オークションで欲しかった本を手に入れましたが、たくさんの写真が載っていました。
有名な本なのにその中で娘の写真が愛人の写真になっていたのです。
どうみてもちがうだろうと思いましたが、こんな間違いと言うのも時々あるものです。
また歴史に関しても、どちらから見るかによって評価は違ってきます。
拙著「日本キリスト教史 上」で高山右近が寺社を壊したというところがありますが、研究家の方から「みんなキリシタンになったので、寺社が成り立たなくなって壊したのです。」と注意がありました。
何でも、深く研究しないと作品は書けない物だと思いますが、あまり気にし過ぎると自由がなくなるので難しいところです。
26聖人の作品も後の小説家が書かれた創作の部分があるので、研究家の結城神父にいろいろお聞きして描きました。
三浦綾子さんの「細川ガラシャ」の中にも捜索の人物が出て来るので、そういった部分を見分けながら資料にしないといけないわけです。
ある小説では、ガラシャの侍女がガラシャに変わって秀吉に会い行き、忍者のような働きをしたというかなりおかしな作品もあり、びっくりしたことがありました。
何でも、作品にするのは難しいですね。
昨日は、3年間毎月ライブをさせていただいた飯田橋のラムラの最後日になりました。
中央区と新宿区を挟んだ都心の真ん中なので、ポイントの場所でしたが、ここでのお役目が終わったのだと思います。
最後のライブを見ながら、本当にここで3年間もさせていただいてありがとうございましたと祈りました。
感無量でした。
6月からいろいろ変わるので、自由にできるライブは「やすらぎの歌」がたぶん最後になったと思います。
写真を撮ろうと思ったら、突然携帯電話が何の反応もしなくなり壊れてしまいました。
6月から働きが本格的になるまえに、いろいろ問題が許されますね。
毎日感謝です。
この間、2年ぶり甥に会いましたが、子供の時のことを思い出しました。
下の子が生まれてすぐに、甥が肺炎にかかり、今母がいる病院に入院していました。
私は、生まれたばかりの下の女の子の世話をしていましたが、時間を見つけて病院に見舞いに行ったのです。
甥がぐっすり寝ていたので、頭に手お置いていやしの祈りをしました。
すると突然目が開いて、私の顔を見るなり開口一番「バカ!」と言ったのです。
なんで「バカ」なのか分かりませんでしたが、懐かしい思い出です。
その後に、動物園に行った時、売店で買い物をしてベンチで甥と一緒に座っていると、お店の人達がこちらを見ながら「親子でそっくりだね。」と言っているのが分かりました。
親族と言うのは、やはりどこか似ていますね。
母の抗癌剤投与の結果は、1ヵ月くらいたたないと効果が分からないそうです。
投与の日は、数時間動いてはいけなかったので夜中に両足をつって痛かったそうです。
感謝なことに、B型肝炎かもしれないと思っていたら、昔その疑いがあったそうですが、今は全く関係ないと言われました。
肝硬変と肝臓癌ですが、抗癌剤の副作用も熱だけで吐き気や頭痛も無く守られています。
次の日に、お医者さんが回診にこられた時、寝てばかりいるとなまってしまうからと言ってトイレの帰りに談話室でお話をしていたそうです。
次回にまた抗癌剤を入れるときは、泊まりで付いていてあげたいと思っています。
いろんな方々にいやされるようにお祈りを頼んでますが、本当に感謝です。
日本語と英語で良く似た発音の単語がありますが、明治の初期の笑い話にこんなものがあります。
外国人が、お店にいた時よく犬が入ってくるので、みんな「Come! Come here!」と呼んでいました。
だから日本人は、犬のことを英語で「カメ」だと思っていたのです。
クララのお兄さんで後の赤坂病院のホイットニー医師は、日本に来たばかりの頃、お母さんの好きなペパーミント・キャンデーを買いに行きました。
ミントは、日本語で「ハッカ」だと聞いていたので、「ハカ1ポンドください。」と言ったのです。
どこのお菓子屋に行ってもないと言われ笑われてしまいましたが、「墓石1ポンドください。」と勘違いされたのです。
現代の話では、都心の外人の多い地域の花屋さんに、外人が来てよく「ボケをください。」と言うそうです。
ボケと言う梅に似た花がありますが、春に咲く花なので初めの頃「今はありません。」と答えていました。
なんと、それはボケの花ではなく「ブーケ」つまり花束のことだったのです。