マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

解放

2021年06月11日 | キリスト教

「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。

地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」

                               コロサイ 1章 20節

 

石川啄木の歌の中に「人という人の心に、ひとりずつ囚人がいて、うめく悲しさ」というのがあります。

立派に見える人の心にも、罪に捕らわれた囚人がいて、それをどうすることもできずに呻いているというのです。

このような罪の束縛や敵対関係の中に、イエスの十字架が起こったのです。

神と私、人と人の間に、わだかまっている敵意や憎悪は、どんな小さなものであっても、誰の力でも取り除くことができないものです。

ただイエスが十字架において、血を流すことによってのみ取り除かれ、和解し、平和はつくりだされたのです。

神は「和解させてくださった」のです。神と人の互いの歩み寄りではなく、神の一方的な歩み寄りによるのです。

 

アダムが罪を犯したときから、束縛の中に入ってしまいました。悪魔の支配下の中に入ったのです。

しかし、キリストが十字架の上で血を流してくださったゆえに、その縄目は解かれました。

実際に、万物が、神が意図されているように回復するのは、キリストが再び来られるときです。

このように、被造物が神の意志に服従しておらず、それゆえ神と被造物の間には敵意があったのですが、

それを御子がその敵意をすべて負ってくださったのです。感謝、

 

これを信じられるならばあなたはほんとうに自由になれるのです。誰も恨まない、憎まない。

もちろん自分自身にもそうです。 シャローム

 

 

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