資料作りにほぼ貫徹、日中は他のお仕事。
となるとさすがに集中力も切れるし、
何より尋常じゃないくらい目が疲れる。
締め切りがない分ライター仕事より「気楽」ではあるけど、
改めて漫画家さんってスゲェなあって思います。
主題の「0から1」という考え方は、
幼い頃から僕がこだわり続けていたものです。
だけど、オッサンになって競技に参加したりするまで、
ずっとずっとずっと模索していました。
「自分には、一体どんな“1”が生み出せるのだろうか?」って。
そんな特殊能力も、天賦の才も、自分にあるのだろうか?
なんて悪戦苦闘しながら、オリジナルの分野にこだわり続け、
探し求め続けてきました。
さっき言った、漫画家さんとか音楽家とか。
あるいは、誰も思いつかなかった革新的な技術の発明とか。
そういう「特別なオリジナル」に執着しちゃってたんですね。
幼い頃には兄の真似して漫画描いたりもしてみたし、
ハタチ前後にバンドを組んで、オーディションに応募したことも多々ありました。
デモテープ送ったり、ライブハウスの世話になったり。
だけど、どれもシックリこない。
どうも面白くない。だからなのか、どうしても没頭できない。
「これ、違うんじゃねぇかなぁ?」と思う事だらけでした。
思うに、
全くの0空間から1を生み出しそれをビジネスに昇華させる事など、
実は誰にも出来やしない事なのかも知れません。
というのは、僕がこの世でたった一人尊敬・敬愛・傾倒する、
一人の創業者を改めて思えばこそ、なおさらにそう感じるのです。
『本田宗一郎氏』
あのエネルギーと情熱と探求心の塊のような人物であってさえ、
無の空間にいきなり二輪車と四輪車を生み出した訳ではない。
様々な部品、様々な資材、もっと言えば化石燃料を動力化する技術。
それらは、先人たちが血と汗と魂を捧げて生み出し、継承してきた宝物だ。
本田氏は確かに既存の枠に囚われない型破りな人物であり、
若い頃から浜松の発明王と称されていた偉人です。
だけど彼だって、多くの先人の知恵や家族・仲間の支えあってこそ、
その本分に辿り着く事ができたのではないか。
それらがあったからこそ突っ走り、素晴らしい人生を完遂なさったのではないか。
だとするなら、自分がこだわり続けた「全くの0、全くのオリジナル」など、
こだわり続ける意味がどこにあるのだろうか?と思った。
人類は、伊達に何千年も歴史を紡いできた訳じゃない。
虚仮や酔狂で、70億人もいる訳じゃない。
自分は何がしたいのか。
自分に何が出来るのか。
それを僕には、嫁さんと競技とクライアントさんと相棒が、
言葉ではなく「想い」で教えてくれた気がします。
僕なりの「オリジナル」を。
でも実は、
人は誰しもが心に「0」を持っていて、
日々それを「1」に変える為に生きているのかも知れない。
話をビジネスに限定した場合、そこは飽和に満ちた世界なのかも知れないけれど、
人の心ばかりは実は無限なのではないか。
と、思ったり思わなかったりする、貫徹明けの今日この頃。
となるとさすがに集中力も切れるし、
何より尋常じゃないくらい目が疲れる。
締め切りがない分ライター仕事より「気楽」ではあるけど、
改めて漫画家さんってスゲェなあって思います。
主題の「0から1」という考え方は、
幼い頃から僕がこだわり続けていたものです。
だけど、オッサンになって競技に参加したりするまで、
ずっとずっとずっと模索していました。
「自分には、一体どんな“1”が生み出せるのだろうか?」って。
そんな特殊能力も、天賦の才も、自分にあるのだろうか?
なんて悪戦苦闘しながら、オリジナルの分野にこだわり続け、
探し求め続けてきました。
さっき言った、漫画家さんとか音楽家とか。
あるいは、誰も思いつかなかった革新的な技術の発明とか。
そういう「特別なオリジナル」に執着しちゃってたんですね。
幼い頃には兄の真似して漫画描いたりもしてみたし、
ハタチ前後にバンドを組んで、オーディションに応募したことも多々ありました。
デモテープ送ったり、ライブハウスの世話になったり。
だけど、どれもシックリこない。
どうも面白くない。だからなのか、どうしても没頭できない。
「これ、違うんじゃねぇかなぁ?」と思う事だらけでした。
思うに、
全くの0空間から1を生み出しそれをビジネスに昇華させる事など、
実は誰にも出来やしない事なのかも知れません。
というのは、僕がこの世でたった一人尊敬・敬愛・傾倒する、
一人の創業者を改めて思えばこそ、なおさらにそう感じるのです。
『本田宗一郎氏』
あのエネルギーと情熱と探求心の塊のような人物であってさえ、
無の空間にいきなり二輪車と四輪車を生み出した訳ではない。
様々な部品、様々な資材、もっと言えば化石燃料を動力化する技術。
それらは、先人たちが血と汗と魂を捧げて生み出し、継承してきた宝物だ。
本田氏は確かに既存の枠に囚われない型破りな人物であり、
若い頃から浜松の発明王と称されていた偉人です。
だけど彼だって、多くの先人の知恵や家族・仲間の支えあってこそ、
その本分に辿り着く事ができたのではないか。
それらがあったからこそ突っ走り、素晴らしい人生を完遂なさったのではないか。
だとするなら、自分がこだわり続けた「全くの0、全くのオリジナル」など、
こだわり続ける意味がどこにあるのだろうか?と思った。
人類は、伊達に何千年も歴史を紡いできた訳じゃない。
虚仮や酔狂で、70億人もいる訳じゃない。
自分は何がしたいのか。
自分に何が出来るのか。
それを僕には、嫁さんと競技とクライアントさんと相棒が、
言葉ではなく「想い」で教えてくれた気がします。
僕なりの「オリジナル」を。
でも実は、
人は誰しもが心に「0」を持っていて、
日々それを「1」に変える為に生きているのかも知れない。
話をビジネスに限定した場合、そこは飽和に満ちた世界なのかも知れないけれど、
人の心ばかりは実は無限なのではないか。
と、思ったり思わなかったりする、貫徹明けの今日この頃。