「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。
地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」
コロサイ 1章 20節
石川啄木の歌の中に「人という人の心に、ひとりずつ囚人がいて、うめく悲しさ」というのがあります。
立派に見える人の心にも、罪に捕らわれた囚人がいて、それをどうすることもできずに呻いているというのです。
このような罪の束縛や敵対関係の中に、イエスの十字架が起こったのです。
神と私、人と人の間に、わだかまっている敵意や憎悪は、どんな小さなものであっても、誰の力でも取り除くことができないものです。
ただイエスが十字架において、血を流すことによってのみ取り除かれ、和解し、平和はつくりだされたのです。
神は「和解させてくださった」のです。神と人の互いの歩み寄りではなく、神の一方的な歩み寄りによるのです。
アダムが罪を犯したときから、束縛の中に入ってしまいました。悪魔の支配下の中に入ったのです。
しかし、キリストが十字架の上で血を流してくださったゆえに、その縄目は解かれました。
実際に、万物が、神が意図されているように回復するのは、キリストが再び来られるときです。
このように、被造物が神の意志に服従しておらず、それゆえ神と被造物の間には敵意があったのですが、
それを御子がその敵意をすべて負ってくださったのです。感謝、
これを信じられるならばあなたはほんとうに自由になれるのです。誰も恨まない、憎まない。
もちろん自分自身にもそうです。 シャローム
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます