Sanctus from Mass in B Minor - J. S. Bach - Learn the 1st Alto part
新型コロナウィルスの感染拡大で合唱練習がお休みなので自習中。
Sanctus from Mass in B Minor - J. S. Bach - Learn the 1st Alto part
新型コロナウィルスの感染拡大で合唱練習がお休みなので自習中。
最近、小学校時代からの友人達と連絡を取っています。といっても、私の方から特に連絡したわけではないんです。
友人の一人は、「一番安心できる子どもの時からの友達だから・・・。」とか言われて、60数年間の人生、友人、家族、知人、社会、そしてキリスト教についてを意見交換しています。
ミッションスクールに高校まで12年間、一緒に通ったけれど、卒業後はクラス会でたまに会うくらい。 相談事をされたことがあった訳でもなく、一緒に会ったり出かけたりした訳でもなかった。 勿論、結婚式も呼び合うこともなく。 不思議なんです。 何かの気まぐれで、今だけ連絡が来ているだけかもしれないけれど…。
私はといえば、子どもの頃から”人が好き”で、結構こまめに手紙を書いたり、プレゼントしたり。 よく言われたのは、「プレゼント貰うとお返しを考えないとならないから面倒だからいらないわ・・・」と。 結局のところ、それほど好きでもない人から物をもらうのが”うざい”ということだったのかなと気づきました。
こちらからはとっても好きでも、相手が自分のことを好きではなかったということなんだと思います。 嫌われてたかもしれないけれど、私は、何処までも友人知人のことが好きなんです。 プレゼントは贈らなくなったけれども、いつも心の中で人のことを思って(祈って)います。
だから、今は、クラスの連絡係をしています。
もともとは、各年度ごとにクラス役員(同窓会役員)が決まっていて持ち回りをしていました。 途中から、家や個人の事情などで忙しくなったことや、連絡が届かなくなったり、或いは、連絡もらいたくない人からの連絡を避けたいという個人的な意見が多くなって、決まった人が連絡係をすることに。 私はといえば、高校までは同じ学院だったけれど、大学は違うところに行ったので、”仲良しの仲間”には入ってないからと感じて、あまり関わらないようにしていました。 クラス会にだけは出来るだけ顔を出す感じでいたのです。
年を経て、クラスの友人達とは違った関わり方になってきました。子供時代と違い、結婚、出産、育児、介護などなどを経験し、お互いの立場を思いやり合えるようになったり。
不思議な学年で、ほぼ、毎年の様にクラス会か集会(恩師を囲む会など)をしています。 最初はクラス会費を集めていたけれど、出し忘れて何年もたつと高額になってしまって、参加をしにくい人がでて徴収をやめ、連絡を郵送だと経費が嵩むため、ある年からメールですることにしたのですが、それぞれのネット環境が違う為に届かなかったり、返信が無くって放っておいたらメールが届かないだけだったり。 クラス会当日になって、参加する人がいて慌てたり。
5年位前に仕切り直しをした時に、たまたま、パソコンがちょっと出来るということから主に二人で連絡係をすることに。 いろんな方法を相談しながら試し、今は、6人くらいのグループを作って、グループ責任者にまとめて連絡し、その先でグループ内で連絡を取ってもらうようにしています。 それでも、自分の良く知らない人とグループになったからメンバーを変えて欲しいとか、喧嘩をしたからその人からの連絡は欲しくないとか・・・。 会いたくないから今年はクラス会に出ないとか。 それぞれ、個人的な事情あるのでちょっと困ったなと感じたり。 今年度は、PC出来る人がいたので、連絡係はお願いしちゃってます。 60も過ぎると、徐々に高齢化を感じ、話がすぐに理解できないたり、こだわりがあって通じ合えなかったりと…。
大学の連絡係も請け負ってます。 そちらは、何かあった時だけ連絡するので殆ど休止状態。 1年経つと、メルアドが変わってしまって、少しずつ連絡が届かなくなっています。病気で療養生活の人もいたり、寂しいことに天国に召された方もいたりです。 責任を持たされているわけではないので、こちらは届いた限りということにしています。 定期的にクラス会(同期会)を開催するというのも重荷ですし。 最近はSNSで時々連絡とってる人もいます。 Facebook とか、Line とか、気まぐれにですけれど…。 私の方はいつもみんなと話しをしたい気分ですが、お互いに時間が無いことも多いから、適当な時に写真とかつけてアップしたりてます。 ブログも見ている人が一人ぐらいいるかもしれないなと思いつつ書いてます。
教会の先輩であり、キリスト教信仰者としての在り方について多くを学ばせて頂いた仲間・兄弟が帰天しました。
高齢になって、ご夫妻とも身体に多くの支障が出来て、このままではどちらかが重い病気になったら共倒れになってしまうことを懸念し、また、それまでに見守りをした天国へと送ってきた信徒の方々の様子を見て、色々なことを感じて決断。 自宅を処分して高齢者施設への入居をすることにしました。
きっかけは、ご自身の脚の入院時に奥様が倒れて、自力で生活できないことが分かった為でした。
前のブログにも書いた、見守りをしていた方ですが、ご本人も多くの方を見守りし、教会から足が遠のいた方へ少しでも戻れるきっかけになればという思いから、1軒ずつ回ってお声掛けし、聖体奉仕をしていました。 ご自身も洗礼を受けた二十歳のころから、病気の再発や仕事などの理由で暫く教会を離れていたのが、ご自分を支えて下さった人達が教会の人であったこと、また、戻れるきっかけも彼らの声掛けがあったからだったので、支えに感謝する意味も含めて、資料や広報紙を皆様のお宅にポスティングしていました。
教会の人の中には、自宅まで押しかけられて迷惑と感じた方もいれば、すっかり教会から忘れ去られていたのに、届けて声を掛けて下さったことに嬉しいと思う方もいました。
私はというと、聖歌隊の仲間の方で、大きな宗教曲を歌う合唱団にいたのだけれど、高齢になって辞めたからというので、地元のママさんコーラスに誘って15年ほど活動していた婦人が、難病で不自由になったので送迎やお見舞いをしていたところで彼に出会ったのです。 なんだか足がお悪いのに、肺にも支障があって酸素を吸っているのに、良くこんな遠くまで皆さんの所に行かれて「すごいなぁ」と言うのが感想でした。
彼の家が自宅から50歩ほどの近さということもあり、そこから、一緒にお見舞いやら、他の見守りをしている方の所に行く送迎の手伝いをしていました。15年以上も前のことになります。
彼に誘われるままに、あちらのお宅、こちらの病院へと伺いました。 そして、先の婦人を含めて何人かの方のお見送りもしました。 彼と一緒に葬儀の相談や準備もして・・・。 色々なケースがありました。 お子様がいらっしゃらない方、家族に信徒がいない方。 親子の関係が良くなくて葬儀はしないという方。
当時、教会には福祉部という奉仕グループがあって、地域別に教会から離れている高齢者を尋ねて、聖体奉仕などや資料のポスティングをする活動が始まりました。 しかし、中には家族の理解が得られず、一切合わせてもらえなかったり、聖体奉仕に来ないで欲しいというお宅もあったりで、部員の方からはうまく行かないという声も聴かれました。
一般的な話ですが、洗礼を受けてから、諸々の理由から暫くすると教会には足を運ばなくなるという人が少なからずいます。
◎体調を崩した
◎家族の理解が得られなくなった
◎家族の世話で忙しくなった
◎仕事が忙しくて余裕がなくなった
◎信徒の中に入って行けなくなった
◎主任司祭・共同体と考えが合わなくなった
◎年齢と共に衰えて教会までが遠く感じるようになった
◎雰囲気が自分の求める感じと違うから 等々
何が良くて何が良くないなんて言えませんけれど、全てが神様から与えられた試練かなと思います。その試練をどのように乗り越えるかは、自分自身なのかなと感じます。
それでも、何かの糸口を求めて、信徒同士の宣教をしなくてはいけないと彼は考えて行動をしたのだと思います。
彼とよく話したのは、
”人を批判するのは簡単です。でも、本当にその人(達)に問題があったから良くなかったのでしょうか? 自分自身には何も問題は無かったのでしょうか? 他の人を批判できるだけの確固たるものが本当に自分の中にあったのでしょうか? 案外、自分自身のことを棚に上げて他人ごとの様に自身の希望や期待を相手に求めているのではないか?”とか。
お見舞いに老人ホームへと行く1時間半の道すがら、いろんな議論をしました。 ベテランの議員だった彼が、私の様に娘くらいの話を良く聞いてくれました。 感謝。
Miserere mei, Deus - Allegri - Tenebrae
聖歌隊で聖週間に歌っていた曲。
最近は、男声が少なくなり、歌える人もいなくなったので選曲しなくなりました。
見守りをしていた教会の高齢信徒の方「Sさん」が帰天された。90歳。
一昨年の奥様(88歳)の帰天から1年半、長年の持病のせいもあってか、やっとの思いで体調を崩しながらも奥様を支えて天国へ送り出し、納骨も済ませたその後。
「私のやるべきことは全て終わりました。 何も目的がなくなりましたから、早くお迎えが来て欲しい。」
ただ、それだけを願って、1年半の間【引きこもり状態】になり、サービス付き高齢者住宅の自立棟から、奥様が最後の数か月いた介護棟に移り、3食を自室に運んでもらい、入浴介助をしてもらい、訪問医療(内科、歯科)を受けて、訪れる数人の親族と懇意にしていた知人、教会からは私とたまにつれていった別の知人信徒に会うだけ。
見守りをしながら、色々なことを考えさせられた。
半年くらい前から発症した「認知症」。その進み方の早いこと!! あれだけしっかりとされていた方なのに、此処までおかしくなってしまうのか!!
5年半前に、自宅を処分して、教会にほど近いところに出来た「サ高住有料老人ホーム」に転居。
完璧な「終活スケジュールを立ててすべて実行」。
そして、すべてが多少のずれはあるものの「計画通りに」進んで終わりました。
自宅処分を決め ⇒ 自立型有料老人ホーム(介護棟付き)を探し ⇒ 転居
同時に、
遺言書を公証役場で作成*後見人事前契約を司法書士と結び ⇒ ご夫婦どちらが先に逝ってもいいようにされる。 ⇒ ご自身たちの体調の低下に伴って、財産管理契約、後見人契約 等をすすめる。
それには、それを見守る人は不可欠。
実は、10年以上前から、このご主人と一緒に教会の家族のいらっしゃらない高齢者を見守る役目をしていました。 それも、偶然のことから一緒にするように。
ある一人暮らしの高齢婦人「Uさん」が自宅団地の階段から転倒し、教会に自力で来られなくなりました。 彼は、福祉部という奉仕グループに属していたので、お宅に訪問してご希望に沿って「ご聖体奉仕」をしていました。 私は、この婦人と地元のママさんコーラスに一緒に入っていて、自力では練習に来れないことから、車で送迎をするようになっていました。 もともと、同じ聖歌隊のメンバーでもあったので、私がママさんコーラスに誘ったのです。 次第に杖での歩行も困難を極め、車椅子で送迎していたものの、とうとう、部屋から階段5段くらいを降りさせて車椅子に移動させることが難しくなりました。 本当に申し訳なかったのですが、コーラスの練習には、責任をもって送迎できないと伝えて諦めて頂きました。 それで、月1回程度様子を見に行くことにしました。
そこで、先のご主人と何回も出会うことになりました。
(つづきは次回)
Bach "H-Moll-Messe" -- Karl Richter -- Janowitz -- Töpper -- Laubenthal -- Prey 1969
合唱団の演奏会が終わり、次の曲の練習に入りました。
バッハ作曲「ロ短調ミサ」
初めての曲です。とても有名で難しい曲だということは耳にしています。
この曲を歌う前に、女声全員の声を聴いてパート分けをし直すとのこと。
私個人としては、アレルギー性鼻炎の影響で高音が出にくくなっています。発声はソプラノに近いので、高音域のパートになると困るなと内心思っています。低音なら、テナーの音域まででますけど。
Pope Francis-Holy Mass of the Christmas Vigil 2019-12-24
バチカンのクリスマス夜半ミサ