まぁ、見事なくらい悪人だらけの映画。爽快感のかけらもなく、救いも全くない。かといって、暗く重い映画でもなく、悲しいとか、つらいとか、そんな感情も必要のない、ただ悪い人たちがいっぱいという映画。まぁ、変に肩肘張らずに楽しめばそれでよし。
【予告編】
映画『アウトレイジ ビヨンド』予告編
【あらすじ】
5年前の抗争を経て、暴力団・山王会は若頭だった加藤が会長の座につき、政界をも恐れる巨大組織になっていた。今では大友組の金庫番だった石原が若頭として山王会を牛耳っている。そんな中、刑務所から大友が出所してくる。死んだというのは刑事の片岡が流したニセ情報だったのだ。片岡は山王会に恨みを持つ木村と大友を近づけ、二人を関西の暴力団・花菱会に紹介する。片岡は二人を使って山王会の力を弱めようと画策していた…。(「goo映画」より)
【レビュー】
前作から5年後。先代を裏切った上で山王会のトップにたった加藤(三浦友和)と石原(加瀬亮)はその勢力を政界にまで伸ばす。巨大になりすぎた山王会に危機感を強める警察。山王会との関係を保つことで自らの利益と警察内部での存在感を示してきた片岡(小日向文世)は、加藤/石原体制に不満を持つ古参の富田(中尾彬)を炊きつけ、関西花菱会を利用して山王会の体制を変えさせようと試みる。しかし関東進出を目論む花菱会のは布施(神山繁)や西野(西田敏行)は、片岡に利用されることをよしとせず、加藤に協力するふりをしながら、より大きな策略をめぐらす…
この物語に描かれているのは、自らが勝ち上がるために「渡世の義理」という建前とは別に、裏切りと策謀がうごめく競争社会の本質だ。勝つ者が正しく、勝つためには利用できるものは利用する。
5年ぶりに出所した大友(ビートたけし)はそんな世界に辟易しつつも、「義理」や「面子」を大事にする木村(中野英雄)と行動を共にする。花菱会を後ろ盾に石原を、加藤を追い詰めていく大友。しかしここでも優先されるのは「義理」ではなく、自らの利益を最大化しようとするヤクザの本能だ。加藤の引退、自らの影響下にある白山/五味がトップに立つと花菱会は一転、木村に手打ちを進める。それどころか、その木村を利用して山王会の弱体化と自らの関東進出を進めようとする…繰り返される「大義」のない争い。
「義理」や「面子」といった「理」がある者が利用され、ただ「勝ち上がる」という獰猛な「欲望」が勝ち残る。ルールなどなく、ただ弱肉強食となった世界。
この作品が意外なほどしつこさや重みを持たないのは、「勝ち上がる」意思はあっても、恨み、憎しみといった「情念」が存在していないからだろう。それは意図的に回避されているかのようでもある。
僕らがこの映画を観て「悪人ばかり」と思うのは、僕らの側に「倫理」や「ルール」「友愛」といった「理」の側に立っているからだろう。彼らを生存本能に従って生きていると考えるなら、彼らの行動は否定しきれるものではない。まして「大義」や「理」というものが、欲望を隠すための後付の論理として利用されるものである以上、「結果」だけを見れば、山王会の内紛とそれを平和的に収めたた花菱会という構図でしかないのかもしれない。
そう考えれば、現実の社会となんら変わりないのかもしれない…
この作品ではそれまでであれば「善人」面の役を演じることの多い役者が思いっきり「悪人」面をしている。三浦友和や加瀬亮、西田敏行、小日向文世…などなど。特に小日向文世は親切そうな顔をしながら、エゲツないことを仕掛けるのだけれど、それがまた似合っているのなんのって。
【総合】★★★☆☆
【役者の凄み】★★★★★
【鈴木慶一の音楽もいい感じ】★★★★☆
北野武「ソナチネ」が語りえるもの - ビールを飲みながら考えてみた…
その男、凶暴につき:ソナチネへと繋がる北野武の原点 - ビールを飲みながら考えてみた…
【予告編】
映画『アウトレイジ ビヨンド』予告編
【あらすじ】
5年前の抗争を経て、暴力団・山王会は若頭だった加藤が会長の座につき、政界をも恐れる巨大組織になっていた。今では大友組の金庫番だった石原が若頭として山王会を牛耳っている。そんな中、刑務所から大友が出所してくる。死んだというのは刑事の片岡が流したニセ情報だったのだ。片岡は山王会に恨みを持つ木村と大友を近づけ、二人を関西の暴力団・花菱会に紹介する。片岡は二人を使って山王会の力を弱めようと画策していた…。(「goo映画」より)
【レビュー】
前作から5年後。先代を裏切った上で山王会のトップにたった加藤(三浦友和)と石原(加瀬亮)はその勢力を政界にまで伸ばす。巨大になりすぎた山王会に危機感を強める警察。山王会との関係を保つことで自らの利益と警察内部での存在感を示してきた片岡(小日向文世)は、加藤/石原体制に不満を持つ古参の富田(中尾彬)を炊きつけ、関西花菱会を利用して山王会の体制を変えさせようと試みる。しかし関東進出を目論む花菱会のは布施(神山繁)や西野(西田敏行)は、片岡に利用されることをよしとせず、加藤に協力するふりをしながら、より大きな策略をめぐらす…
この物語に描かれているのは、自らが勝ち上がるために「渡世の義理」という建前とは別に、裏切りと策謀がうごめく競争社会の本質だ。勝つ者が正しく、勝つためには利用できるものは利用する。
5年ぶりに出所した大友(ビートたけし)はそんな世界に辟易しつつも、「義理」や「面子」を大事にする木村(中野英雄)と行動を共にする。花菱会を後ろ盾に石原を、加藤を追い詰めていく大友。しかしここでも優先されるのは「義理」ではなく、自らの利益を最大化しようとするヤクザの本能だ。加藤の引退、自らの影響下にある白山/五味がトップに立つと花菱会は一転、木村に手打ちを進める。それどころか、その木村を利用して山王会の弱体化と自らの関東進出を進めようとする…繰り返される「大義」のない争い。
「義理」や「面子」といった「理」がある者が利用され、ただ「勝ち上がる」という獰猛な「欲望」が勝ち残る。ルールなどなく、ただ弱肉強食となった世界。
この作品が意外なほどしつこさや重みを持たないのは、「勝ち上がる」意思はあっても、恨み、憎しみといった「情念」が存在していないからだろう。それは意図的に回避されているかのようでもある。
僕らがこの映画を観て「悪人ばかり」と思うのは、僕らの側に「倫理」や「ルール」「友愛」といった「理」の側に立っているからだろう。彼らを生存本能に従って生きていると考えるなら、彼らの行動は否定しきれるものではない。まして「大義」や「理」というものが、欲望を隠すための後付の論理として利用されるものである以上、「結果」だけを見れば、山王会の内紛とそれを平和的に収めたた花菱会という構図でしかないのかもしれない。
そう考えれば、現実の社会となんら変わりないのかもしれない…
この作品ではそれまでであれば「善人」面の役を演じることの多い役者が思いっきり「悪人」面をしている。三浦友和や加瀬亮、西田敏行、小日向文世…などなど。特に小日向文世は親切そうな顔をしながら、エゲツないことを仕掛けるのだけれど、それがまた似合っているのなんのって。
【総合】★★★☆☆
【役者の凄み】★★★★★
【鈴木慶一の音楽もいい感じ】★★★★☆
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