幕末時代、将軍家と天皇家の公武合体のために仁孝天皇の娘で、孝明天皇の異母妹の皇女和宮は、第14代将軍・徳川家茂の妻となります。
しかし、有吉佐和子の小説「和宮様御留」の中では、和宮は替え玉だったということになっています。
なぜかというと、子供の頃、足が悪かったという記録があったのに、勝海舟の語ったことを書いた「氷川清話」の中で、和宮が夫の草履を直すために、ぴょんと飛び降りたとあるからです。
氷川の大ボラ吹きと言われた勝海舟の語った「氷川清和」は、後になって信憑性は疑われていますが・・・。
それから、和宮の墓を掘り出した時、遺骸の足はどこも悪くなく、左手首がどこにも無かったからです。
和宮の肖像画は、どれも手を着物の下に隠しています。
唯一左手の指が見える写真がありますが、これは不自然で、作り物だという説もあります。
それで、「和宮様御留」では、替え玉説を説いています。
全ては、藪の中ですが、明治になってから勝海舟の家に和宮(静寛院)と第13代将軍の妻であった篤姫(天璋院)が来たことがありました。
かつては、仲の悪かった二人ですが、江戸城を明け渡す頃には、仲良くなっていたので、遊びに来たわけです。
昼食の時、二人とも、お櫃のごはんをよそいたいと言い出しました。
その時、勝がもう1つしゃもじを用意させて、互いのごはんをよそわせたのです。
このエピソードは、NHKの大河ドラマ「篤姫」の最終回に出て来ます。