マリアヨハンナさんのブログ

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高齢者施設って(1)

2024年02月28日 | ブログ

実家の母が高齢者施設を転居

 2020年の10月に倒れて緊急搬送されて、心筋梗塞であったことからカテーテル手術をすぐに行わないと命にかかわるとのことで、東京の自宅から実家のある三島(静岡県)へのバスや公共交通機関で移動の最中に、救急隊や搬送先の病院の先生との電話でのやり取りをして、電話で手術をお願いしたりと突然のことでした。

前日までは、実家にいてどうも母の様子がおかしいなと思い何度も病院へ行こうと誘いましたが、頑固に大丈夫定期健診で問題ないと言われていると言い続けていたのが、やはり、翌日朝に起き上がれなくなり、手が痺れて動かないという。

本人からの電話で、その日に訪問する業者の応対をしようとしたが出られないと電話があり、慌てて業者の社長に救急搬送を依頼。ただし、家のドアが開かないので、壊してもらうしかないので、色々考えて最寄り警察署に電話で、ドアを壊してもらうのを立ち会ってもらいたいと依頼。警察官2人がすぐに駆けつけて下さり、業者と相談していたら、母が自分でやっと玄関を開けたところで、救急車が到着し搬送してもらえたらしい。警察の方が貴重品の荷物をまとめて救急隊に渡し、戸締りして送り出して下さったと。

本当に感謝。

それから数時間後には病院に到着カテーテル手術を終えた母が、結構元気にベッドで待っていた。「ごめんね」といって。

92歳の母にとっては病院の入院生活は50数年ぶりのこと。1週間ほどベッドで生活していたら、すっかり歩けなくなってしまった。足の筋肉が衰えてしまったのです。

その後に吐血。なんと末期の胃がんが見つかった。当初は出血が止まらず、輸血をすることで何とかもっていたが、数日したら、主治医から、輸血の停止を求められた。輸血用の血液は手術をするなどが無いとこのまま続けられないので、手術をするか止めるか決めて欲しいとのこと。母に聞いたら、「もう十分に生きたから、何もしなくても良い」とのこと。

 その後、私が長年、月経困難(過多出血)症であったことから、貧血の治療として鉄剤投与・点滴や注射に止血剤処方をして20年位暮らしてきたことを伝え、母にも鉄剤投与と一時的な止血剤をお願いした。そうしたら、とてもうまく出血が減ってきた。ただし、胃癌の進行は予想できないので、余命は早くて1週間~2か月、長くて半年と言われてしまった。

2か月ほどしたら、この先は短いだろうから、家族と過ごせる時を持った方が良いとのことで、退院を促された。しかし、コロナウイルス感染拡大の真っただ中、自宅に連れ帰って看病することは難しいので、考えた挙句、旧知のホスピスに入院することを考えた。

 この時気付いたのだが、医者というのは自分の専門のことは詳しいが、専門外のことはあまり良く知らないなあと。私が、貧血の治療をしていなかったら聞いてみることもなかったのだが、心臓の外科医としては優秀だったのかもしれないけれど、婦人科治療のことはご存じないのだなと思った。また、国立の大きい総合病院なので、急性期の病人以外にはあまりその後のケアを考えることもないのかなと思った。特に高齢者は。

 

 幸いホスピスでは、快く迎え入れて下さった。ケアは今思えば最高で、母にとっては天国にいるようだったと。これほど自分のことを大切に扱ってもらったことはないと。コロナで面会は制限されて、部屋に入れたのは最初のうちだけ、そのうち県外の家族は病院内に入れなくなった。病室は1階で中庭からがふぁす越しに、携帯電話で話すことが出来たので、毎週半分実家で過ごし毎日母を訪問。残りの半分は東京の自宅で須吾る日々であった。

社会全体が、コロナ禍であったことは幸いで、通常の活動がすべてストップしていたので、母のところに行くのは余裕であった。いつもしているボランティアも会議は書面開催だったり、教会のミサも参加出来なかったり。

たまに事務受付当番の時や葬儀があった時だけ、ご奉仕に行ってミサに与ることが出来た。

 ところで、母の病気は本当に良くなって、1年がたったころ、さすがに病院(ホスピス)にはこれ以上置いて置けませんと言われてしまったので、病気のことを考えて24時間看護師が常駐しているという高齢者施設に入居することにした。とてもきれいで新しい施設だったし、当初の施設長や相談員もてきぱきしてて良いなという印象だったが、どうも、職員さんと顔を合わせても挨拶もしないし、明るくない。私の方から大きな声で「こんにちは」、「いつもお世話になります」「ありがとうございます」と言い続けていたら、半年くらいしたら、殆どの職員が挨拶をする様になった。

