今年も1年が終わるわけだけれど、今年1年を振り返って自分自身考えたことといえば、ネットというのはあらゆることを「ログ化」「アーカイブ化」していくということだろう。
これまでも変容する「時間感覚」については何度か書いてきたけれど、ライフログという観点も含めて、やはりその根源については「ログ化」「アーカイブ化」というものがあるような気がする。
ただ「ログ化」というと曖昧模糊な感じがするけど、例えばブログやSNS、YouTubeなども含めてあらゆる個人や社会の事象が記録され、残され、検索され、閲覧され、解析され、接続されている現状は誰しも感じていること。数多のブログを見れば、個人の毎日の食事のメニューや、恋愛の悩み、感動した風景写真、ペットの様子など様々なことが残されているし、YouTubeで検索すれば見逃したテレビ番組の話題のシーンや過去のミュージックビデオ、映画やニュースを見ることができる。
つまり個人の記録はもちろん、テレビやDVDの映像を通じて「社会全体の記憶」の集積がネットには存在することになり、それがいつでも「現在」から利用できるのだ。
当たり前のことではあるのだけれど、このことは再認識しておく必要がある。たとえ経済合理性の観点からは適していなかったとしても、ネットが持っている不可避的な傾向として、あらゆる物事は記録され、蓄積されていくことになる。
このことは僕らの生活パターンも大きく変えていくのだろう。
まだまだパッケージ流通を中心とした産業モデルであるとはいえ、音楽の世界はパッケージから楽曲配信への移行が顕著となってきているし、P2Pや動画共有サイトでの利用度は非常に高い。今年、旬となったデジタルフォトフレームなども、現状ではSDカードをベースとしたものが主流ではあるものの、Picasaやflickrなどのオンラインフォトストレージサービスの写真を呼び込めるものも登場し始めた。
それにともないCDやアルバムという物理的な管理では考えられないほどの楽曲や写真を保存し、管理・利用することが可能となった。とりあえず音楽を手に入れ、あるいは写真を撮るようになった。
これはブログなどを見ても同じだろう。
一部の「表現者」を除くと、僕らにできることは「日記」をつけるかせいぜい同人誌などの狭い世界の中で「表現」することくらいしか選択肢はなかったが、今や誰もが手軽にブログを初め、日々の記録を世界に対して公開している。それを見に来るのはリアルな世界の友人ではなく、検索エンジンやトラックバック・コメント・足跡を通じた不特定多数の人だ。
誰もが手軽にブログをはじめ、飽きてくればいつの間にか「停止」している。
しかしこれは「停止」であって「消滅」ではない。多くの場合、記録はそのまま残され、ネットの世界に存在し続けることになる。全く見も知らない第三者から閲覧され、あるいは引用され、コメントを残されるのだ。
そんな中、WARNER MUSICの楽曲がYouTubeから削除される事態が発生した。
YouTube、Warner Musicとのライセンス契約更新をめぐる交渉が決裂:ニュース - CNET Japan
[WSJ] Warner Music、YouTubeからコンテンツを引き上げ - ITmedia News
これなどもネットの本質的な特性を理解すれば、このような結論はありえないし、また長続きしないのだろう。
もちろん音楽業界からすればパッケージ販売が頭打ちである以上、新しい収益源を目指さねばならないしそのための交渉であることは間違いがない。「数の論理」を盾としたYouTubeのやり方が正しいとも思わないし、現状が旧態依然としたビジネスと新しいビジネスの端境期であるということももちろんある。しかしこのことは流れに逆らっているようにしか思えない。
これからのネットビジネスやデジタルコンテンツビジネスを考えていく上で、「コンテンツ」も日常生活の「記録」もあらゆることが「ログ化」・「アーカイブ化」されているという前提で進めなければならないのだろう。
またその上で/だからこそ、
・LIVE性-まさに「現在」であることの重要性が増していること
・あらゆるコンテンツが蓄積され利用可能である以上、コンテンツそのものではなく、それをどう「結びつけるか」が「面白さ」「興味」「関心」といった価値を生み出している
・ネットにさえつながればあるゆるデバイスや装置、サービスといった垣根が消えてしまう
ということの意味を再度、理解しなければならないのだ。
インターネット時代の2つの時間感覚 - ビールを飲みながら考えてみた…
時空の消滅とソーシャルサービスの誕生-情報革命の果て- - ビールを飲みながら考えてみた…
これまでも変容する「時間感覚」については何度か書いてきたけれど、ライフログという観点も含めて、やはりその根源については「ログ化」「アーカイブ化」というものがあるような気がする。
ただ「ログ化」というと曖昧模糊な感じがするけど、例えばブログやSNS、YouTubeなども含めてあらゆる個人や社会の事象が記録され、残され、検索され、閲覧され、解析され、接続されている現状は誰しも感じていること。数多のブログを見れば、個人の毎日の食事のメニューや、恋愛の悩み、感動した風景写真、ペットの様子など様々なことが残されているし、YouTubeで検索すれば見逃したテレビ番組の話題のシーンや過去のミュージックビデオ、映画やニュースを見ることができる。
つまり個人の記録はもちろん、テレビやDVDの映像を通じて「社会全体の記憶」の集積がネットには存在することになり、それがいつでも「現在」から利用できるのだ。
当たり前のことではあるのだけれど、このことは再認識しておく必要がある。たとえ経済合理性の観点からは適していなかったとしても、ネットが持っている不可避的な傾向として、あらゆる物事は記録され、蓄積されていくことになる。
このことは僕らの生活パターンも大きく変えていくのだろう。
まだまだパッケージ流通を中心とした産業モデルであるとはいえ、音楽の世界はパッケージから楽曲配信への移行が顕著となってきているし、P2Pや動画共有サイトでの利用度は非常に高い。今年、旬となったデジタルフォトフレームなども、現状ではSDカードをベースとしたものが主流ではあるものの、Picasaやflickrなどのオンラインフォトストレージサービスの写真を呼び込めるものも登場し始めた。
それにともないCDやアルバムという物理的な管理では考えられないほどの楽曲や写真を保存し、管理・利用することが可能となった。とりあえず音楽を手に入れ、あるいは写真を撮るようになった。
これはブログなどを見ても同じだろう。
一部の「表現者」を除くと、僕らにできることは「日記」をつけるかせいぜい同人誌などの狭い世界の中で「表現」することくらいしか選択肢はなかったが、今や誰もが手軽にブログを初め、日々の記録を世界に対して公開している。それを見に来るのはリアルな世界の友人ではなく、検索エンジンやトラックバック・コメント・足跡を通じた不特定多数の人だ。
誰もが手軽にブログをはじめ、飽きてくればいつの間にか「停止」している。
しかしこれは「停止」であって「消滅」ではない。多くの場合、記録はそのまま残され、ネットの世界に存在し続けることになる。全く見も知らない第三者から閲覧され、あるいは引用され、コメントを残されるのだ。
そんな中、WARNER MUSICの楽曲がYouTubeから削除される事態が発生した。
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これなどもネットの本質的な特性を理解すれば、このような結論はありえないし、また長続きしないのだろう。
もちろん音楽業界からすればパッケージ販売が頭打ちである以上、新しい収益源を目指さねばならないしそのための交渉であることは間違いがない。「数の論理」を盾としたYouTubeのやり方が正しいとも思わないし、現状が旧態依然としたビジネスと新しいビジネスの端境期であるということももちろんある。しかしこのことは流れに逆らっているようにしか思えない。
これからのネットビジネスやデジタルコンテンツビジネスを考えていく上で、「コンテンツ」も日常生活の「記録」もあらゆることが「ログ化」・「アーカイブ化」されているという前提で進めなければならないのだろう。
またその上で/だからこそ、
・LIVE性-まさに「現在」であることの重要性が増していること
・あらゆるコンテンツが蓄積され利用可能である以上、コンテンツそのものではなく、それをどう「結びつけるか」が「面白さ」「興味」「関心」といった価値を生み出している
・ネットにさえつながればあるゆるデバイスや装置、サービスといった垣根が消えてしまう
ということの意味を再度、理解しなければならないのだ。
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