J.S. バッハ 《ミサ曲 ロ短調》 全曲 マゼール指揮/ベルリン放送響
Beethoven-MASS in C /Elbenita Kajtazi/Flaka Goranci/Liridon Sadriu/Noel Bouley/R. RUDI cond.
コソボにマザーテレサの大聖堂があることを初めて知りました。
所属する合唱団「鯨」の定期演奏会があります。
来る、12月8日(日)午後2時開演
場所:ミューザ川崎ミュージックホール
この曲を歌うので、色々聞き比べをしていたところ、この演奏にあたりました。なかなか、いい演奏だと思います。
神さまへの祈りと感謝を感じました。
私たちもこんな演奏が出来たらいいなと思いました。
今回は、例年利用する、東京芸術劇場(池袋)ではないので、友人を誘うとちょっと遠いわねぇと言われて、何時になく手持ちチケットが残ってます。
Brahms: Gesang der Parzen ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Collegium Vocale Gent ∙ Philippe Herreweghe
今、所属している合唱団では、12月の演奏会に向けてこの曲を練習しています。このYouTubeの演奏は素晴らしいと思います。 オーケストラは当然ですが、合唱団の美しい声と表現力。 そして、一番見習いたいと思うのが立ち姿。
楽譜の持ち方、視線の位置、身体の動かし方、というよりは余計な動きをせずに力を入れず、空間の中に自然体で受け止めるように立ち、呼吸をし、声を整えて出す。 プロなら当然出来ることだとは思いますが、私達アマチュアはどうしても、身体に力が入っていきんだりしてしましがち。
折角、美しいピアノ”p”で歌い始めてクレッシェンド”crescendo < ”してフォルテ”f”にした時には、喉に力が入ってしまって息が続かず、体全体も硬くなり、当然のことながら音程も下がり気味になり、フォルテfも豊かに持続できないなんていうことが度々あります。 基本が出来てないのだと言えばそうですが、これって、今まで参加した、或いは聞いたどこのコーラスや合唱団にもあることなんです。 リズムがはっきりするところになると、何故か思い切り身体を動かしてリズムをとってしまって、肝心な呼吸がしっかりとなかったり。 肩で呼吸をしてしまって、力が入って音を安定させるための腹式呼吸が出来なかったり。
ヴォイストレーナーの指導が毎回あって、パート別にも非常に細かい指導を頂いていますが、声の出し方(発声法)を説明することはあっても、呼吸のしかた(呼吸法)についての指導がほとんどありません。 勿論、根底には発声がちゃんとしてないと、呼吸も出来ないのかもしれませんが、両方を教えていただくことも重要なんじゃないかと感じています。 先生は、出来る人はやってくださいと仰っています。 合唱の利点は、一人で歌うのと違って、出来ない部分を無理に歌わないで、お互いに出来るところを任せられるというのは確かな事ですけれど。 出来うることなら全員が同じように歌うことが出来ることって、音楽をより豊かに演奏し、共に歌う仲間同士が同じように共感できるように指導することも必要なんじゃないかなと感じています。
演奏されているCollegium Vocale Gent 団員を見ていると、体躯に安定感があって、これは安定した呼吸法からくるものではないのかなと感じます。 それには、腹筋の使い方、息の仕方(入れ方と出し方)、響きのさせ方(体全体の共鳴腔ー頭部、胸郭、横隔膜などの感じさせ方)などもっと細かく指導していただいた方が良いように思います。 音大声楽科を出られた団員もいますし、色々な合唱団に所属したり、個人レッスンを受けている方達も多い団なのですが、本当に合唱は初めてだという方もいらっしゃいます。 ボイストレーナーはソプラノとバスの方なのですが、女声の声の出し方は、高音を出す方の方が良くわかるのじゃないかなと感じることがあります。 基本は同じですが、低音を歌う方とは体全体の響かせ方(使い方)に違いが大きくあると思います。
外国語を歌う場合は、口の開け方にも留意しなくてはなりません。 この曲のように欧米の言葉は、口蓋を奥の方に大きく開けて発声しないと奇麗に響かないようです。 日本語式の発語は、口の先だけでしているので、きれいな発音も望めません。 私は、声楽専門ではなく、多少、大学ほかで英語(音声学)、フランス語、スペイン語を習った程度での知識ですけれど。 口の開け方を工夫をすると言葉が違ってくるのが判ります。
以前に所属していた合唱団のボイストレーナー(音楽大学講師)は、そちらの専門だったのかもしれませんが、人体図・頭部図をボードに書いて、響きの場所について、口蓋の中の様子、発声トレーニングの際の口の開け方、身体の力の入れ方(抜き方)、呼吸の仕方などを細かく指導してくださいました。 今考えるととても丁寧でした。 残念ながら、その先生は亡くなられたようですが。
より良い演奏、最高の演奏をしたいと思っています。
一人一人が、音程だけでなく音楽記号や音符をしっかりと覚え、言葉も覚えて発音を考えながら発声し、呼吸を整えて周りの人の声と歌い方を良く聴き合って、共鳴し合って、上昇志向で美しい豊かな演奏が出来るように努力をしたいものです。
Pescador de hombres | Música Católica
大好きな聖歌の一つです。
日本語では、「主は 水辺に立ちて」という題で、いくつかの訳詞でカトリック教会でよく歌われています。
今日は、葬儀のオルガン・聖歌隊奉仕をしました。帰天されたのは97歳の先輩信者さんでした。
葬儀の奉仕は、いままでで200件は軽く超えていると思います。 30代で、ミサのオルガン伴奏(演奏)を引き受けるようになって、年間平均6回程度。多い年は10件にもなりますし、以前は、通夜が必ずあることが通例でしたので、週に2回あると、主日ミサの聖歌隊やオルガン奉仕と合わせると、週5日も教会に赴くことになりました。 季節的に多く重なると、かなり疲労困憊。 そんなことが2週間も続いたりして、我が家の家事や所属団体の打合せ、習い事も半分、或いは、完全キャンセルすることが多いので、犠牲にしたことはかなりの負担になります。 ただの奉仕だけでは済まなくなります。 正直、負担だなと感じることもあります。
参列をすると、それぞれの帰天された方の人生の在り方、ご家族の関係などを深く知ると、いろんなことを考えさせられます。 良いお手本になる人生もあれば、こんな風には出来なかったのかなと悲しく思うことも。 人が死ぬ時には、全てが明らかにされてしまいます。
ところで、見守りしている超高齢の方の状態を、まさに実の親と同じように詳細まで知ると、体力の極度の低下とともに、知力や気力の低下、そして、精神的に大きな不安を感じているのがわかります。 「もしかしたら、自分のことを看てもらえなくなるのではないか?」、「もしかしたら、周りの皆がつながって画策し、自分を何処か判らない所にやってしまうのではないか?」、「身の回りの物がしばしば見当たらなくなる。誰かが隠すのではないか?」etc.
今日の葬儀の福音を聞いて、「そうだ、これが一番必要な事なんだ!」と感じたのです。 人生の本当に最後になって出来ること。
今度お見舞いに伺ったら、是非ともこれを伝えようと思います。
心を騒がせるな 聖書箇所 ヨハネ14章
トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」。イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている」。フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」。
「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」。
イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。
事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう」。
心のともしび「マザー・テレサにきく」
マザーテレサの言葉を聞いていると、もっともっと心広く働かなければと思います。
日々、高齢の方の見守りをさせて頂いていますが、家族がいなくなった方、いてもあまり気を付けて見守って貰えてない方々の心情や、齢と共に衰える姿を目の当たりにして、段々と自分自身への引きこもりや、周辺の人々への懐疑的被害妄想に取りつかれていく心の動きにどのように上手に応えられるかなどと迷います。
私に出来ることと言ったら、ただただお話を聞き。ちょっと違っているんじゃないのかなと思いながら、「大丈夫だから、安心して周りを信じてください」と伝えるだけ。
生涯をかけて働かれたマザーのようにはいかないけれど、勇気づけられます。
合唱団鯨の定期演奏会のお誘い
ことしも演奏会が近づいてきました。 昨年の演奏会の後、パート練習もかなりやって準備をしてきましたが、出来はいまひとつかな? 今年は、東京都合唱祭に参加したので、その時に演奏した曲(1曲と半分)は少し自信持てるようになったようだけど、それ以外の曲が難曲で歌いこなすには、まだまだ、個人個人の努力が一番必要かもしれませんねぇ。 音程やリズムの食いつき方、発声、発音発語など・・・。当日までどこまで進化するかな?
出来るだけ多くの皆様に聞きに来ていただきたいので、頑張らなくては!!
日時:2019年12月8日(日) 午後1時開場 2時開演
会場:ミューザ川崎 シンフォニーホール
Rêverie
ギターの音色が気に入りました。片側(左)のギターのフレットが普通と違うようです。ネックの根元からボディの共鳴ホールまで小さなフレットがありますねぇ。特別仕様かしら?
Debussy - Rêverie
今、このFrançois-Joël Thiollierの演奏がいいなぁと感じながら聞いているところ。
この曲は、器楽のほうが素敵だなと思っているのですが、ピアノで器楽的に表現出来たら…。素敵だろうなって!!
ふと思い出しました。 若いころに女声コーラスグループの伴奏を突然頼まれて、たいして練習もしないでいったら、なんと! 数々の合唱曲で有名な作曲者である高田三郎先生が指導者で。( ゚Д゚) びっくりでした。 伴奏弾き始めたら、先生が、「そこの所はチェロを奏でるように弾くように…。」とかいろいろな高度な支持が…。結局弾けないので、「君もこっちで一緒に歌いなさい!」って言われたのを思い出しました。 【ピアノを弦楽器の様に弾く】私の脳裏に残っている教えです。 でも、最近よくわかるようになりました。
さて、この曲を管弦楽曲のように弾けるようになるかしら???
ピアノを専門に勉強してきた方達は、以下にテクニックを見せるかということを主に考えているようです。どしてもダイナミックな演奏をしたり、難しい曲や超絶技巧的な曲を選んで、大音量で弾いたりされることが多いように思います。
若いころから、世界的なコンクールで優勝、入賞した演奏家の演奏を聴きに行ってますが、ある時、クリスチャン・ツィメルマンがショパンコンクール優勝後に来日した時に聞いた演奏とは全く違った演奏をしていました。 ご本人も解説で、若いころから良く弾いて来たのですが、この頃は弾き方を考えるようになって早く弾くよりもゆっくりと味わって弾くようになったというようなことを言ってました。 それで、アンコールで弾いたのが「別れのワルツ」。私の大好きな曲でした。 本当にゆっくりと深い味わいのある演奏でした。