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2月6日徳島南部での震度5強

2015-02-11 23:55:45 | 地震の予兆は当たらない
さてさてISISと世界との対戦ばかりを取り扱ていたので御座なりになっていた
企画の再発です。『地震の予兆は当たらない』シリーズをここで一発書いて置く。

今日は震災から4年の歳月が過ぎようとする一ヶ月前ですので、感慨も一入です。
3.11前の2.11ってことですね。

今年2015年に入って2月6日に徳島で起きた震度5強の地震以外の目だった活動は有りません。
去年の暮れに震度4以上の地震が3.11以来確実に減少傾向があると示しましたが、
前震、本震、余震と見分けた場合、前震としての活動らしきものにはやっぱり不安を強く覚えます。

2015年2月6日徳島県南部を震源地とするM5.0深さ10㎞震度5弱



単発での大き目の地震です。群発型ではありません。そして南海トラフへとの関連性もそれ程心配はされて
いないようです。因みに2月6日の月年齢は大潮でした。

個人的な見解としてのサウスジョージア・サウスサンドイッチ諸島との関連性も全くと言って良いほどに皆無です。
地球の対蹠地として日本の裏側に位置する場所から最も近い地震銀座のサウスジョージア島ですが、外れるべくして
外れている感じがします。

3月の大潮は5~8日までの4日間
南海トラフに限らなければこの地震もいろいろな見解が立ちますが敢えてそのような事は出さない。
もっと明確なそれらしい現象が予兆としては望ましいと考えております。

改めて多角的な検証をもとにこの地震は掘り下げても興味深いかもしれません。


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建国記念日と建国の日の違い。

2015-02-11 23:44:19 | 社会
紀元節1873年→建国記念の日1967年→建国の日←NOW!


本日は2月11日でバレンタインの3日前ではなく、『建国の日』です。そこで3.11の一ヶ月前でもあるし
何かといろいろと煩いこの『建国記念日』なのか『建国の日』なのか私観も含めて調べてみました。
少なくとも本日のNHKのニュースでは『建国の日』と表現しておりました。


今から2000年以上も昔の紀元前660年に日本には神武天皇が居たそうだ。
そのお偉い神武天皇が天皇の座に即位したのが2月11日でその日を『紀元節』として祭日を祝おうと
1873年(明治6年)に当時の大日本帝国憲法の下に定められた。

しかしこの『紀元節』2月11日は第二次世界大戦の後GHQの統治下にあった日本では1948年(昭和23年)に廃止された。

その後1967年(昭和42年)には天皇を中心とした神道に基づく祝祭日の復活を切望したことにより一度廃止された
『紀元節』は他国が各々で制定する『建国記念の日』に当て嵌めることで復活した。
実際、神道による神話においても建国と神武天皇の即位はどのように関係するのかは不透明です。

今の総理大臣の大叔父に当たる佐藤栄作が総理大臣の頃ですね。(やってみるものだ。)


そして2015年の今現在はこの日を『建国の日』と呼ぶようになっている。
これ迄の『建国記念の日』では日本の建国が2000年以上も昔の神話が題材となっている為に
歴史認識の範疇には残念ながら収まらないとされている。
もっと抽象的な意味合いが含まれて『建国の日』となっている。

他の国の明確な歴史史観による『建国記念日』とは違い『建国の日』は日本のみの主観によって成り立っている。
客観的には神武天皇のそういった事実は国際的に認められていないので他国と同じように『建国記念日』とは扱えない
大人の事情?があるかもね。

そもそも『紀元節』による神武天皇の即位を『建国』の日に当て嵌めたことにズレがあるから仕方が無い。


そして2009年頃の麻生内閣時代からはこうした国民の休日や祝日に対して『祝祭日』という言葉が適応されなくなった。
『祝祭日』は日頃から使われず『祝日』と呼ぶようになっている。

これは祝日と祭日を分けて考えるようになった為に『祝祭日』と表わすことを敬遠するためのものです。
元々『紀元節』が廃止された1948年に『祝祭日』という呼び名も廃止され『祝日』を採用するようになっていたが
日本の風習や慣行として最近まで『祝祭日』という呼び名が残っていた。法律とは違うこの習慣から明確に線引きを
するようになったまでの事。国民の祝日法を更に適切に反映させた結果である。

このような神道に基づく『祝祭日』という言葉を使わないようにする働きかけは2009年の麻生内閣時代から
強まって6年後の2015年の今ではそのほとんどが『祝日』と呼ぶことが当然となっている。
2009年は奇しくも中国の建国60周年の年でもある。歴女が涙目になる事実。
これを指摘した俺はドヤ顔になる。

麻生内閣時代の2009年における『国民の休日』がこれまでのゴールデンウィーク中の5月4日ではなく、
9月21日の敬老の日と9月23日の秋分の日の間の9月22日に当てられた時のドサクサ紛れに
国民の祝日法が考え直されてて慣行である『祝祭日』の使用を改めて『祝日』にした。
シルバーウィークっていうらしいよ。

見逃さないゼェ~。見逃さないゼェ~~。麻生太郎などの売国奴は見逃さないゼェ~。
こんな腐った政治家は倍返しの颪が吹くのは然もありなん。



もしかすると今後は近い将来に日捲りカレンダーのデザインである国民の祝日を表すタスキ掛けに描かれた
日の丸の旗のデザインも無くなるかもしれないね。 そして日曜日と同じようにタダの赤字になるかもね。
じぇじぇじぇ!



補足
神武景気1954年~1957年、この当時は神武という言葉が流行していたそうです。



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