マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

裁くな。

2021年04月16日 | キリスト教

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」

                          マタイ 7章 1節

 

人のあら探しをしたり、必要以上に批判的になる事です。この場合、人の言っていること、行っていることの動機までを裁きます。

けれども、はっきりと目に見えるかたちで罪を犯しているのとは違って、人が心の中で犯している罪を私たちは裁くことができません。

人の心の態度や隠れて行っていることは、神のみが知っておられることであり、神のみが正しく裁くことができるのです。

したがってイエスは、「さばいてはいけません。」と言われました。その理由として、「裁かれないためです。」とあります。

 

上司の悪口を言いながら飲むお酒のうまさは格別だといいます。また、私の知人で、どうしても親しめない二人がいました。

ある時共通の友達の悪口を語るうちに、この二人は急速に接近して、無二の親友となりました(?)。

この二人にとって人の悪る口はこの上もない美味のようでした。しかし、人を裁く刀で自分も切られることを知らなければならない。

自分が人を裁くその言葉は、自分も人から言われているのです。知らぬは本人ばかりということがよくあります。

人を切り口鋭く裁く者は、自分は正しいと思い込んでいるからそれができるのです。しかし、どうして自分だけが絶対であると言えるでしょうか。

愛のない無責任な言葉は、人と自分との間の距離を広げます。むしろ私たちは隣人を愛し、距離を縮め、

「何事でも人々からしてほしいと望むこと」を、その通りにしてあげられるものになりたいものです。

 

イエスご自身でさえ、このような裁きは行なわれませんでした。

ヨハネ5:30
「わたしは、自分からは何事も行なうことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、

わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。」

 

聖書並行箇所

ルカ6:37-38
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、

あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される

・・・あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである」

 

 

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