最近、どうでも良い人から「人間って、何なんだろう」って聞かれた。
何のために生まれて、何のために生きるんだろう?と、その人は言う。
「知るか」とだけ答えた(笑)
僕よりも10年近くも長く生きておいて、そんな愚問に付き合いたくはない。
そもそも、それを他人に問う行為そのものが、愚問を愚問たらしめるのだ。
僕はその答えを持っている。
そしてまた、誰一人としてこの答えが一致することはないとも思っている。
何のために生まれたかなんて、知るはずがないのだ。
だって、「生まれよう!」って決めて生まれてきましたか?(笑)
気付いたら生まれてたんじゃないの?
「何のため」なんてお題目を予めリュックに背負ってこの世に出てきたわけじゃないのだ。
だったら目的なんてものは自分で決めるだけのモノだということ。
むしろ、そうやって何者かに答えを求めてばかりいるから、
言い方を変えれば他者依存、他力本願でダラダラ生きているから、
いい歳してそんな下らん疑問が思い浮かぶのだ。
そんなもん、僕は5歳くらいに悩んで割り切って生きてきたわい(笑)
50にもなろうかという人間が、5歳児と同じ思考ってどうなのよ。
僕らは宇宙の中を漂う、一粒の素粒子に過ぎない。
その素粒子が、それぞれに「膨張・拡大」を求め、脈々とその血統を紡いでいく。
そのようにプログラミングされているだけだ。
その「膨張・拡大」を、人は「幸せ」と言い換えて生きてきた。
その「幸せ」を求めて、家族・仲間・子々孫々は営んできた。
でもその幸せの中身は千差万別なのだから、答えなどその人間の中にしかないと思うのだ。
飲み会が好きなおっさんもいれば、苦手な若者もいるし。
何時間もダラダラと愚痴や誰かの悪口に興じる人もいれば、それを無駄だと感じる人もいる。
人と集まる事を好む人もいれば、孤独を好む人もいる訳で。
結局、幸せと感じるのは個人の嗜好に拠る。
「何のために生まれて、何のために生きるの?」なんて質問は、
「私の幸せってなに?私の好きな食べ物って何?」って聞くようなものだ。
俺が知るかよそんなモン!ってなるでしょ(笑)
ただ一つだけ言える事は、幸せ=「お宝」は、自分の横一列を見渡してもありゃしないという事。
要は、キズナだ~仲間だ~と眠たいこと言いながら、どんぐりの背比べ相手の顔色ばっか窺って、
アイツはあれを持っている、コイツはこれを持っている、ワタシはあれと同じものが欲しい、なんてやってると
なぁんにも手に入らないし、それどころか欠乏感に苛まれてより一層ドツボに嵌るだけ。
地獄で餓鬼が奪い合う姿、そのものだ。
欲しい欲しいと言いながら、指くわえて横見てて、何かなります?
サラリーマンなんかだと分かりやすい。
ピラミッド型の陣形を組んで、会社組織はお宝探しの旅をする。
先頭を切る社長が一番最初にお宝のオイシイところをがっつり獲得。
次いで専務・常務、その次に部長、課長・・・。
最後尾の平社員は最後、とまぁこうなるわけで。
先頭を走るものが、一番リスクを負う。
だからこそ、取り分も多い。
当然だ。
それを「安月給だ」とか「やってらんねぇ」と嘆いてばかりの人がいるけど、
それは当然の事なのだとなぜ分からないのか不思議だ。
まぁ昨今の「会社組織」が正しく機能してるとは思わないので、その限りではないけれど。
取り分少なくて嘆いてる平社員さんの気持ちは痛い程分かるけども、
それがイヤなら自分のお宝を横に求めるのを辞めれば良いと思いますよ。
己が欲しいものは、己の道の先に、己が見つけるように出来ている。
それは誰にも奪われないし、ずっと貴方を待ってくれている。
だって、そのお宝の価値は貴方にしか分からないものなのだから。
他者は見向きもしないものなのだから。
安心して、己の道の先を見据えて進めばいいのに。
何のために生まれて、何のために生きるんだろう?と、その人は言う。
「知るか」とだけ答えた(笑)
僕よりも10年近くも長く生きておいて、そんな愚問に付き合いたくはない。
そもそも、それを他人に問う行為そのものが、愚問を愚問たらしめるのだ。
僕はその答えを持っている。
そしてまた、誰一人としてこの答えが一致することはないとも思っている。
何のために生まれたかなんて、知るはずがないのだ。
だって、「生まれよう!」って決めて生まれてきましたか?(笑)
気付いたら生まれてたんじゃないの?
「何のため」なんてお題目を予めリュックに背負ってこの世に出てきたわけじゃないのだ。
だったら目的なんてものは自分で決めるだけのモノだということ。
むしろ、そうやって何者かに答えを求めてばかりいるから、
言い方を変えれば他者依存、他力本願でダラダラ生きているから、
いい歳してそんな下らん疑問が思い浮かぶのだ。
そんなもん、僕は5歳くらいに悩んで割り切って生きてきたわい(笑)
50にもなろうかという人間が、5歳児と同じ思考ってどうなのよ。
僕らは宇宙の中を漂う、一粒の素粒子に過ぎない。
その素粒子が、それぞれに「膨張・拡大」を求め、脈々とその血統を紡いでいく。
そのようにプログラミングされているだけだ。
その「膨張・拡大」を、人は「幸せ」と言い換えて生きてきた。
その「幸せ」を求めて、家族・仲間・子々孫々は営んできた。
でもその幸せの中身は千差万別なのだから、答えなどその人間の中にしかないと思うのだ。
飲み会が好きなおっさんもいれば、苦手な若者もいるし。
何時間もダラダラと愚痴や誰かの悪口に興じる人もいれば、それを無駄だと感じる人もいる。
人と集まる事を好む人もいれば、孤独を好む人もいる訳で。
結局、幸せと感じるのは個人の嗜好に拠る。
「何のために生まれて、何のために生きるの?」なんて質問は、
「私の幸せってなに?私の好きな食べ物って何?」って聞くようなものだ。
俺が知るかよそんなモン!ってなるでしょ(笑)
ただ一つだけ言える事は、幸せ=「お宝」は、自分の横一列を見渡してもありゃしないという事。
要は、キズナだ~仲間だ~と眠たいこと言いながら、どんぐりの背比べ相手の顔色ばっか窺って、
アイツはあれを持っている、コイツはこれを持っている、ワタシはあれと同じものが欲しい、なんてやってると
なぁんにも手に入らないし、それどころか欠乏感に苛まれてより一層ドツボに嵌るだけ。
地獄で餓鬼が奪い合う姿、そのものだ。
欲しい欲しいと言いながら、指くわえて横見てて、何かなります?
サラリーマンなんかだと分かりやすい。
ピラミッド型の陣形を組んで、会社組織はお宝探しの旅をする。
先頭を切る社長が一番最初にお宝のオイシイところをがっつり獲得。
次いで専務・常務、その次に部長、課長・・・。
最後尾の平社員は最後、とまぁこうなるわけで。
先頭を走るものが、一番リスクを負う。
だからこそ、取り分も多い。
当然だ。
それを「安月給だ」とか「やってらんねぇ」と嘆いてばかりの人がいるけど、
それは当然の事なのだとなぜ分からないのか不思議だ。
まぁ昨今の「会社組織」が正しく機能してるとは思わないので、その限りではないけれど。
取り分少なくて嘆いてる平社員さんの気持ちは痛い程分かるけども、
それがイヤなら自分のお宝を横に求めるのを辞めれば良いと思いますよ。
己が欲しいものは、己の道の先に、己が見つけるように出来ている。
それは誰にも奪われないし、ずっと貴方を待ってくれている。
だって、そのお宝の価値は貴方にしか分からないものなのだから。
他者は見向きもしないものなのだから。
安心して、己の道の先を見据えて進めばいいのに。