まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

リバイバル4

2016年09月08日 | リバイバル

アズサストリートのリバイバルは、ペンテコステ派の流れになりました。
それから、数十年後の1960年4月3日に、ロサンゼルスの2600人も教会員のいる聖公会のデニス・ベネット司祭が、自分は聖霊のバプテスマを受けて異言で祈るという話を礼拝でしました。
もともと自由神学だったデニス司祭は、聖霊のバプテスマを受けてから、聖書をよく読むようになり、聖書をそのまま信じるものになったのです。
しかし、彼が告白した後、新聞やマスコミに叩かれ、その大きな教会を追い出されてしまいました。
7月に、デニスはシアトルの崩壊しかけた教会の司祭になりました。
この教会で、御霊の9つの賜物(異言・異言の解き明かし・見分け・預言・いやし・知恵・知識・奇蹟・信仰)を用いて牧会したのです。
1年で200人も、教会員が増えました。
このように、自分の教会に残ったままや、教会の教理に立ったまま賜物を用いて行くのをカリスマと呼ぶようになりました。
カリスマとは、ギリシャ語のχάρισμα (恵み、賜物)で、「神より賜った能力」という意味ですが、「神の賜物、恩寵」とも言います。
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リバイバル3

2016年09月05日 | リバイバル
アルメニアにいたデモス・シャカリアンの祖父の時代、ロシアから御霊の賜物(カリスマ)を用いるクリスチャンたちがやって来ました。
そのことによって、彼らの村の者たちは、異言で祈り賜物を用いるようになりました。
その中で、文字も書けないある少年が、やがてアルメニアにいいがたい悲劇が来ると預言しました。
この時、地図さえ見たことのない少年は、逃げる場所の地図を書き、やがてそこにも迫害が来るので、次に逃げる場所を封筒に入れて封印しました。
それは、神様に示された者にしか開けることができないと言われていています。
1885年、少年預言者は大人になっていましたが、間も無くかつての預言どうり迫害が来るから逃げるようにと言いました。
そこで、彼らは少年が昔書いた地図を見て、アメリカに逃げ、ロサンゼルスにやってきたのです。
そこで、祖父は亡くなりシャカリアンの父は、家族を養って働いていました。
ある時、自分たちが祈っている同じような異言が聞こえてきたので、のぞいてみました。
こうして、アズサストリートのリバイバルが起きている教会に、合流しました。
預言を信じないで、アルメニアに残ったクリスチャンたちは、1915年から起きたトルコの進撃で、大虐殺されたのです。
デモス・シャカリアンは、その後、酪農家になり大成功しました。
デモス・シャカリアンは、イエス・キリストの再臨前に神の霊がすべての人に注がれるというビジョンが与えられて、フルゴスペル・ビジネスメンズ・フェローシップ・インターナショナルを作りました。
少年預言者が預言したもう1つの預言は、やがてアメリカに大迫害が起きるので、神様に示された者が封印を開き、つぎに逃げる地を明らかにする日は、そんなに遠くないと思います。



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リバイバル2

2016年09月04日 | リバイバル

シーモアは、黒人だったので、パーハムの授業に出ることができずに窓の外で、学んだと言われています。
1906年に、シーモアは、カルフォルニアのロサンゼルスに行きました。
ある教会で、メッセージをすると、追い出されてしまいました。
しかし、その教会にいた黒人の夫婦が、古い家でよければと、彼らの家に招いてくれたのです。
そのボニーブレアハウスで、集会が持たれるようになりました。
噂を聞きつけた人々が、ボニーブレアハウスに集まってきました。
人々が溢れて、家に入ることができないので、シーモアは、玄関お横にあるベランダに立ってメッセージを語りました。
4月9日に、「主をほめよ!」と叫ぶと、みんなが聖霊に満たされペンテコステの再現がなされた時、家の床が抜けてしまいました。
そこで、かれらは、別の集会所を探しました。
14日に、アズサストリートにあった馬小屋で、火事で半分焼け残った建物を借りて教会にしたのです。
当時のアズサストリートは、墓石屋や馬小屋などがある地域だったそうです。
ここで、御霊の賜物を用いたリバイバルが起きたのです。 つづく
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リバイバル1

2016年09月03日 | リバイバル
1900年、アメリカのメソジスト教会の若い牧師で、パーハムという方がいました。
彼は、信仰に行き詰まっていました。
そこで、聖書を学ぶ学校を作ると、40人くらいが集まり共同生活をするようになりました。
聖書を学ぶ中で、聖霊のバプテスマ・聖霊の満たし・他国のことば・異言という文字に行き当たりました。
これはどういう意味があるのだろうと、彼らは祈り学び始めました。
12月31日の夕方7時に、「彼らの上に手を置くと」ということばを見つけて、彼らも真似をして祈り出しました。
すると、祈られた方々が、聖霊に満たされ、異言で祈り出したのです。
三日間で、そこにいた全員が、異言で祈り出したのです。
しかし、彼らは、新聞雑誌で批判中傷され、チリジリバラバラになってしまいました。
そこで、パーハムと奥さんは、保養地に行き、病のいやしを求めている方々のために祈りました。
目が悪かった女性がいやされ、その後も、次々といやしが起きたのです。
パーハムは、いろいろな所に招かれましたが、彼は学校を作る事に重荷を持っていました。
1905年、パーハムは、ヒューストンに学校を作りました。
そこに、黒人で、片方の目が見えないシーモアが、学びに来たのです。 つづく
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リバイバルが!

2016年07月01日 | リバイバル

昨年の5月20日に、私たちの教会は「リバイバルが始まりました。」と言う、神様からの言葉がありました。
その少し後に、日本に招かれた外国に器からも、「日本にリバイバルが始まった。」と語られました。
今朝、アメリカから放送されているインターネット放送の番組を通しても、日本にリバイバルが始まっているという確認がありました。
これから、その火種が一気に燃え上がるのだと思うと、嬉しくなりました。
その時、漫画を通して多くの方々が救われるようにと祈っています。
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