毎日、足しげく通う家族は珍しいく、顔を合わせる回数も多く、顔見知りになったからかもしれない。

コロナで面会は禁止が続いていたが、お願いしていたリハビリなどがしっかりされていないようなので、夏あたりから、母を散歩に連れ出すことにした。外に連れて行くのは良いと言われたので。そのおかげか、歩くのがしっかりとした足取りになって早くなった。食事は全く美味しくないとのことで、母の好きなものを差し入れして、食事に頼らなくても栄養が摂れるように配慮した。トロトロの柔らかい食事ばかりには飽きていて、自宅に連れて行った時や差し入れには、コロッケやらお寿司屋らを食べていたが、結構、体調に異常はなかった。

頭もだんだんはっきりしてきて、痺れを忘れるリハビリに始めた編物もかなり大きな作品が作れるようになった。

毎日、日記も付けているので、何をしているのかを確認しながらの生活。自宅から持って行った花を生けたり、ちぎり絵をしたり、絵を描いたり。

何時までも、職員さんが人によって対応が違うことについて、不満を言っている。そのうち、ちょっとした行き違いで、言葉のやり取りがすれ違ったのか、副施設長の看護師がえらく興奮して、母は手に負えないと・・・。

よくわからないけれど、家族の私は、何があったのか実際に見てやり取りを聞いていたわけではないから、良くわからない。それで、「そちらは、高齢者の扱いのプロでいらっしゃるから何とかうまく対処できませんか?」といったら、更にヒートアップ。「施設長に言います!」と叫んで電話を切った。国語に施設長から電話があり、本人も家族も施設に対して信頼を置いていただけないので退居して下さいと・・・。はて?それほど絵のことを言ったのだろうか?

お医者様が、母から「お薬を6個もいっぺんにのめないので、半分ずつ時間を空けてのんでもいいですか?」といったら、「いいよ。いいよ」と言われたので安心して。他の話は耳に入っていなかったようだ。

その後に「多いのはかわいそうだから少し減らそうかな。」と言ってくださったらしく「鉄剤を1個減らそうね」と言ったらしいけれど。耳の遠い母には届いていなかった。」

それで、母がしっかり確認していないのに、私に「お医者様kら1個お薬を減らすことになりました」とだけ伝えられ。「母は、知っているんですか?」と聞いたら、「知っていますよ」というので、それなら大丈夫ねと、母にもう一度伝えたら、母は、「そんなことは聞いてないわ、誰がそんな勝手なことをしたの」と怒り出した。「2回に分けてのんでいいと言われただけよ」とも。

看護師さんには、正確に伝えて頂けますかと言っただけなのに・・・

なんで???

本当にどうだったのかが判らないから、施設長も職員を失いたくないだろうからと思い、直接訪問する病院に電話をしてみた。

担当の訪問看護師から、かなり詳しく状況を教えて頂くことが出来たが、やはり、本人への確認がいい加減になっていて、呆けている人だったら問題も起こらなかったのかもしれないけれど、本人がしっかりと意識があって考えてるので、納得させないとならない。それが、面倒くさかったんだなと思った。

どちらにしても、8割が認知症や寝たきりや車いすの方がいて、自立出来てるのは1割だけ。だから、どうしても手が回らないからと言われてしまった。

デーサービスもなく、月1回程度のイベントやレクリエーションがあるが、これは、母にとっては書道以外は何も興味弾くものはなくって、それも、声をかける時もあればかけない時もあるなど、一定でない。

 そいうわけで、急いで別の施設を探すことになってしまった。言われたその脚で、役所に行って困っているんですどこかお薦め在り真S年か?と単刀直入に聞いた。

そこで最初に勧められたサービス付き高齢者住宅に早速母を連れて見学に。毎週丁度歯科治療に通っていたので、その帰りにそれとなく連れて。

近くの3か所を見たが、何処も空きはなく、3か月以上はかかるとのこと。それで、連絡を待つことに。

母は、自宅で一人で暮らすから良いと言い始めた。とても、私はそこまで一人暮らしの母を支えられないわよと言っていたら、たまたま膝の半月板損傷や、坐骨神経痛を発症。母よりも歩けない状態になってしまったので、さすがの母も一人暮らしを諦めた。

