再版と同時に原作は購入していたものの、結局映画館で見ることができず、ようやくビデオで「オールド・ボーイ」を見る。カンヌ受賞の名に恥じない傑作。狩撫麻礼こと土屋ガロンの原作をうまく引き継ぎつつも、パク・チャヌクが全く新しい「悲劇」として創りあげた傑作サスペンス。五つ星をつけたくなるほどの必見の作品。
妻と一人娘とのごく平凡な生活をおくっていたオ・デス(チェ・ミンシク)はある日突然拉致される。理由もわからぬまま、またいつまでかもわからぬまま監禁されたデスを支えたのは「復讐すること」だった。15年たったある日、デスは突然解放される。既に妻はデスが殺したことになっていた。
料理店で出会ったミド(カン・へジョン)とともに監禁した相手を探していくデス。そのデスの前に監禁を命じた首謀者(ユ・ジテ)が現れ、5日間で監禁の理由を解き明かせと命じるのだが……。

原作を読んだ人は分かると思うが、原作の良さというのは映像化できるものではない。それは話の展開がどうのというよりも、単純に原作者土屋ガロンこと狩撫麻礼氏の「狩撫哲学」・「狩撫美学」の反映した物語であり、監禁された理由というのもまさにそれを巡る対立だからだ。そういった点を考えると、この映画が展開的には原作を追いかけつつも、話の軸となる部分をまったく違ったストーリーに組替えたのは正解だし、それをこれだけの作品にしあげたのは見事だといえる。
それにしてもこの物語、最後まで二転三転、一ひねり二ひねりではすまない。このブログは基本的には映画を観た人向けのブログなので、その「ひねり」具合を直に感じたいという方は、以下は見ない方がいいかもしれない。より深く見たいという方が一読してから見る分には全然構いません。
この物語、基本的にはデスの復讐物語という体裁をとってはいるものの、イ・ウジンの復讐物語でもある。彼は姉への愛情ゆえ、本人にそのつもりがなかったとはいえ加害者であるデスに対して、その失意と同価値の復讐を試みる。しかしこれは果たしてデスに対する復讐だったのか。
「私達は全てを了解していた」と語るウジンだが、その一方で彼はそのことが明るみになることを恐れていた。そしてウジンはまさしく彼の手によって姉を喪失することとなる。加害者とはウジンそのものなのである。だからこそ、彼は本来自分に向けられるべき、やりきれない怒りをデスに向けたともいえる。ウジンは自らを罰するためにデスへの長い復讐劇を企てたのだ。
しかしここで1つの予想しえないことが起きる。
この復讐劇のポイントは、罪のない噂のために肉親を失ったことの悲しみと愛するものを失ったことの悲しみを同時に実現することにあった。それを演出するために、まさに15年という時間が必要だったわけであるが、その間、ウジンがミドに対してどのような感情を抱いていたのであろうか。
「ミドはほんとうにデスを愛し始めたのか、もう?」
「4才の時から保護してきたのに」「お前は一体何をしている」
彼の計画通りにことが運んでいるにも関わらず、ミドを見る彼の表情には、切なげなあるいは割り切れない感情が浮かび上がる。本来であれば、復讐の手段としての存在であったミド。しかし同時に15年という年月のなかで、彼こそがミドの父親でありえたのであり、失われた「姉」への愛情の矛先でもあったのだ。そして彼は、かって姉に対してそうだったように、再び、自らの手で愛するものを失わなければならない。過去の自分に対して復讐するように――。
そう考えると、彼が箱を開けなかったのは、デスへの同情ではなく、ミドを思えばこそだったのかもしれない。
この作品の「悲劇性」を高めているのは、ウジンの奥底に内包された屈折した「愛情」にあったのだろう。自分の中にあった「愛情」を正しく発露させることなく、自分がかって姉に対してできなかったことを、デスに託し、自らはその償いをするかのように手を放し、そして引き金を引く――。
さて、この映画は独立した1つの作品として、人間のもつ暴力性、愛欲、愚かさ、悲劇性をも見事に描いたわけであるが、果たして「狩撫哲学」は継承されたのであろうか。
キャラクター設定の違いはあるにしても、この作品が原作のもつ魅力「狩撫哲学」を継承しているかといわれると疑問が残る。そもそも「狩撫哲学」とはどのようなものであろうか。
原作では、主人公・五島(10年間の監禁生活を送った男)とその敵「仮名・堂島」との対立の軸となるのは、2人の男のアイデンティティにも関わる「美学」の相違であり、「信念」の相克であった。一方には全てが計算されうるものとして、全てを利用しコントロールする者こそが優れた存在であり、同情や共感といった感情は利用されることはあってもそれ以外の価値を置かぬという立場であり、もう一方ではそうした孤独なる者の奥底にも「魂」の震えを感じ取り、共感するものがいる。
それは時には「嘘」に固められた安っぽい「共感」に彩られた商業主義音楽と、そこからはみ出さざろうえない、ボブ・マーレーやザ・ブルーハーツとの対立であり、アンケートによる「多数原理」の導入や安っぽい演出手法とプロモーションによって作り出された作品に感動する「あちら側」と「感動」や「情念」、真実の「魂」の触れ合いにこそ可能性を求める「こちら側」との対立といってもいい。
そう捉えた時に、「デス」の下した結論とは「こちら側」の回答だったのか。
確かに人の心はそれ自体曖昧なものであるし、ご都合主義でもある。人が生きていく上では「忘却」もまた正しい選択だということも分かる。しかし、仮に、ミドのことを想ってのことだとしても、デスは自らの半身を殺すべきではなかったのではないだろうか。人の魂と魂が触れ合う時、そこにはごまかしは利かない。
例えミドが苦しまないためだとしても、あるいはデス自身がミドを愛しつづけるためだとしても、自らの半身を半人工的に殺すというのは認められないだろう。我々は例えどれほど苦しくとも、あるいは悲劇的な結末しか待っていないとしても、それを引き受けていかねばならないのだ。そしてそうした姿勢こそが「魂」の触れ合いを可能にする。「ハード&ルーズ」しかり「ボーダー」しかり。
そう考えると、自分殺しをせざろうえなかったウジンにこそ心惹かれるのは僕だけであろか―。
【評価】
総合:★★★★☆
悲劇性:★★★★★
マンガ版もお薦めです:★★★★☆
---
原作レビュー:「オールド・ボーイ」―「敵」の見えなくなった世界
蜂須賀はどこへいったのか~「ボーダー」を想う
DVD「オールド・ボーイ」

