まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

バックアップ

2010年09月30日 | Weblog

ジョージ・ミュラーの年表が、見つかりません。
どの作品にも、自分なりの年表を作り、すでにできているラフのコマ割りに合わせて、それを見ながら作品を描いているからです。
この間使ったのに、どこにもないので、いのりつつ何日も探していますが、行方不明です。
いつも何か探すときに見つからないので、しばらくそのままにして仕事をしていますが、思いもかけない時に見つかりるものです。
しかし、はたと気が付いたのは、データーをバックアップしていたということです。
それで、助かりました。何でも、バックアップしておくことは大切ですね。

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白衣の天使

2010年09月30日 | Weblog

初期の西欧の看護婦さんは、下品な老女で酒を飲みながら仕事をしていたそうで、偏見と好奇な目で見られていたようです。
しかし、クリミア戦争で、ナイチンゲールが、献身的に働いて、一躍「白衣の天使」にイメージが変わったそうです。
明治時代の日本でも、日露戦争が始まり、看護婦が必要になりましたが若い女性がベッドの男性を看病することで、間違いがあってはならないと言う偏見がありました。
そのため、看護婦の条件の中に、なるべく年を取っていて、美貌でない者というものがあったそうです。
しかし、日本赤十字社では皇室が援助し、妃殿下達が、簡単な医学を学び包帯の替えなどをしたことによって、イメージが変わり今に至っていると黒岩比佐子さんの「明治のお嬢さま」には書いてありました。
母が入院していた病院の看護師さんたちは、献身的でした。
特に、やさしいしゃべり方で声をかけてくださった方と、宝塚の男役のようにきれいではきはきしたお二人には本当に感謝しています。
また、先生が本当に本当にやさしい言い方でした。
病院で、やさしい対応をされると心にしみるものですね。

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別人28号

2010年09月29日 | まんが

み声新聞の連載まんが「ブリストルの風」のジョージ・ミュラーも36歳になったので、私の好きなオールバックの髪型に変えました。
すると、超美系になってしまいました。
髪型一つで、こんなに違うものかと、感心しながら描いています。
また、ジョージの写真はみな白いタートルネックを着ていますが、たぶん牧師としての制服だと思うので、それも着せたので読者の皆さんがびっくりするかもしれませんね。
数ヵ月後を楽しみにしていてください。
なにしろ、別人28号になってしまいましたからです。ははは・・・。

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ミスタードーナッツ

2010年09月29日 | Weblog

お昼の買い物に駅まで行くと、駅前のだミスタードーナッツで、無料で復刻版のドーナッとを無料で配っていました。
レモンのドーナッツを1個いただきました。普段は、あまり油のにおいが好きではないので、買いませんが年に2~3回、お店に行く時があります。
月曜日は、高円寺のマクドナルドでコーヒーを無料だと言っていましたが、中に入らないといけないのでそれは素通りしました。
高円寺を歩いていると、結構ただで何かを配っている時があります。
若者の街なので、歩いているだけで楽しいので、たまには遊びに来てください。
そして、東京アンテオケ教会に顔を出してみてください。
毎日礼拝をしていますよ。

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華族のお嬢様

2010年09月29日 | Weblog

普段でも24時間がずれているのに、徹夜をすると、どこからが一日か分からなくなってしまいました。
友人に、徹夜をしたと言う話をしたら、キムチを食べると力が湧いてくると言われました。
しかし、あまり食べたいとは思わないと言うと、彼女は、甘めのキムチを毎日食べていると言っていました。
これからは、体力勝負ですね。そのためにも、ダイエットをしなければ・・・。
ところで、江戸時代の日本人はあまり太る食事をしていなかったので、ダイエットは関係ありませんでしたが、明治時代に入ると洋食が入ってきて雑誌の中で痩せる薬の広告が出るようになりました。
その中に「ぶとぶとぶとり」と言う言葉が使われていましたが、面白いですね。
この時代の華族のお嬢様は、昔のお殿さまと同じように、みんな覚めた食事をしていました。
なぜかというと、台所から食事をする部屋までは、100メートル以上あり、運んでくるうちに覚めてしまうからです。
さめたごはんと味噌汁とおかず一品が定番だったそうで、食事とはさめた物だっと思っていたそうです。
落語の「目黒のさんま」と同じで、食べるときには、みんなまずくなっているわけです。
みんなでつつく鍋ものは、下品だというので食べたことがなかったそうですが、われわれは庶民で良かったですね。本当に。

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