九州を北上し、海の中道に来ていた阿蘇の大河くん、
今頃は日本の真ん中あたりだろうか・・・
北への旅が素晴らしいものになりますように・・・
その頃、Zionは南下して熊本県天草市へ。
昔ながらの漁村の景観が残る崎津集落の中心に白い尖塔が見える。
漁港の集落に教会がある風景・・・
崎津教会。
とても不思議な感じがした。
隠れキリシタンの歴史を持つ地域の教会は、
人家もまばらな山の中などにひっそりと建っていることが多く、
このような集落の中心にあることは珍しい。
それ故、小さな路地を歩いて教会に向かうと、
教会と人々の暮らしの一体感に安らぎを感じた。
ザビエルが鹿児島に上陸してから17年後、
アルメイダ神父により、天草にキリスト教が伝えられたのは1566年のこと。
崎津教会は、1569年に建てられた。
明治以来3度建て直され、現在の教会は1934(昭和9)年に竣工。
ハルブ神父により、禁教時代に踏絵が行われていた庄屋屋敷跡に建てられている。
設計・施工は鉄川与助、鉄筋コンクリートと木造から成る。
堂内は、今では珍しい畳敷きになっている。
教会の近くの岬にはマリア像が海を見守って・・・
神社の行事にも参加するという崎津教会の信者さん。
宗派関係なく助け合う心が日本人らしくて好きだ。
教会のすぐそばにある店で崎津の伝統菓子「杉ようかん」を買った。
後世に伝えようと頑張るおかあさんたちの笑顔と
素朴な美味しさが心に残った。
そして、崎津から大江へ。
丘の上に佇む大江教会を訪れた。
白い教会は、周囲の深い緑に映え、遠くからでもよく見えた。
大江教会は、明治初期に建てられた木造の旧教会堂に替わり、
ガルニエ神父により、1933(昭和8)年に建て替えられた。
鉄川与助の設計・施工、鉄筋コンクリート造り。
1892(明治25)年に天草に赴任したガルニエ神父は、
以来50年(大江崎津兼任、後に大江の主任神父)
この地に尽くし、大江教会に永眠している。
また、1907(明治40)年、与謝野鉄幹や北原白秋ら文豪5人が
ガルニエ神父に会うために旧教会堂を訪れている。
九州の旅の紀行文「五足の靴」に、その時のことが記されている。
夕日が沈む頃、再び崎津に戻った。
岬のマリア様に夕日が重なるのは冬だろうか・・・
今度は、遊覧船から夕日を見てみたいと思った。
いつかまた、天草の教会を訪ねて・・・
今日も会いに来てくれて、ありがとう!
今頃は日本の真ん中あたりだろうか・・・
北への旅が素晴らしいものになりますように・・・
その頃、Zionは南下して熊本県天草市へ。
昔ながらの漁村の景観が残る崎津集落の中心に白い尖塔が見える。
漁港の集落に教会がある風景・・・
崎津教会。
とても不思議な感じがした。
隠れキリシタンの歴史を持つ地域の教会は、
人家もまばらな山の中などにひっそりと建っていることが多く、
このような集落の中心にあることは珍しい。
それ故、小さな路地を歩いて教会に向かうと、
教会と人々の暮らしの一体感に安らぎを感じた。
ザビエルが鹿児島に上陸してから17年後、
アルメイダ神父により、天草にキリスト教が伝えられたのは1566年のこと。
崎津教会は、1569年に建てられた。
明治以来3度建て直され、現在の教会は1934(昭和9)年に竣工。
ハルブ神父により、禁教時代に踏絵が行われていた庄屋屋敷跡に建てられている。
設計・施工は鉄川与助、鉄筋コンクリートと木造から成る。
堂内は、今では珍しい畳敷きになっている。
教会の近くの岬にはマリア像が海を見守って・・・
神社の行事にも参加するという崎津教会の信者さん。
宗派関係なく助け合う心が日本人らしくて好きだ。
教会のすぐそばにある店で崎津の伝統菓子「杉ようかん」を買った。
後世に伝えようと頑張るおかあさんたちの笑顔と
素朴な美味しさが心に残った。
そして、崎津から大江へ。
丘の上に佇む大江教会を訪れた。
白い教会は、周囲の深い緑に映え、遠くからでもよく見えた。
大江教会は、明治初期に建てられた木造の旧教会堂に替わり、
ガルニエ神父により、1933(昭和8)年に建て替えられた。
鉄川与助の設計・施工、鉄筋コンクリート造り。
1892(明治25)年に天草に赴任したガルニエ神父は、
以来50年(大江崎津兼任、後に大江の主任神父)
この地に尽くし、大江教会に永眠している。
また、1907(明治40)年、与謝野鉄幹や北原白秋ら文豪5人が
ガルニエ神父に会うために旧教会堂を訪れている。
九州の旅の紀行文「五足の靴」に、その時のことが記されている。
夕日が沈む頃、再び崎津に戻った。
岬のマリア様に夕日が重なるのは冬だろうか・・・
今度は、遊覧船から夕日を見てみたいと思った。
いつかまた、天草の教会を訪ねて・・・
今日も会いに来てくれて、ありがとう!