貨幣が持っている機能だ。「交換」機能がなければ、僕らは物物交換を続けなれればならないし、商品と貨幣を交換するためには、例えば「卵=150円」と「iPod=5万円」というように客観的な「尺度」が必要となる。
また卵を卵のまま保存するには期限があるが、貨幣であれば長期「保存」も容易になる。1)と2)は不可分の存在であり、3)はそこから派生した機能といえる。
しかし4)は果たしてどうだろう。本来、交換のための媒体であるはずの貨幣が、貨幣同士の交換を通じてその量を拡大していく。
円の流通高は2009年3月末現在において現金ベースで81兆4,215億円。これが日本銀行の発行する紙幣と硬貨の総量といっていいだろう。しかし実際に日本の金融機関の預金残高は580兆円以上。81兆の紙幣しか流通していないのに、その7倍もの預金が存在していることになる。これらを生み出す根幹となっているのが「信用創造」というプロセスだ。
さらに独「シュピーゲル」誌によると2010年度の世界のGDP総額は約63兆ドル、株式と債券の取引総額」が87兆ドル、外国通貨の年間総取引額が955兆ドルにも及ぶという。実際の貿易にも通貨は必要ではあるが、GDPや株式・債権の取引総額の規模と比較しても、その多くが投機マネーだといえる。実体経済を超えて投機マネーが巨大となっている。
エンデは言う、「―パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式会社で扱われる資本としてのお金は、2つの異なる種類のお金であるという認識です。…貨幣を実際になされた労働や物的価値の代償として取り戻すためには、いまの貨幣システムの何を変えるべきなのか、ということです。―」
エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」/ 河邑 厚徳
![](https://www.nhk-book.co.jp/image/book/153/0080496.jpg)
この作品は、ミヒャエル・エンデの問題意識-貨幣による人間社会の支配の問題-を引き継いで書かれた作品。この問いを巡りシルビオ・ゲゼルの「自由貨幣」について探り、法定通貨の代替としての地域通貨「イサカアワー」、「交換リング」、「ヴィオ銀行」について掘り下げていく。
ここでは、シルビオ・ゲゼルの「自由貨幣」について触れておきたい。
シルビオ・ゲゼルは第一次世界大戦前後に活躍したドイツ生まれの実業家であり経済学者。
ゲゼルの特筆すべき点は、貨幣を他の物質や製品と同様、時が経てば「減価」していく「自由貨幣」「スタンプ貨幣」というシステムを考案した点にある。世の中に存在する財やサービスは時間が経てば劣化していく。今日、10万円で購入した自転車は一年後には10万円の価値はない(使用することで価値は劣化する)。しかし貨幣だけが、蓄積したとしても(インフレなどの外部要因を除くと)その価値は減るどころか「金利」を手にし価値が増える。
その結果、巨額の貨幣を有している者はその金利だけで生活が可能になり、債務者は収入の多くを金利の支払いという形で取られて行く。貧富の格差が拡大していくことになる。そこで考え出されたのが、貨幣そのものも財やサービス同様、時間が経てば減価するという仕組みだ。
具体的には「スタンプ貨幣」と言われるもので、ある貨幣を持っていると、一定期間ごとに有償のスタンプを貼らないと使えなくなるというもの。このスタンプ代が貨幣の減価分となる。
実際、大恐慌時代には国家が提供する本位通貨とは別に、代替通貨としての自由通貨・スタンプ通貨を導入した都市が存在する。ドイツのシュヴァーネンキルヘンやオーストリアのヴェルグルなどがそうだ。特にヴェルグルではこの自由通貨の導入によって高い失業率が解消されることになる。
ヴェルグルでは、公共事業の給与の半分をスタンプ通貨「労働証明書」で支払うことにしたが、月に1度、額面の1%分のスタンプを購入する必要がある(減価を補う)。そのためこの貨幣を受け取った人々はオーストリア貨幣よりも優先して使うようになった。その結果、スタンプ通貨の流通速度が高まり、不況で停滞していたヴェルグルの経済が動きだし始めたのだ。
ここが自由通貨のポイントとなる。つまり減価することで、貨幣を蓄積させるのではなく流通させる方向にもっていけるのだ。
この「ヴェルグルの奇跡」は世界中から多くの経済学者が訪れるようになる。しかしオーストリアの中央銀行は紙券発行の独占を侵害したとして、この取り組みを妨害する。このスタンプ通貨「労働証明書」の禁止によって、完全雇用に近かったヴェルグルの町は再び30%近い失業率を記録することになる。
--------------
金融システム(変動相場や投機市場など)が巨大化した現在となっては、こうした「マイナスの利子」が付く通貨、減価する貨幣が世界の中心になることはないだろう。しかしその一方でマネーの暴走は果てどなく続いている。ウォール街の取引の7割りは市場の変化の予兆を読み取るコンピュータのアルゴリズムによって行われており、既に人間の手に負えないものとなっている。株価のほんの数セントの変動からあらゆる予測がなされ、多種多様な分析と予測の結果、人間が介在せぬまま、大きな取引へと繋がる。
しかしこうした「自動化された取引」は人間には理解できないロジックの積み重ねによって、一瞬のうちに「フラッシュクラッシュ」と呼ばれる因果関係の説明できない大暴落を引き起こす。それでもこうしたシステムによって巨額の富が更なる富を生み出している。
これがまっとうな世界なのか?