そうこうするうち、幸い3か月たった昨年暮れのクリスマスの日に、最初に見た施設から空きが出来ましたと。

慌ただしく、契約をし、引っ越し準備をした。

このつづきは、また・・・


友人の突然の死を知って

2023年01月09日 | 人生

人の命が突然来ることは知っていたが・・・

2022年も多くの知り合いが亡くなった(帰天した)。

コロナ禍にあって、2020年5月から”🌸ふと思いたって”、教会に来られなくなった高齢信徒のお宅に、教会の資料や毎週のミサの「説教メモ」、司祭が出す「信徒の皆さんへの手紙」などをお届けしていた。

とても残念なことに、2022年中に3人の方が帰天された。しかも、本当に突然に・・・。

🌸ふと思い立って・・・というのは、

以前に見守りをしていた故下田喜昭さんが、旧田無教会時代(2000年閉鎖)から、長年教会から離れていらした方々のお宅に、毎週、主日ミサの「聖書と典礼」リーフレットや委員会のお知らせ、スケジュールなどを、一軒ずつ回ってポスティングや手渡しされていらした。ご希望のある方には神父様から託された「ご聖体」を持って奉仕をされていらした。

その方々の中には、再び教会へと足を運ばれる方もいらした。

また、家族に信徒がいない方や一人暮らしのの方の場合は、葬儀のお手伝いから納骨までをされていた。他にも、病気の種類が良くわからない方のためには、専門病院にまで自費で付き添われ、適切な診断をしてもらって、介護支援の手続きなどもされていた。高齢者施設を探して入れて差し上げたり、入院時はお見舞いにも行き、状況に応じては司法書士を探して「成年後見人」になっていただく手続きまでも補助されていた。

ご自身が身体が不自由になってきている時に、私にその役目を託したいということで、一緒に皆様のお宅を廻るようになった。

結局、ご自身の時までも頼みたいとのことであったので、ご夫妻にお子様がいらっしゃらなかったこと、また、自宅が我が家から徒歩50歩と近所でもあったのでお引き受けした。

「思い立った」のは、それまで、毎週伺っていた方以外にも、西東京市内の高齢の方々へもお届けすることにしたのである。当初は15軒ほど。市内の東西南北の端っこまで行くことになったが、コロナ太りが酷く運動不足を感じていたので、丁度いい運動にもなった。半年位で一部の方は、教会へ時々行かれるようになったので、お届けを免除していただいたが、皆様、それぞれ教会との繋がりを感じられたと喜んで下さっていた。

私は、教会活動中止となった後も、葬儀のオルガン(聖歌)奉仕、受付当番などに加え、下田さんがコロナ前に亡くなられたので、その、納骨などの準備や連絡で、度々教会へと足を運んでいた。新車購入のために祝福をしていただいたり・・・

毎週のミサの説教メモは、それまで通り出されていることを知って、これを皆さんにお届けしたらどうかなと・・・ご迷惑と思われる方もいるだろうか?とも思い迷ったが、祈り乍らポスティングをしていた。

その方々の中の3人が、2022年中に亡くなった。本当に突然。最後の方は12月24日の夜に倒れられたという。葬儀は28日行われた。勿論、葬儀にはオルガン、聖歌奉仕をさせて頂いた。

その他にも、50代で亡くなられた方は中学2年生の息子さんを残されて・・・帰天。

皆さんとの、教会での思い出を感じながら、考えながら新年を迎えた。

正月2日の日に、電話が入った、年賀状を受け取った友人のご主人からだったが、なんと、2020年の12月に友人が亡くなっていたのだ。66歳。朝6時半のラジオ体操に行き、介護ヘルパーの仕事に行き、息子さんが自宅に戻るのを送って駅に行った帰りに、道で倒れたとのこと。

友人の中では、一番身体が強そうだったのに・・・。その年の夏頃に電話で話したが、コロナ禍でも依頼を受けたら介護ヘルパーの仕事に行っているというので、無理をしないでねと切ったことを覚えている。

人の命は判らない。私の父も、国体にも出たことがあるマラソン選手だった。47歳の若さで亡くなった。

兎に角、皆さんのためにも祈ろう。

 

 


久しぶりに

2022年07月18日 | 日記

随分投稿をしていなかった。

スマホの機種を変えたり、ブログ管理の会社が変更されたりしていたら、何故かブログページが開けなくなってしまいました。

ログインを自動にしていたら、パスワードも判らなくなって…(´;ω;`)

左目の白内障が相当進み、PCを見るのも目が疲れてしまっていたのです。

白内障の手術が5月に終わり、多焦点レンズというのを入れてもらいました。

かすみがかかって見えなかったのが一転して、元通りに見えるようになったのですが、右目は元の目のまま、視力は余り悪くないのですが、老眼はそのままで、やはり眼鏡が必要みたいです。

 

やっとのことで、投稿ページにたどり着きました。

 今日は、取り敢えず試し投稿になります。世の中のコロナは再度感染爆発していて、出かけるのも不安。しかし、実家の母の見守りが必要なので、毎週、東京と三島(静岡県)を往復の生活しています。

実家の庭は、母が植えた植物がどんどん伸びてジャングル状態になっています。雨の間を縫って剪定作業をちょこちょこしているのですが、折角咲いている花々を切るのが可愛そうで、思い切り切れません。

さらに、昨年、枝卸の最中に脚長バチに頭を刺されて痛い思いをしたのもあって、庭に出るのが怖い。蚋(ブユ)やマダニにも気を付けないといけないし。

朝、雨戸をあけると蚊取り線香を庭の真ん中で焚き、草むらにはやぶ蚊ほかの殺虫剤をたっぷり撒き、作業前には枝そのものにもハチの為の協力殺虫剤をまいてから、意を決して作業開始。長袖、長ズボン、帽子は汗だくになり、熱中症は心配だし。

実家の家のケアプラス、自分自身が快適に暮らすために環境整備したりで、自宅の方がすっかりおろそかになってます。

20年続けている地域ボランティアも段々と通常通りになっているので、打合せやら資料作りで忙しくなっていて、呆け防止だと思いつつ頑張っています。年と共に体力の衰えや気力の衰えも感じていますが、これもフレイル予防だと思いつつ頑張っています。

やっと、ブログが書けたことでスッキリしました。


上智大学短期大学部(旧上智短期大学)1期生の会

2022年03月13日 | 同窓会・地域情報

1期生の皆様

早咲きの桜のたよりが聞かれる頃になりました。いかがお過ごしでしょうか?

長い自粛生活で、ご自身の生活が一変した方もいらっしゃることと思います。

去る3月11日に、何年振りかで秦野キャンパスに行ってきました。卒業式挙行の日時に合わせて、現同窓会長のインタビューを受ける形で、創立50周年に向けて記念ビデオ製作を同窓会が企画、1期生としての想い出を話して欲しいということでした。

恩師の殆どは天国に旅立たれ、まだ元気にお過ごしの方々も他大学や個人の所属団体などの活動で、卒業式には先生とお会いすることはありませんでした。キャンパスの建物も、私たちが学んだ校舎とカフェテリア以外にもかなり増えていました。4号館と体育館があります。

写真を撮りましたので、ご覧ください。

            1期生卒業記念樹(やまもも)

尚、2023年に創立50周年になりますので、私達1期生も《金祝》を迎えます。同窓会では、それに向けて計画を立てているとのことです。その際には、同窓会からの案内が来ますので、是非、皆様のご参加をお待ちしていますとのことです。

また、アーカイブとして多くの資料や写真を探しているとのこと。お手元に残っている方がいらしたらお寄せいただきたいとのことでした。また、写真については肖像権などの制約もあるので、個別に問合せさせて頂くかもしれません。

どうぞ、ご協力をお願いしますとのことでした。

また、皆様にお会いできることを願っています。それまでにお身体に気を付けてお過ごしください。

 

追伸、バリー先生はじめ、イエズス会の神父様方は、四ツ谷のイグナチオ教会の地下クリプタ(墓地)に眠っていらっしゃいます。機会がありましたら、お参りください。

 


高齢者施設の課題

2022年02月04日 | 日記

母がホスピスで1年過ごさせて頂いた。本当に感謝。天国のような場所で、手厚い看護をしてくださった。しかし、本来は半年までしかいられないのが、コロナ感染拡大のため、ここまで預かって頂いた。

しかし、これ以上は無理だと言われて、仕方なく介護付高齢者施設に入居することに。

色々と調べた限り、かなり良い条件でケアが望めると考えた。

ところが、再びコロナ感染爆発。個室にほとんどいるだけで、食事やお茶を運んで来てはくれるが、ゆっくりと話をする相手もいない。

今までは、院長先生はしめ、看護師さんが平日は車椅子散歩をして、ゆっくりと自然を鑑賞しながら話をしてくださった。リハビリもほぼ毎日してくださって、掴まって立つのがやっと出来てた母は、歩行器あれば結構平らなところは歩け、部屋の中では生け花生けたり、片付けしたりと同じ場所なら長時間だったりしゃがんだり出来るようになっていた。

ところが、引っ越して僅か1週間で、ほとんど元に戻ってしまったようだ。

 

つくづく、人は一人では生きられないものだと感じる。人々との触れ合いや会話、そのやりとり、自ら考えて工夫して少しずつ進歩していくんだなと・・・。

母が認知症になっていくのではと不安である。なんとかしないと。

 


カトリック 2022年度C年選曲作業資料

2021年12月01日 | 信仰と祈り

過去の選曲のお薦め案と所属教会の実際の選曲の資料をまとめてみました。

私の所属教会では、「カトリック聖歌集」、「典礼聖歌」、「カトリック典礼聖歌集」のほかに、ラテン語の名曲、新曲、子どものための曲など、出来うる限り広い範囲から選曲をしています。

選曲に迷っている教会の方々の助けになればと思います。

2022年C年選曲作業資料.pdf

 

Google Docs

 

 


アートフラワー

2021年10月09日 | アート・文化

2021年作品展出品

タイトル:「昇華」

 今年は、母の見守りで実家との往復を毎週しているため、時間に制限があって製作できるかどうかわからなかった。

 家に置いてあるものでなんとか出来ないかと考えて、5~6年前に買いだめておいた造花を使ってアイデアだけを練っていた。

教会のテレジア祭のためにと考えていたのが「昇華」。幼いイエスの聖テレジアの清い心と純粋な思いを形にと考えた。白い胡蝶蘭をポイントに白バラと。

 色紙にリース型のオアシスを張り付け、それに細い葉の蔓草を土台を囲むように挿し、それに欄とバラといれ、最後に金銀の彩色の細い蔓の葉をいれて、霊の輝きをイメージしてみた。

 提出までには間に合わず、展示申込みを断念。折角なので、近所のコミュニティセンターのまつり(文化祭)に出品。

タイトル:「実り」

 母が生花に使ったと思われるカゴと竹の花瓶が、実家の勝手口のサービスヤードに放ってあったのを見つけ、展示の前日に自宅に戻る直前、こげ茶のスプレー缶で全体を彩色。まだ塗料で濡れているのを袋に入れて持ち帰った。

 数年前から何かに使えるかなと、店で見つけた本物に近い出来の造花〔ススキ、栗の実の枝、赤い実の枝〕を入れて見たら、結構すてきになった。他に、粟の穂など穀物の穂も入れて、100円ショップのスプレー小菊を足してみた。

 コミュニティセンター出品に間に合った。どちらも皆様に好評であった。

もしかしたら、教会の作品展示に追加してもらえないかと交渉。「どうぞどうぞ」との言葉に、コミセンの2日間の文化展のあと、教会へと持って行って展示できた。

 

 

 


神様のやさしさとお恵みを感じて

2021年09月04日 | 信仰と祈り

 神山復生病院(御殿場)の敷地に咲くササユリ・8月

 

本当に思わぬお恵みがありました。

ホスピスに入院している母は、思いのほか体調が良くなり、余命半年といわれていたのがうそのよう。しかし、病院の規定では、体調が改善した場合は一旦退院し、月1回の面談診療を受けることのなっていました。

しかし、退院と言われても、普通食を食べられない(おかゆ様の特別食だけ)上、脚が弱って外を歩けない母一人を自宅に連れて帰るわけにもいかず、自宅が県外の私達子どもが同居して世話するのも難しく、近所に高齢者施設を探すことになりました。

ところが、コロナ禍で施設の見学も面談もできない状態。あちこち探しても条件の合うところはなかなか見つからず、見つかっても家族が県外の人は即時断れてしまいました。

自宅でのヘルパーとか訪問看護なども考えましたが、一人でいる時間が多くなるうえ、段差だらけの築60年近い家にいて、万一転倒して骨折したらと思うと、それも無理だなと。

さんざん問い合わせ、ネットで探し、家族で相談し困り果てて、毎日、ただひたすら祈る日々。病院の玄関前のキリスト像とルルドの前で面会や差し入れに行く度に手を合わせて・・・

ところが、思わぬ提案が病院からありました。

”このまま病院にいてもいいですよ”と。病院長が代わったために対応が変更されたと。

 神に感謝。

ゴールデンウィークから、東京の新型コロナ蔓延防止条例発令から、県外からの面会者は面会禁止となった。

面会に代わって、差し入れをする日々。しかし、病室は1階の庭に面しているため、庭を囲む植木柵越しに母を見ながら携帯で話すことができます。

母は、大好きな編み物をして、手のしびれを忘れるようにしたり、時々、長年の華道教授だったので所狭しと植えられた庭からお花を切って差し入れると自分の病室だけでなく、病院ラウンジのテーブルにも飾ったり。短歌を詠み、スケッチをし・・・

40年以上、地元の高齢者施設のボランティアで、生け花やちぎり絵を教えてきた母に、神様からの大きなプレゼントだわと思っています。

病院から、かなり元気にはなったけれど、そう先は長くないと思われるから、外出したり外泊してもいいですよと言われて喜んでいましたが、再び緊急事態宣言が出て、面会禁止に。残念。

まだまだ、長生きして、自宅に時々連れて帰れるようになるといいなと願いつつ。

新型コロナの感染拡大も不安ですが、毎週帰省で乗る新幹線も1車両に5~10人程度とガラガラにすいていて、指定席のようにゆったりとできるし、普段の奉仕ボランティアも活動が中止か自粛で少し楽なのも、ある意味感謝。

病院の看護師さんも職員さんも明るく優しくよく見て下さる上、修道院のシスターが毎日のように母を訪ねて下さって、お話をしてくださると。なんて恵まれているのでしょう!

誕生日が8月7日でしたが、病院の皆さんがメッセージを書いたカードを作ってくださり、その時にいる看護師さん皆さんで♪Happy Birthday♪のコーラス(^^♪🎵をして下さり、シスター方から花束をいただき、生まれた初めてみんなでお祝いしてもらえたことを本当に喜んでいました。

この場所を知っていたこと、そして、入院できたことが、私ができた最高の親孝行になったかなと。

病院に行く度に、復活のキリストとルルドのマリア様に手を合わせ、ロザリオ一連することもいつものことに。

困ったことが起きても、どういうわけか助け船があるのも不思議。

主の愛を感じる毎日です。


《主の昇天》 祭壇生け花

2021年05月15日 | 信仰と祈り

お花屋さん(信徒)が用意してくださった立派なお花。

包みを開けてからどのように活けようかと思案。

ユリをキリストに見立て、淡いピンクとオレンジのバラを人々の祈りと愛に。

オンシジュームの黄色は輝きに。

付け足した実家の庭からのシュロガヤツリを人々(弟子達、信徒)の驚きと天に差し上げた手の平と心に見立ててみました。

祭壇のアクリルシールドボードに、聖堂後ろの信徒手作りのステンドグラス窓が映り、不思議な感じになりました。


母の病気を通して

2021年04月01日 | 信仰と祈り

去年の秋に突然倒れた母。

一時は、もうお別れかなと覚悟を決めて、コロナ禍で面会制限~面会禁止となり、最初に入院した病院で余後半年から1年と言われたので、色々と知る限りのことを医者や相談員に聞き、相談し、更に治療や投薬の事など尋ねる形で提案した。

本当は、対応に不満があり、先の見通しも、高齢者だから諦めてと言わんばかりに、手術など以外に手を尽くすことを考えないのかしらと、疑いも・・・。

プライドの高い人ほど、頭ごなしにアレコレたたみかけて揚げ足とったら、そっぽを向かれるだけだろうと、やんわり持ち上げるように、此方は、下手で話を進めた。

あとは祈るのみ。

当てにならない処置に、家族で出来る限り母にアドバイスし、栄養補給の飲料や食べ物などを差し入れて、毎日病院に通った。

面会禁止のときは、携帯電話で話し合い。つくづく、携帯を使えるようにしておいて良かったと思った。

多くの友人知人が、本当に良く祈って下さったお陰で、母の病状は良くなり、好きな編み物をし、短歌を詠み、花を生け、スケッチをし、とうとう、カメラを持って写真までとるようになった。昔ながらのフィルム・カメラだけど。

私達はと言うと、転院した病院が自然に囲まれた美しい所で、医者や看護師のケアが抜群によくて、安心して母を任せられ、面会の途上に見える富士山、箱根や伊豆連山の美しさに心が穏やかになった。

早くも3ヵ月半、ホスピスに居るには長くなったので、お約束の半年で暫く退院を考えなくてはならない。母は、とても気に入っているので残念だが。

私も、毎回、病院の玄関前の復活のキリスト像と聖マリア像に祈り、会えることを楽しみにしていたのだが・・・。

全て神様にお任せしよう。