■迷走王ボーダー たなか亜希夫/狩撫麻礼

■ハード&ルーズ かわぐちかいじ/狩撫麻礼

■天使派リョウ 中村真理子/狩撫麻礼

■湯けむりスナイパー 松森正/ひじかた憂峰

妻と一人娘とのごく平凡な生活をおくっていたオ・デス(チェ・ミンシク)はある日突然拉致される。理由もわからぬまま、またいつまでかもわからぬまま監禁されたデスを支えたのは「復讐すること」だった。15年たったある日、デスは突然解放される。既に妻はデスが殺したことになっていた。
料理店で出会ったミド(カン・へジョン)とともに監禁した相手を探していくデス。そのデスの前に監禁を命じた首謀者(ユ・ジテ)が現れ、5日間で監禁の理由を解き明かせと命じるのだが……。

原作を読んだ人は分かると思うが、原作の良さというのは映像化できるものではない。それは話の展開がどうのというよりも、単純に原作者土屋ガロンこと狩撫麻礼氏の「狩撫哲学」・「狩撫美学」の反映した物語であり、監禁された理由というのもまさにそれを巡る対立だからだ。そういった点を考えると、この映画が展開的には原作を追いかけつつも、話の軸となる部分をまったく違ったストーリーに組替えたのは正解だし、それをこれだけの作品にしあげたのは見事だといえる。
それにしてもこの物語、最後まで二転三転、一ひねり二ひねりではすまない。このブログは基本的には映画を観た人向けのブログなので、その「ひねり」具合を直に感じたいという方は、以下は見ない方がいいかもしれない。より深く見たいという方が一読してから見る分には全然構いません。
この物語、基本的にはデスの復讐物語という体裁をとってはいるものの、イ・ウジンの復讐物語でもある。彼は姉への愛情ゆえ、本人にそのつもりがなかったとはいえ加害者であるデスに対して、その失意と同価値の復讐を試みる。しかしこれは果たしてデスに対する復讐だったのか。
「私達は全てを了解していた」と語るウジンだが、その一方で彼はそのことが明るみになることを恐れていた。そしてウジンはまさしく彼の手によって姉を喪失することとなる。加害者とはウジンそのものなのである。だからこそ、彼は本来自分に向けられるべき、やりきれない怒りをデスに向けたともいえる。ウジンは自らを罰するためにデスへの長い復讐劇を企てたのだ。
しかしここで1つの予想しえないことが起きる。
この復讐劇のポイントは、罪のない噂のために肉親を失ったことの悲しみと愛するものを失ったことの悲しみを同時に実現することにあった。それを演出するために、まさに15年という時間が必要だったわけであるが、その間、ウジンがミドに対してどのような感情を抱いていたのであろうか。
「ミドはほんとうにデスを愛し始めたのか、もう?」
「4才の時から保護してきたのに」「お前は一体何をしている」
彼の計画通りにことが運んでいるにも関わらず、ミドを見る彼の表情には、切なげなあるいは割り切れない感情が浮かび上がる。本来であれば、復讐の手段としての存在であったミド。しかし同時に15年という年月のなかで、彼こそがミドの父親でありえたのであり、失われた「姉」への愛情の矛先でもあったのだ。そして彼は、かって姉に対してそうだったように、再び、自らの手で愛するものを失わなければならない。過去の自分に対して復讐するように――。