この「減価する貨幣」は、例えば「地域通貨」のような形で、限定的ではあるものの「暴走するマネー」とは一線を画す存在となる。お金は実体の経済に投資され、特定の地域でのみ還流する。地域マネーに参画する企業や商店、個人の間にのみ通貨は流通し、富の蓄積や金融商品のための投資ではなく、物やサービスの交換にのみ使われるのだ。
こうした取り組みはもっと検討されるべきだと思う。
特に地方都市においては経済圏をどのように成立させるかは重要な問題だ。地産地消のように、通貨もまたその域内でのみ流通させることが必要なのだ。
そしてこのことは、これからの日本のあり方には合っているのだと思う。このことについては、また別な機会に書きたいと思う。
地方変革のキーワードは「福祉」と「地域マネー」 - ビールを飲みながら考えてみた…
「エンデの遺言」 1/6
![](https://www.nhk-book.co.jp/image/book/153/0080496.jpg)
エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」/ 河邑 厚徳
![](http://www.iwanami.co.jp/.FIGS/43/3/4306350.gif)
金融入門 (岩波新書) / 岩田規久男
定義の違いはあるだろうが、「貨幣」の機能を分類するとすれば、4つに大別される。。
1)交換機能
2)価値の尺度
3)価値の保存
4)投機的手段
このうち1~3は本来的に貨幣が持っている機能だ。「交換」機能がなければ、僕らは物物交換を続けなれればならないし、商品と貨幣を交換するためには、例えば「卵=150円」と「iPod=5万円」というように客観的な「尺度」が必要となる。
また卵を卵のまま保存するには期限があるが、貨幣であれば長期「保存」も容易になる。1)と2)は不可分の存在であり、3)はそこから派生した機能といえる。
しかし4)は果たしてどうだろう。本来、交換のための媒体であるはずの貨幣が、貨幣同士の交換を通じてその量を拡大していく。
円の流通高は2009年3月末現在において現金ベースで81兆4,215億円。これが日本銀行の発行する紙幣と硬貨の総量といっていいだろう。しかし実際に日本の金融機関の預金残高は580兆円以上。81兆の紙幣しか流通していないのに、その7倍もの預金が存在していることになる。これらを生み出す根幹となっているのが「信用創造」というプロセスだ。
さらに独「シュピーゲル」誌によると2010年度の世界のGDP総額は約63兆ドル、株式と債券の取引総額」が87兆ドル、外国通貨の年間総取引額が955兆ドルにも及ぶという。実際の貿易にも通貨は必要ではあるが、GDPや株式・債権の取引総額の規模と比較しても、その多くが投機マネーだといえる。実体経済を超えて投機マネーが巨大となっている。
エンデは言う、「―パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式会社で扱われる資本としてのお金は、2つの異なる種類のお金であるという認識です。…貨幣を実際になされた労働や物的価値の代償として取り戻すためには、いまの貨幣システムの何を変えるべきなのか、ということです。―」
エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」/ 河邑 厚徳
![](https://www.nhk-book.co.jp/image/book/153/0080496.jpg)
この作品は、ミヒャエル・エンデの問題意識-貨幣による人間社会の支配の問題-を引き継いで書かれた作品。この問いを巡りシルビオ・ゲゼルの「自由貨幣」について探り、法定通貨の代替としての地域通貨「イサカアワー」、「交換リング」、「ヴィオ銀行」について掘り下げていく。
ここでは、シルビオ・ゲゼルの「自由貨幣」について触れておきたい。
シルビオ・ゲゼルは第一次世界大戦前後に活躍したドイツ生まれの実業家であり経済学者。
ゲゼルの特筆すべき点は、貨幣を他の物質や製品と同様、時が経てば「減価」していく「自由貨幣」「スタンプ貨幣」というシステムを考案した点にある。世の中に存在する財やサービスは時間が経てば劣化していく。今日、10万円で購入した自転車は一年後には10万円の価値はない(使用することで価値は劣化する)。しかし貨幣だけが、蓄積したとしても(インフレなどの外部要因を除くと)その価値は減るどころか「金利」を手にし価値が増える。
