まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

牢獄から賛美へ

2009年12月31日 | まんが

「PRISON TO PRAISE」のタイトルは「牢獄から賛美へ」になりそうです。
ところで、ジョージ・ミュラーのまんがのタイトルを、「ジュージ・ミュラー物語」にしょうかと祈っていた時、思いの中に「ブリストルの風」と言うタイトルが浮かびました。
良く、ジヨージ・ミュラーの事を、「孤児の父」と言いますが、「『孤児の父』とは、神様のことだと聖書には書いてある。」とジョージ・ミュラー自身が言っています。
だから、タイトルは、「ブリストルの風」~ジュージ・ミュラー物語~にしました。
今日は、「牢獄から賛美へ」のストーリーを2回分作りましたが、下絵やペンが大変そうです。
2010年は、まんがの働きも本格的になるので、うれしいですね。

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栗きんとん

2009年12月31日 | Weblog

1930年代のアメリカの資料が欲しいから古本屋に行こうと思い家を出ましたが、まっ黒な雲がどんどん広がってきて風も強くなってきたのであきらめて帰ってきました。
途中で、駅前の安売りのスーパーによると、昨日は、お正月用品でいっぱいになっていたケースがすっかりからになっていて、人もあまりいない状態でした。
昔と違い24時間のお店やコンビニが、お正月でも開いているので、不便さは無くなりました。
それでも、みんな同じものを食べるのですね。
私は、好き嫌いが多いので、伊達巻きと厚焼き玉子とかまぼこと豆類と栗きんとんがあれば良い方でが、結局何も買いませんでした。
昔、サツマイモと栗で、栗きんとん饅頭をたくさん作ったことがありましたが、金沢の友人は、伊達巻きも自分で作るそうです。
スーパーの甘すぎる栗きんとんより、小布施の栗きんとんが大好きなので食べてみたいですね。

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ヤヌス

2009年12月31日 | Weblog

今日で2009年も終わり、明日から2010年ですが、1月の英「January」は、ローマ神話に出てくるヤヌス(ヤ-ヌス)と言う神から来ています。
この神は、出入り口と扉の神で、過去と未来を表し、1年の終わりと始まりの境界に位置し、1月をつかさどる神なので「ヤヌスの月」から「January」となりました。
これは、人間の作った偶像ですが、天地宇宙を造られ、人間を造られた真の神様は、昨日も今日もとこしえまでも変わることのないお方です。
新しい年こそ、人の作った神ではなく、人を造られた神様を礼拝しましょう。

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新たな三位一体?

2009年12月30日 | 聖書

良く料理で食材がうまく混ぜあわされていることを、三位一体になっていると言いますが、この三位一体はキリスト教からきた言葉です。
キリスト教の神は三位一体で、簡単に言うと、「父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神は神であり、唯一である。」となります。
ここが、ずれているのを異端と言います。
ところで、ユージン・ピーターソンと言う方が「新たな三位一体」が現代のクリスチャンの中にあると警告しています。
それは、「私の聖なる欲求・私の聖なる必要・私の聖なる感覚」の「新たな三位一体」が優先され、聖書を読む時も、自分の気に入らないことは受け入れないと言うものだとある雑誌に書いてありました。
そういったクリスチャンは、真実の神の声を聞くことができません。
私たちは、自分の欲求を捨て、神様の御心をとらえ、それに聞き従って行く時、最善に生きることができるのです。

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約束の成就の時

2009年12月30日 | 聖書

猫のヤベツちゃんが死んで数年経ちますが、最近は、動画の猫を見ながら楽しんでいます。
本当にかわいいのが多いですよ。
ローマ4:21「神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」
今年度は、約束の成就の年だと言われていますが、神様は、まず御言葉や示しを通して約束を与え、それが成就するまであらゆる方法を持って私たちを試されます。
なぜでしょうか?
もし、御言葉や示しがなかったら、私たちには、神様の計画が分かりません。
分かった後、祈りを積み上げて行きますが、御心でない時は途中で祈りがストップされたりして分かるようになります。
しかし、本当に神様から来たものであっても、あまり約束の成就の時が長いと、あきらめてしまったり、神様に対して恨み事を言ったり、自分の方法で無理やりこじ開けようとします。
そういう待っている時こそ、自分自身の信仰があらわにされ、弱さを知るのです。
そこで、自分の能力ではなく神様にだけより頼むことや、忍耐を学ばされ信仰の足腰を強められます。
時が来たときは、すごいスピードで進んでいくので信仰の足腰が鍛えられていないと倒されてしまます。
そのために、成就までの時間があり訓練があります。
とうとう、約束の成就の時が近づいて来ましたが、これは何も問題のない天国に入ることではなく、戦いが本格的になると言うことでもあるのですよ。

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