今日はフォーカス10、12のセッションだったのですが。
私もモニタリングしながら聞いてますので、だいたい一緒に体験しているようなかんじになります。
ナレーションを入れるのは、ゲートウェイCDのフリーフローとか、準備のプロセスが省略されているところに追加ナレーション入れたりするくらいなので。
普通のゲートウェイCDを使う場合はモンロー研のように、最初と最後だけなんか一言言うくらいです。
TST、タイさんは「ハブ ファ~ン!」と入れてくれるのですが。
私は「楽しんでくださいね」とちょっと控えめ。
いや、私は横文字苦手なんで。
で、フォーカス10の入門とか12の入門とか、久々にゆっくり(セミナー前に聞くときは、ナレーション入れると確認しながらなんで、ゆっくり聞けませんので)聞けました。
椅子に座って、今日の一回目アップの写真にあるような機材の前で聞いているのですが。
フォーカス10の時には体のリラックス感。
12の時には体の感覚から意識の浮くような軽い感じ。
15の時は、毎回そうですけど視界がゆがむ感じしますね。
今は歩きながらでもフォーカス10~21くらいには意識を飛ばせるくらいなってますけど。
もちろん、さいしょっからそうであった訳ではありませんよ。
練習に次ぐ練習です。
10を聞いて、それを何度も仕事の合間に思い返して。
それを行う事で、一日実際に聞くのは一回でも、思いだす事で一日に何度も聞くのと同じ効果を導きだせますし。
日常の感覚のなかで、10の感覚とは自分にとってどういう感じなのかな、というところをつかめるといい感じになるかなと思います。
それを12でもやって、15でもやって。
すると、あら不思議。
気がつくと歩きながらでも意識を変化させられるようになってきまして。
いろいろな事に気付くようになって。
気がつくと出世したり、仕事が成功しやすくなったりするんかな、と思うところ。
同じ事をするにしても、意識をそれだけ変化させられれば、「1を見て、フォーカス10、12、15、21で見る」ができるので。
同じものを5つの側面から見る事も可能になりますよね。
ヘミシンクを日常に生かすとうのは、こういう気付きを促進させる新たな目線の確保、
という感じもあるかな、と思います。
自分でセミナーとかやっていて、こうやって何度も改めてフォーカス10とか12とか聞いていると、その領域の新たな魅力も気付きまして。
なんでも、気付いて、新しい感覚をもてれば飽きる事も無く、長く楽しめるものかなと思います。
こういう機材を使ったセッションを自分でやり始めて、またヘミシンクに関しての新たな魅力に気付き始めているところです。
受ける側、やる側、そう言う風に、自分の立場を変えていくと、いろいろと世界が広がって面白いですね。
私は幸運な事に、
「聞くがわ」から「やる側」になったし「読む側」から「書く側」にもなって、
いろいろと体験の幅が広がってきております。
なんでも、実際にその立場にならないと見えない事も多いですが。
なってみると、案外それほど特殊じゃないって事に気付きますね。
自分の中にあるその制限を外せるといいのかなと思います。
物事も多面的に見た方が より そのものの実態が正確に把握できますからね。
素晴しい ”技” ですね ヘミシンクとは。
現代人が Homo sapiens (ホモ サピエンス)でしたら、 フォーカス世界を多面的に認識できる人は、正に Homo excellence (ホモ エクセレンス)。
つまり ”進化した人” という表現にピッタリです。
ただ、認識の共用化として どれだけ 非物質世界の実態の真実が紐解かれ 市民権を得るかにかかってはいますが
しかし、価値観の多様化による複雑な現代社会にとって、人もまた進化を求められる今日に於いて、Homo excellence の普及は、正に 現代のニーズにマッチした ”意識革命” とも言えると思います。
今、ニュートリノ という素粒子がメディアで話題になっていますね。
なんでも光より早いとか。
タイムマシーンも造れるかも などと マジ で言っていますが、ヘミシンクで過去生、未来生へ行けるのでしたら あながち 空想物語とも思えませんね。
ひょっとして、ニュートリノとヘミシンクの変性意識状態とは 何か関係がありそうな感じですけど・・
なぜなら、ご飯の ”おかず” に例えますと、人それぞれに好き嫌いがあるように 同じ ”おかず” でも それを見た場合、人それぞれに 見方感じ方が違いますね。
それと同じように、それそのものは同じでも人によって見方感じ方が違うということは、それそのものの実態を正確に把握することなど 個人個人のレベルでは出来ませんね。
圭さんが よく「私が見た場合・・」という表現をされるように。
ただ、同じものは どこから見ても同じものなので あらゆる価値観の人が 多人数で同じものを見れば その ”ブレ” は、多人数なほど少なくなるはずです。
そこから、そのものの実態を限りなく より正確に把握することは出来ますね。
それにより、より 高次な意識を 人々が切磋琢磨して開拓することは出来ると思います。