その結果、巨額の貨幣を有している者はその金利だけで生活が可能になり、債務者は収入の多くを金利の支払いという形で取られて行く。貧富の格差が拡大していくことになる。そこで考え出されたのが、貨幣そのものも財やサービス同様、時間が経てば減価するという仕組みだ。
具体的には「スタンプ貨幣」と言われるもので、ある貨幣を持っていると、一定期間ごとに有償のスタンプを貼らないと使えなくなるというもの。このスタンプ代が貨幣の減価分となる。
実際、大恐慌時代には国家が提供する本位通貨とは別に、代替通貨としての自由通貨・スタンプ通貨を導入した都市が存在する。ドイツのシュヴァーネンキルヘンやオーストリアのヴェルグルなどがそうだ。特にヴェルグルではこの自由通貨の導入によって高い失業率が解消されることになる。
ヴェルグルでは、公共事業の給与の半分をスタンプ通貨「労働証明書」で支払うことにしたが、月に1度、額面の1%分のスタンプを購入する必要がある(減価を補う)。そのためこの貨幣を受け取った人々はオーストリア貨幣よりも優先して使うようになった。その結果、スタンプ通貨の流通速度が高まり、不況で停滞していたヴェルグルの経済が動きだし始めたのだ。
ここが自由通貨のポイントとなる。つまり減価することで、貨幣を蓄積させるのではなく流通させる方向にもっていけるのだ。
この「ヴェルグルの奇跡」は世界中から多くの経済学者が訪れるようになる。しかしオーストリアの中央銀行は紙券発行の独占を侵害したとして、この取り組みを妨害する。このスタンプ通貨「労働証明書」の禁止によって、完全雇用に近かったヴェルグルの町は再び30%近い失業率を記録することになる。
--------------
金融システム(変動相場や投機市場など)が巨大化した現在となっては、こうした「マイナスの利子」が付く通貨、減価する貨幣が世界の中心になることはないだろう。しかしその一方でマネーの暴走は果てどなく続いている。ウォール街の取引の7割りは市場の変化の予兆を読み取るコンピュータのアルゴリズムによって行われており、既に人間の手に負えないものとなっている。株価のほんの数セントの変動からあらゆる予測がなされ、多種多様な分析と予測の結果、人間が介在せぬまま、大きな取引へと繋がる。
しかしこうした「自動化された取引」は人間には理解できないロジックの積み重ねによって、一瞬のうちに「フラッシュクラッシュ」と呼ばれる因果関係の説明できない大暴落を引き起こす。それでもこうしたシステムによって巨額の富が更なる富を生み出している。
これがまっとうな世界なのか?
この「減価する貨幣」は、例えば「地域通貨」のような形で、限定的ではあるものの「暴走するマネー」とは一線を画す存在となる。お金は実体の経済に投資され、特定の地域でのみ還流する。地域マネーに参画する企業や商店、個人の間にのみ通貨は流通し、富の蓄積や金融商品のための投資ではなく、物やサービスの交換にのみ使われるのだ。
こうした取り組みはもっと検討されるべきだと思う。
特に地方都市においては経済圏をどのように成立させるかは重要な問題だ。地産地消のように、通貨もまたその域内でのみ流通させることが必要なのだ。
そしてこのことは、これからの日本のあり方には合っているのだと思う。このことについては、また別な機会に書きたいと思う。
地方変革のキーワードは「福祉」と「地域マネー」 - ビールを飲みながら考えてみた…
「エンデの遺言」 1/6
![](https://www.nhk-book.co.jp/image/book/153/0080496.jpg)
エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」/ 河邑 厚徳
![](http://www.iwanami.co.jp/.FIGS/43/3/4306350.gif)
金融入門 (岩波新書) / 岩田規久男
お金は、国が発行する
お金の総量を定期的に増やす
お金は、労働者 不労働者問わず国が自由に与える
・モノの価値を固定する
価値の制御 競争価格では無く価格統制
例 毎年 米1tと車一台の価値が同じ
・お金の価値を無くしていく お金の総量と価格を比例させる
極端な例
お金の総量を前年の2倍発行し2倍与え
前年 米1tが10円だったとしたら
今年 米1tが約20円に価格統制する
モノの価格が上がって見えるが価値の比率は、同じで
前年迄モノは、半額になる
毎年前年のモノ(借金という物が有ったとしても)の価値は、約半減する
これは、
コストの無い社会への切り替え
ゆくゆくは、モノに値段が無く無料になる社会の実現をも考えられる考えだ
動物なまま 競い合い奪い合う欲望にまみれた人間の独占・殺し合いから抜け出せるかの提案でもある