ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

JAMセッションから考えるコラボレーションの本質

2011年11月14日 | Weblog
深夜25:00。近所のJAZZバーで行われているJAMセッションを聴きに行く。参加者のほとんどはこの街の近辺で楽器をやっている人間。もちろんプロや元プロ、音楽学校で教えているといった人もいるけれど、あくまで趣味で続けていると人も。

ドラムのセッテイングが終わりかけたところに、おもむろにピアノが静かな旋律を入れる。その旋律に合わせてドラムがリズムを作り、SAXとベースがリズムにあわせて入っていく…そうやってセッションは始まっていく。

JAMセッションの魅力は、何と言っても、1つ世界が創り上げられていくまでの過程にある。それぞれのプレイヤーが、そこで「セッション」を創り上げるという目的のみを共有し、シナリオや楽譜もないままに演奏を行なっていく。当然、そこには「個」が自らを主張するだけでは成り立たない。それぞれが自身を主張しながら、「協働」していく必要がある。そしてそこに個々のプレイヤーの「個性」がでる。

どのようなリズムの、どのような曲調のセッションを創り上げるか――例えば前のセッションが一段落し、次のセッションに入りかけようとする時、誰が最初の主導権を取るのか。ピアノがしっとりとした感じの曲調を投げかけ、それを受けてドラムがリズムを創りだしていくこともあれば、次はこんなノリで行くという意思をもってドラマーが新しいリズムを創りだしていくこともある。ドラムとベースが「こんなリズムでどうだ?」と問いかけ合い、その中から新しいリズムが形成されていくこともあれば、主旋律がグイグイ引っ張っていくこともある。

Jazzっぽくギターで旋律を弾く人もいれば、フュージョンっぽい演奏で曲調を創りだす人もいる。ピアノとSAXが主旋律の掛け合いをし、あるいはメロディの取り合いをする。しかしいずれのプレイヤーも自己主張するだけで成り立つわけではない。主張するところは主張し、引くところは引く。1つのセッションとして完成させるためには、周りに合わせることも大事なのだ。

「主張」と「対話」。言葉は無くともセッションの中には1つの目的のために「協働」に必要なコミュニケーションが存在する。

こうしたものは何もJAMセッションに限ったことではない。

例えば複数の部署が絡むPJがあるとしよう。そのPJにはそれぞれの部署から代表者が参加し、利害関係を調整していくことになる。PJとしては当然、そのPJの目的を達成しなければならない。PJを進めていくためには、それぞれの部署の主張を唱えていればいいだけではない。そのPJを成立させるための「協働」作業が必要となる。

そのためには時には自らの所属部署にとって不利益になる場合もあるかもしれない。PJのために所属部署を説得する必要が出てくるかもしれない。自らの自組織での立場だけを考慮していてはコラボレーションは上手くいかない。

「PJを成立させる/成功させる」という共通の目的のために、それぞれの立場から主張をしつつ、同時に全体がうまくいくために、時にはサポートに回るなどして、バランスを取りながら自らの役割を果たしていかねばならないのだ。

しかしビジネスの場は、音楽の世界ほど、ピュアにセッションを楽しむことができないものだ。

音楽の世界であれば、うまい/ヘタといった実力の差はあるにしても、それがプレイヤーの価値を決めるものではない。独自の世界を創りだしたり、独特の音色で聴衆を魅了したり、魂のこもった演奏や観客を1つに盛り上げるような演奏だってある。それぞれが自らの「個性」を打ち出すことでその「場」をより魅力的なものへと創り上げていく。

振り返ってビジネスの場ではどうだろう。

もちろんそんな風にビュアに仕事ができる空間もあるだろう。それぞれの得意分野を持ち寄った「コ・ワーキング」であれば、そうした環境も可能なのかもしれない。しかし大企業の場合、それぞれが組織の代表者しかなく、また社内の中では競争相手だったりする。意識的/無意識的であれ個人の「思惑」がピュアな関係性を蝕むことになる。PJの成功以上に、時に人は出世を望んでしまうのだ。

そう考えると残念で仕方がない。

もっと自らの携わっている仕事を楽しむことができたら――JAMセッションが光り輝いてみえるのはこんなところにもあるのかもしれない。

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