ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

尖閣領土問題と中華思想

2012年09月30日 | Weblog
尖閣諸島の領土問題を巡って日中が激しく対立しているけれど、両者の言い分を聞いていると、日本は「1885年から1895年までどこの国にも属していないことを調査した上で」といつから領土としたのかを明示しているが、中国側では「固有の領土」という主張に終始している。

島国・日本にいると「固有の領土」と言うとそこに歴史的連続性を見出しやすい。縄文人や弥生人の頃ならいざしらず、大和朝廷が成立して以降は「倭国」「日ノ本」と名称の変化があったり、いくつかの勢力に分断されることがあったにしろ、本州~九州にかけては共通の民族だったし、少なくとも中国や朝鮮からの侵略を受けたというわけではない。

いかし中国にとっての「固有の領土」とはいつを起点とするのだろうか。その領域はどの時点の何をもって感じているのだろうか。

この「固有の領土」の主体を「中華人民共和国」と捉えるならば、その歴史はさほど古くない。国共内戦に勝利した毛沢東が1949年10月1日に中華人民共和国の成立を宣言した時が起点となるだろう。あるいは台湾(中華民国)側からすれば、そもそも中華人民共和国自体が中国本土を不当に占拠した状態ということになるのかもしれない。それを2つの派閥争いの結果分裂したものと捉えるならば、1912年の孫文によって「中華民国」の宣言の時点に求められるのかもしれない。

しかしそれらはいずれも日本の尖閣の領土化以降の話だ。そう考えると中国のいう「固有の領土」の主体というのは現在の国家には求められない。

中華民国の以前は「清」であるけれど、それは漢民族の国家ではない。また中国の歴史上、最も領土を拡大したのは「元」の時代であるがこれも漢民族ではない。もちろん現在の中国も漢民族による単一民族国家というわけではないが、中国人口の94%を占める以上、他の民族に支配された時代獲得された領土にアイデンティティを求めるとは考えにくい。

中国人、特に漢民族のメンタリティを考える上で大事な思想がある。それが「中華思想」といわれるものだ。

中華思想とは「華夷秩序」とも呼ばれるもので、君主を中心に漢民族こそが文化的道徳的に優れており、周辺の異民族は野蛮な劣等民族とみなす思想体系だ。この思想は孔子の頃には既にあったと考えられており、そこでは朝鮮や日本は「東夷」=好戦的で野蛮な民族として扱われ、それらの国との国交は対等ではなく「朝貢」として主従関係を前提として行われてきた。

またこの中華思想では「国境」という概念はない。それは世界の中心が漢民族による王朝であり、その中華の光の届かぬところは蛮地(四夷)であり、蛮地を束ねた者たちが朝貢してくるのであればその蛮地の「王」としての官位を与えると考える(ex.親魏倭王)という発想だ。つまり中華思想の秩序の一部に位置づけるという形をとる。

そう考えると、彼らが言う「固有の領土」とは、少なくとも東アジア一体がそうであり、四夷(東夷、北狄、西戎、南蛮)が明確に治めている領土はともかく、それ以外のグレーゾーンについては「自分たちのモノ」という想いがあるのだろう。そもそも対等でもない国々が自らの領土を主張することが許せないのだ。

とはいえ、そんな主張は近代国家間では通用するはずがない。尖閣諸島の問題に戻ると、中国側の主張としては、「1403年(明代)に著された『順風相送』という書物に釣魚台の文字がある。 また1534年の冊封使・陳侃(チン・カン)の報告書である『使琉球録』にも「釣魚台を目印に航行した」との記述がある。 これらのことから、明の時代にすでに中国人が釣魚台(尖閣諸島)の存在を知っていたのは明らかであり、釣魚台を最初に発見したのは中国人である」ということになる。

しかしそこは同時に琉球の漁民であれば当然知っていた島であり、日本はその島の存在を知っていたかどうかではなく、国家に「占有」する意思があったかどうか、国家の一部として取り扱かう意思があったのかどうかを前提にしている。それは国際法上も、「発見は未完の権原である(実効的占有が行われなければ領有権の根拠にならない)」との見解とも合致する。

中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めるのは1971年。68年の東シナ海海底調査で石油埋蔵の可能性が指摘されていこうであり、それまでは琉球政府に帰属するものとの意識が強かった。

結局のところ、日本と中国の主張の根本的な違いは、近代的主権国家として近代法・国際法に則った主張を認めるのか、それ以前の歴史的思想体系(中華思想)や主従関係を前提に考えるかという、思想の違いがあるのではないか。いくらその主張が近代国際法的に正当性があったとしても、周辺諸国が領土を主張するということは、漢民族の王朝が周辺の異民族から攻撃を受けているのと同じ構図なのだから。

近代化・西洋思想化が日本より遅れてスタートし、さらには共産主義・一党独裁体制と未だに近代市民社会の精神が根付いていない中国。この問題に納得感のある解決が行われるためには、中国の民主主義が成長するまでないのかもしれない。



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1 コメント

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日本民族 (日本民族)
2012-09-30 20:40:22
あなたは、ご自分が何者か知らないようですね。まず、「Y染色体ハプロタイプD系統」をインターネットで検索し、ご自分が何者か知って下さい。(デマも多く含まれるので、自己責任で確認して下さい。)中国民族が誕生するはるか前に、日本人(D系統D亜型D2民族)は、東アジアにいたのですよ。「中国人、朝鮮人」と「日本人」は、見た目が少し似ていますが、全くの他人種ですよ。(Y染色体ハプロタイプD系統を調べれば何を言っているか判りますよ)
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