こんな時代です。
人の涙の意味が、時に薄っぺらく、時に歪んで受け取られてしまう。
そんな虚しい出来事が、疑いもなく罷り通ってしまう時代。
そして
悔恨や絶望の淵に立った人が流す事が大層多くなってしまった時代。
考えなくとも涙は
嬉しい時にも、報われた時にも、愛情の延長上でも、
流すものではないでしょうか。
そんな誰もが知っていながら忘れがちになっている、時代に。
こんな時代に
11月4日、僕の大切な人が、苦労の果てに結婚式を挙げました。
たった一人の兄貴。
時に親に替わり、厳しく叱ってくれた人。
時に親友のように、共に抱腹絶倒してくれた人。
僕が知る中で
誰よりも純粋で、誰よりも不器用で
賢き中にうっすらぼんやりと隙を含ませながら
それでも誰よりも優しい涙を流せる人。
父に似た、優しい沈黙を持てる人。
今時珍しいほどに多くを望まぬ欲浅き、愛すべき朴訥。
その人の背中を、昔も今も僕は無意識に、時に必死に追っていた。
ある時
人の性に打ちひしがれ、それでもその人を責めず、
ただ項垂れながら泣き崩れたあの人の姿を見て
僕は本当の意味で、特定の人の幸せを心から願った。
凡そ自分以外の何者をも慮れなかった、青瓢箪だった僕が
初めて利己を忘れて祈る事を知った。
その人がとうとう幸せになった。
ずっと追い続けた背中は、式場で今までにない輝きを放っていた。
ああ長男だな、でかく見えやがる。
誇りに思ってきた。
子供の頃から、ずっと。
相も変わらず、こんな幸せを謳歌すべき時にまで
貴方は朴訥で、幼き頃のままに欲浅なんだな。
それも誇らしい。
俺はこの人の弟なんだぞ、誉れだろう、と
自己紹介してやりたかったぞ、誇らしい。
ああもう泣いた泣いた今日は泣いたぞ。
我慢しても出てきやがる、我慢するだけ無駄と言わんばかりに出てきやがる。
嫁が呆れるほど涙が出るわ。
もう知らん泣いたぞ弟は。
コンタクトレンズが目玉の中で2回転半捻りの宙返りをしやがった。
終いには涙と一緒に手にコロリと出てきたちくしょう。
主役の兄貴が毅然としてるのに、なんとまぁ弟のだらしなさよ。
しかもそこで泣くか?という、兄貴が嫁さん連れて入場しただけの場面で。
父が本当に嬉しそうだな、孫を見る嬉しさとはまた違うかい。
母は僕が泣いてるのをみつけて泣いてやがら、ありがとう。
姉貴は二人も子供抱えて豪快に祝ってる、体育会系め。
もう悲しみに涙を流す事はしたくない。
疲弊した時代の中でも、誰もが喜びにだけ大泣き出来るようになれば良い。
自分の結婚式でも涙なんぞ出なかったから
うれし泣きなんていつ以来だろう。