「神よ、わたしは貧しく、身を屈めています。速やかにわたしを訪れてください。
あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。主よ、遅れないでください。」
詩編 70篇 6節
この詩編は伝統的に受難節に読まれてきました。十字架につけられた主イエスの祈りと通じるものがあるからです。
私たちの信仰はしばしば緊急性、切迫性が感じられるところで試されます。つまり、私たちが緊急性、
切迫性として感じられる状況では、助けが遅くなってしまったら大変だという恐れが背後に隠れています。
そんな私たちの恐れに対して、イエスは「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と問われます。
神を信頼するということがどういうことかを探られることばです。
また、信頼するとは、一見、緊急を要する状況の中でも主にあって安心することです。
そうした主を信頼することから生まれる心の余裕を持つことが、本当の信頼することだと信じます。
祈りは、私たちに与えられている特権であり、人生の奥義です。(シークレット) 祈りについて三つのポイントで考えました。
第一は、「悩む者、貧しい者です」と正直に魂を裸にして祈ることです。自分の実情を認め、
偽善や見栄の衣を脱ぎ捨てて祈る、悔い改めた魂の祈りこそ神に聞いていただける祈りです。
第二は、魂の緊急性からくる本音の祈り、本気の祈りを捧げることです。
この作者は「神よ、私の所に急いできてください」と祈っています。どうしても今、助けてもらわなければだめなのです、
と本気で願い求めるとき、父なる神は神の子供たちの叫びを聞いてくださらないことがあるでしょうか。
第三のポイントは、神こそ私を助け、救ってくださるお方だと確信して祈ることです。この祈りの秘密を私のもととしたいものです。
( ダビデは王ですから物質的には貧しくないですが、霊的には自分は貧しいことを知っていました。
主がおられなければ自分には何もないことを彼はよく知っていました。私たちはどうでしょうか。)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます