「 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
ルカの福音書 23章 34節
主イエスの三十三年の歩みには何一つ悪いことをしていない日々を送られていました。
最後の裁判のときも、ピラトは何一つとして罪を見出すことはできませんでした。にもかかわらず十字架につけられました。
十字架につけよと叫ぶ群衆と十字架上のキリストとは「 父よ。彼らをお赦し下さい」 という、執り成しの祈りによって
神の愛と罪人の関係が生まれました。
( 彼らが十字架に追いやったのではなく、神の愛が私たちの罪の故に十字架へと向かわれた )
相手のために「よかれと思ったことが却って悪い結果になる」こともありますが。それを拭い去ることは誰もできません。
( 傷は癒えても、傷跡は残るのです。) 主イエスの十字架の死と、執り成しの祈りによって私たちは全て赦されたのです。
十字架上の罪人の一人は主イエスの横に並んで今まさにこの生涯を終わろうとしていました。
この罪人ですら主イエスの死によって赦されたのです。キリストの赦しには、同じ罪を繰り返さない努力、
人を許して受け入れようとする意志を生み出す力があります。
聖書からすこし。
ルカ 6:27
「しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。 」
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