そう考えると、彼が箱を開けなかったのは、デスへの同情ではなく、ミドを思えばこそだったのかもしれない。
この作品の「悲劇性」を高めているのは、ウジンの奥底に内包された屈折した「愛情」にあったのだろう。自分の中にあった「愛情」を正しく発露させることなく、自分がかって姉に対してできなかったことを、デスに託し、自らはその償いをするかのように手を放し、そして引き金を引く――。
さて、この映画は独立した1つの作品として、人間のもつ暴力性、愛欲、愚かさ、悲劇性をも見事に描いたわけであるが、果たして「狩撫哲学」は継承されたのであろうか。
キャラクター設定の違いはあるにしても、この作品が原作のもつ魅力「狩撫哲学」を継承しているかといわれると疑問が残る。そもそも「狩撫哲学」とはどのようなものであろうか。
原作では、主人公・五島(10年間の監禁生活を送った男)とその敵「仮名・堂島」との対立の軸となるのは、2人の男のアイデンティティにも関わる「美学」の相違であり、「信念」の相克であった。一方には全てが計算されうるものとして、全てを利用しコントロールする者こそが優れた存在であり、同情や共感といった感情は利用されることはあってもそれ以外の価値を置かぬという立場であり、もう一方ではそうした孤独なる者の奥底にも「魂」の震えを感じ取り、共感するものがいる。
それは時には「嘘」に固められた安っぽい「共感」に彩られた商業主義音楽と、そこからはみ出さざろうえない、ボブ・マーレーやザ・ブルーハーツとの対立であり、アンケートによる「多数原理」の導入や安っぽい演出手法とプロモーションによって作り出された作品に感動する「あちら側」と「感動」や「情念」、真実の「魂」の触れ合いにこそ可能性を求める「こちら側」との対立といってもいい。
そう捉えた時に、「デス」の下した結論とは「こちら側」の回答だったのか。
確かに人の心はそれ自体曖昧なものであるし、ご都合主義でもある。人が生きていく上では「忘却」もまた正しい選択だということも分かる。しかし、仮に、ミドのことを想ってのことだとしても、デスは自らの半身を殺すべきではなかったのではないだろうか。人の魂と魂が触れ合う時、そこにはごまかしは利かない。
例えミドが苦しまないためだとしても、あるいはデス自身がミドを愛しつづけるためだとしても、自らの半身を半人工的に殺すというのは認められないだろう。我々は例えどれほど苦しくとも、あるいは悲劇的な結末しか待っていないとしても、それを引き受けていかねばならないのだ。そしてそうした姿勢こそが「魂」の触れ合いを可能にする。「ハード&ルーズ」しかり「ボーダー」しかり。
そう考えると、自分殺しをせざろうえなかったウジンにこそ心惹かれるのは僕だけであろか―。
【評価】
総合:★★★★☆
悲劇性:★★★★★
マンガ版もお薦めです:★★★★☆
---
原作レビュー:「オールド・ボーイ」―「敵」の見えなくなった世界
蜂須賀はどこへいったのか~「ボーダー」を想う
DVD「オールド・ボーイ」

■迷走王ボーダー たなか亜希夫/狩撫麻礼

■ハード&ルーズ かわぐちかいじ/狩撫麻礼

■天使派リョウ 中村真理子/狩撫麻礼

■湯けむりスナイパー 松森正/ひじかた憂峰

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます