秋らしい毎日ですね。
”天高く馬肥ゆる~”といいますけど。
食べ物もおいしくて、種類も豊富。
こんなにいろいろなものを食べられる生活できていることは、”しあわせ”です。
このようなお恵みをくださる神様に感謝。
我が家の柿の木は、今年もいっぱい実をつけています。
枝を毎年切るだけで、何にも手入れをしなくてもこ~んなに大きな実がつくなんて、ただただ驚き!
これも神様のお恵み。
願わくば、甘柿ならなお良かったのだけれど・・・。
冬中に実が少しずつ熟していくので、その間はお花がなくても庭は明るくて、毎日、鳥たちが実の熟れ具合を確かめに来るので、バードウォッチングもできるし。
わ~と何羽かで枝にとまり、1羽が少しついばんで、渋いと、嘴をちょっと震わせて枝にこすり、あきらめて皆で飛んでいく。
その仕草がかわいらしくって。
最後に熟れてくると、いろんな種類の鳥が、仲間皆でやってきて、思いっきり汁を飛ばしてつついて、食べていく。
聖書の中の「空を飛ぶ鳥を見よ。 播きも刈りもしないのに・・・。神様は、こんな小さなものも生かしてくださる。」
というところを思い出します。
柿そのものも、実は前の住人が植えたもの。
ただ、そこに庭があって、手入れもしないのにどんどん枝が伸びて、お隣の塀との境界線を越えると慌てて枝おろしをする。
それだけのところに、これだけの自然があって、日々、それぞれに生きていく。
人間なら・・・
いじめ。迫害。
パレスチナ人やシリア難民の人たちのことを思う。
人間というのはやっかいです。
誰かが、自分たちだけは正しいと言って、そうでない人を寄り分けようとする。
あるいは、ここまでは自分たちの土地だと言って、利益を供与するものだけで線引きして、それ以外の人々を追い出そうとする。
誰が最初に始めたのか判らないけれど、最初に誰かがしてしまった悲しい出来事を、次には、相対する人が奪還する。
本当は、すべてが、皆人類共有のものだと思うんです。
誰か特定の人だけのものじゃなくって。
たまたま、同じ親戚筋の同じ言語を話す人々が固まって部族を作ったのが最初だったとしても、最初はだれの土地でもなかったはず。
争い、戦争というのは、一部の人達の、利益の独占から始まって、決して、それは皆共通に利益を得られる仕組みにはならないのです。
同じような自然(神様)から与えられたものを、話し合って協力して均等に分けあい、多く得られた時はそれなりに、少ない時は誰かが独占するのではなくて、同じように分配してくシステムを、どうして何千年たっても考えられないのでしょうか?
そ~んなことを考えながら、庭をつくづく眺めています。
11月は死者の月です。
11月2日の《死者の日》ミサの祭壇いけばな当番でした。
今年も多くの知人、友人が亡くなりました。
今迄にお世話になった人々のことを思って祈り、昔の出来事の数々を思い起こしています。
♪ごら~んよ 空の鳥、野の白百合を。
播きもせず、紡ぎもせずに 安らかに生きる。
こんなに小さな生命にでさえ、心をかける父がいる。
友よ、友よ、今日も称えて歌おう。
全てのものに染み透る、天の父のいつくしみを![典礼聖歌集391番]