地震発生が午後2時46分、津波に飲み込まれたのが推定午後3時37分。約50分の時間があった。今回の津波で児童の約7割74人が犠牲になった宮城県石巻市大川小学校の当時の状況だ。
東京新聞:大川小説明会の要旨 :話題のニュース(TOKYO Web)
大川小、教師間の議論が原因で避難に遅れ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
東日本大震災:宮城・大川小説明会 「避難マニュアルに不備」石巻市教委認める - 毎日jp(毎日新聞)
地震発生直後から放送機器が使用できなくなり、教師が残っていた生徒たちを校庭に集めて点呼をとる。これが3時頃。本部長である教頭と教師たちは避難対策を話しあう。
『数人の先生が桜の木の下で「山へ逃げるか」「木が倒れるので、この揺れでは駄目だ」という話をしていた。防災無線のサイレンが鳴って「大津波警報が出ました。海岸沿いは危険ですので高台に避難してください」という声を聞いた』という。
大川小学校は川沿いにあり、少し裏手には山がある。ここでいう高台とは新北上大橋付近の7mほどの高台のこと。迎えにきた保護者たちの会話には、
「大津波が来る」「津波10メートルだって」
といったものもあったそうだ。
3時25分頃、市の広報車の放送もあり、話し合いの結果、高台へ逃げることになり歩き始める。『学校前から新北上大橋の三角地帯に続く県道に出ようとしたところ、左前方から黒い塊となって津波が襲って』くる。『その時「山へ逃げろ」と叫ぶ人もいて山へ登ろうとみんな必死だった。しかし、斜面が急な上に雪が積もっていたので滑って登ることができなかった。津波はすごい勢いで子どもたちをのみ込んだり水圧で飛ばしたりした。手をつないだりしていた低学年の子どもたちも津波にのみ込まれた』という。
果たして「高台へ逃げる」という「判断」は妥当なものだったのか。
意思決定プロセスが石巻市教委からの説明では見えない。
市教委側からの説明では、今回、避難が遅くなった理由として、
1)迎えに来た保護者への児童の引き渡し
2)小学校に避難してきた地域住民への対応
3)避難場所の選定
の3点が挙げられている。しかしそもそもこの「大津波」の危機に対する認識が弱かったことだろう。仮に10mの津波に飲み込まれると分かっていたならば、1)や2)の対処のために避難が遅くなるなんてことはないだろう。優先されるべき問題は他にある。また3)の「避難場所の選定」にしても答えは出ている。川に沿って登ってくる津波を、川沿いの7mの高台に避難して対処できるわけはない。
このような津波の経験を実体験としてはなかったかもしれない。7mの高台なら大丈夫との過信があったのかもしれない。マニュアル通りの対応をすることが必要だと考えたのかもしれない。そうすれば自分たちが必要以上の「判断」をしなくてもいいという風にどこかで考えていたのかもしれない。
教師や保護者の会話からも「避けられる機会」が存在していただけに、意思決定のプロセスを明らかにすることは今後の対処にも繋がるだろう。今回の回答はこれまで同様の、組織としての責任逃れと思われても仕方がない。
1996年に文部省の中央教育審議会が「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という答申をでしている。この中で「これからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」だとして、総合的学習の時間を通じて、この「生きる力」を養う方針がとられた。いわゆる「ゆとり教育」だ。
結局、この「ゆとり教育」では、「ゆとり世代」呼ばれる子供たちを生み出し非難されることになるのだけれど、それ以前に、今回の大川小学校の教員の対処を考えると、〈教員それぞれは現場で頑張っていたのだとしても〉本当に重要な局面で、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力(「生きる力」)をもった教員もまた育っていなかったのだなぁと思わされる。
ディズニーランドの地震対応から考える個人の行動規範 - ビールを飲みながら考えてみた…
大川小学校近辺(宮城県石巻市釜谷字山根1)
【東日本大震災】映像がとらえた大川小周辺を襲った津波 - MSN産経ニュース
石巻市立大川小学校の近くに押し寄せた津波
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地震発生直後から放送機器が使用できなくなり、教師が残っていた生徒たちを校庭に集めて点呼をとる。これが3時頃。本部長である教頭と教師たちは避難対策を話しあう。
『数人の先生が桜の木の下で「山へ逃げるか」「木が倒れるので、この揺れでは駄目だ」という話をしていた。防災無線のサイレンが鳴って「大津波警報が出ました。海岸沿いは危険ですので高台に避難してください」という声を聞いた』という。
大川小学校は川沿いにあり、少し裏手には山がある。ここでいう高台とは新北上大橋付近の7mほどの高台のこと。迎えにきた保護者たちの会話には、
「大津波が来る」「津波10メートルだって」
といったものもあったそうだ。
3時25分頃、市の広報車の放送もあり、話し合いの結果、高台へ逃げることになり歩き始める。『学校前から新北上大橋の三角地帯に続く県道に出ようとしたところ、左前方から黒い塊となって津波が襲って』くる。『その時「山へ逃げろ」と叫ぶ人もいて山へ登ろうとみんな必死だった。しかし、斜面が急な上に雪が積もっていたので滑って登ることができなかった。津波はすごい勢いで子どもたちをのみ込んだり水圧で飛ばしたりした。手をつないだりしていた低学年の子どもたちも津波にのみ込まれた』という。
果たして「高台へ逃げる」という「判断」は妥当なものだったのか。
意思決定プロセスが石巻市教委からの説明では見えない。
市教委側からの説明では、今回、避難が遅くなった理由として、
1)迎えに来た保護者への児童の引き渡し
2)小学校に避難してきた地域住民への対応
3)避難場所の選定
の3点が挙げられている。しかしそもそもこの「大津波」の危機に対する認識が弱かったことだろう。仮に10mの津波に飲み込まれると分かっていたならば、1)や2)の対処のために避難が遅くなるなんてことはないだろう。優先されるべき問題は他にある。また3)の「避難場所の選定」にしても答えは出ている。川に沿って登ってくる津波を、川沿いの7mの高台に避難して対処できるわけはない。
このような津波の経験を実体験としてはなかったかもしれない。7mの高台なら大丈夫との過信があったのかもしれない。マニュアル通りの対応をすることが必要だと考えたのかもしれない。そうすれば自分たちが必要以上の「判断」をしなくてもいいという風にどこかで考えていたのかもしれない。
教師や保護者の会話からも「避けられる機会」が存在していただけに、意思決定のプロセスを明らかにすることは今後の対処にも繋がるだろう。今回の回答はこれまで同様の、組織としての責任逃れと思われても仕方がない。
1996年に文部省の中央教育審議会が「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という答申をでしている。この中で「これからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」だとして、総合的学習の時間を通じて、この「生きる力」を養う方針がとられた。いわゆる「ゆとり教育」だ。
結局、この「ゆとり教育」では、「ゆとり世代」呼ばれる子供たちを生み出し非難されることになるのだけれど、それ以前に、今回の大川小学校の教員の対処を考えると、〈教員それぞれは現場で頑張っていたのだとしても〉本当に重要な局面で、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力(「生きる力」)をもった教員もまた育っていなかったのだなぁと思わされる。
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大川小学校近辺(宮城県石巻市釜谷字山根1)
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