まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

トミー・ポルカ

2011年03月31日 | Weblog

1860年、幕府は通商条約批准書交換のために、使節団は米艦「ポーハタン号」に乗ってアメリカに行きました。
この「ポーハタン号」は、7年前にペリーが再来日した時に、乗ってきたものです。
この時、勝海舟は咸臨丸に乗り、日本人初の太平洋横断を指揮したと言われていますが、実際は船酔いで部屋に閉じこもっていたと言われています。
この使節団の中に、最年少の英語通訳見習いの立石斧次郎(16歳)がいました。
彼は、愛嬌があり英語もできエキゾチックな顔が、アメリカの婦人たちの憧れの的になったのです。
ちょうど韓流のヨン様状態だと思います。
愛称は「トミー」と言われ、毎日、新聞に彼の記事が写真やイラスト入りで載ったのです。
もっとすごいのは、「トミー・ポルカ」という彼をたたえる歌までできて大流行したのです。
幕末明治の資料を見ていると、彼の横顔のイラストしか出てこないので、どれだけかわいかったのか気になっていました。
そこで、ネットで調べてみましたが、「うーん」でしたね。
正面の写真がたくさん出てきましたが、まあ普通よりチョツと整っている感じでしたが、20代中ごろに見えました。
本来の目的と違うブームが起きた訳ですが、使節団の人々も驚いたでしょうね。
「トミー・ポルカ」も聞きましたが、かわいい曲でした。



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石井筆子

2011年03月31日 | まんが

2月に長崎に行った時、古本屋で見つけた「無名のひと・石井筆子」と言う本を見つけました。
石井筆子は、知的障害児の滝乃川学園の石井亮一の奥さんです。
もともと彼女は、長崎県大村の上級武士渡辺清の娘ですが、明治10年に17歳で東京のクララから英語を習っています。
このお父さんは、西郷隆盛と勝海舟の会見の時、隣の部屋にいて、江戸城の無血開城に係わった人です。
筆子は、フランスにも留学経験があり、鹿鳴館の花と言われた美人でした。
しかし、23歳の時、親が決めた人と結婚して九州に帰ります。
夫は、秀才でしたが体が弱く、長女は知的障害児で、下の2人の子供は夭折し、夫も亡くなりました。
そして、25歳の時、長女と一緒に洗礼を受けました。
その後、知的障害児の滝乃川学園の石井亮一と再婚し、生涯を子供たちのために捧げました。
4年半前、彼女の生涯が、映画「母の灯火、小さき者を照らして」になりました。
お父さんの弟にあたる叔父さんは、彼女が再婚する時、周りの反対を押し切って助けてくれました。
石井亮一は、筆子より6才も下だったので、当時としてはあり得ないと大反対されましたが、叔父さんが「2つくらい上ならいいだろう。」と言って戸籍の年齢までも変えて結婚させたのです。
そして、石井亮一亡き後、叔父さんはキリスト教の学園である滝乃川学園を援助してくれたのです。
この叔父さんの渡辺昇さんは、明治3年、浦上のキリシタンが全員捕縛され、各地に流された時、実際に浦上に行って指揮をした人でした。
今の警察の高官に当たる人です。
拙著「日本キリスト教史 下 浦上キリシタン物語」にもワンカット出てきますが、写真はもっとふっくらした温厚そうな方でした。
何でも、調べてみないと分からないですね。

 

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祈りの答え

2011年03月30日 | まんが

10年近く前に描いたまんが「一粒の麦」は、宣教師フルベッキの提案で岩倉使節団が欧米に出発するお話が中心でしたが、ゴーブルやバラの料理人として仕えたサムパッチ、本名仙太郎もたくさん出てきますが、写真がありませんでした。
それで、適当に作って描いたのです。
定期的にネットで調べていましたが、数ヵ月前までは見つかりませんでした。
それが、昨夜相次いで情報が見つかりイラストを手に入れました。
写真は、某美術館所蔵の本の中にあると言うので、電話で問い合わせたところ、昨年出版された歴史の雑誌に貸し出したのが載っていると言うことを教えてもらいました。
その雑誌は、土曜日に、古本屋で数冊買ってきた雑誌のシリーズだったのです。
早速、古本屋に連絡しましたが、その巻はありませんでした。
ネットで調べたら、古本でかなり安く出ていたので早速注文しました。
この10年の間にで、ネットの情報で、かなりいろんな資料を手に入れています。
祈りの答えが与えられて、本当に感謝です。

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サムパッチ

2011年03月30日 | まんが

昨夜の断水は、夜中の3時に出るようになりました。
再び、歯を磨いて寝ようとしたら、右手が痛くて寝られなくなってしまいました。
先週は、毎日資料作りでパソコンを使っていたので右手の人差指と親指の下と、腕の内側の筋の所がずきずき痛むのです。
ところで、昨夜調べ物をしていたら、思いもかけない資料を見つけました。
幕末時代の、漂流民でアメリカに渡りゴーブル宣教師徒日本に来た仙太郎、通称サムパッチのイラストが見つかったのです。
彼は、ゴーブルの後、バラに仕え、その後静岡のクラークに仕えたのです。
また、某美術館でその写真が見つかったと言うことも分かりました。
前に連載していた「一粒の麦」には、サムパッチがたくさん出てきますが、どうしても写真が手に入らなかったのです。
某大学の資料の中にあると言うことだけは分かっていましたが、手に入れることはできませんでした。
これから、いろいろつてをたどって何とか手に入れたいと思っています。
まず、お祈りですね。

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断水!

2011年03月30日 | Weblog

夜中の12時をすぎたら、突然断水になってしまいました。
今まで、停電も無くかったので、守られていましたが、水は取っておいたのを使ってしまってありません。
昨日お店に行ったら、一人1本で売っていましたが、断水はなかったので買いませんでした。
やむなく、感謝してジュースで歯を磨き、コーヒーで口直しをしました。
それにしても、お風呂に入って髪を洗った後で、本当に良かったです。
明日の朝には、水が出て欲しいものです。

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