「 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」
マタイ 5章 6節
「 ああ、飢えて死のうとする人が食物を求めるように、あるいは、渇いて死のうとする人が水を求めるように、
全な義を慕い求める人の、幸いよ ! その人は本当の満足を得ることができるであろう。」 バークレ―訳
「 幸い 」とは、神の祝福を受けた者としての喜びです。必ずしも自分が成功することではありません。
「 義に飢え…」とは、神との正しい関係、神のみ心に従うことをひたすら求める人のことです。この人の追及は
飢えや渇きが満たされるまでやむことはありません。このような人を神はご自身との正しい関係に入れてくださるのです。
さて、肉体の渇きは水を飲めばおさまりますが、聖書にある渇いたものとは、どういうことでしょうか。
それは心から溢れるような喜びのない状態、心の中の欠乏を表しています。愛すべき夫を愛せない、
愛すべき子供を愛することができない。これは心が欠乏して豊かさを失った現実の姿です。
この欠乏は何によって補えるのでしょう。
アメリカの年老いた、ダーク博士は言っています。日本には偉大な点が三つあると。
一つは、一夜にして明治維新を起こし民主主義に加入した。二つ目は、戦後、裸から世界の経済大国になった
三つ目は、神社、仏閣を中心に村や町をつくり助け合ってきた。と・・・・・・ 。
日本人の誇りを取り戻し、絶えず呼んでおられる神へ帰ることです。独り子をこの世に遣わすほどに愛してくださった神は、
己を愛するごとく人を愛しなさい。そして、心を尽くして、思いを尽くし、主なる神を愛せよと言っておられます。
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