学生からの質問で1番多いのは、
「なぜ哲学(or倫理学)の先生になろうと思ったのですか?」
「哲学(or倫理学)の先生になろうと思ったきっかけは何ですか?」
という問いです。
この問いはたぶん2番目に多い質問
「なぜ哲学(or倫理学)を研究しようと思ったのですか?」と
同じことを聞きたくて発せられたのだろうと思いますが、
しかし私の答えはそれぞれでまったく異なります。
2番目の質問にはいずれお答えすることにして、
まずは1番目の質問にお答えすることにしましょう。
A.哲学(or倫理学)の先生になろうと思ったことは一度もありません。
この答えは皆さんにとって意外なものかもしれませんが、
哲学・倫理学に限らず、大学の先生方のほとんどは、
たぶん私と同じ答え方をするでしょう。
どういうことかというと、
私たちは自分のことを「先生(教員)」というよりも「研究者」だと思っているのです。
だから大学院の修士課程(マスターコース)や
博士課程(ドクターコース)に進学するとき、
大学の先生になりたかったのではなく、
それぞれの学問の研究者になりたかっただけなのです。
研究者というのはつまり、ある学問について本を読んだり実験をしたりして、
新しい発見をし、それを論文に書いて発表する人たちのことです。
もしも研究だけしていられたら、本当に幸せなことでしょう。
しかし研究だけしてお金をもらえる仕事というのはそれほどありません。
研究所の研究員とかくらいでしょうか。
ただし日本にはその手の研究所というのが圧倒的に少ないのです。
理系の場合にはそれでも研究職というのはあるみたいですが、
文系の場合は研究所なんてほとんどありません(欧米にはけっこうあるのですが)。
それではどうするのか。
研究所の次に、研究でお金をもらえる職場が大学なのです。
大学は、研究所とちがって、日本中にたくさんありますね。
ただし大学は研究だけしていればよいところではありません。
大学というのは教育機関です。
大学生を教えなくてはなりません。
というかそれが第一の使命です。
でも私たちは別に教育の仕事がしたかったわけではないのです。
研究をしたかっただけなのですが、
研究を続けていくためには、
大学という職場に入れてもらうしかなかったというわけです。
大学の先生の授業がたいがいつまらないのもこれで説明がつきますね。
みんな教育者になろうと思ったことはないし、
教育者になるための訓練も受けていないし、
大学の先生になるのに教員免許とかも必要ないし、
そもそも自分のことを教員ではなく研究者と思っているのですから。
とはいえ教育の仕事をすることによってお金をもらっているのですから、
「私は研究者だ」とばかり言っているわけにもいきません。
最近では世間の風当たりも強くなって、
大学の先生方も教育に力を入れるようになってきました。
でもやっぱり心の奥底のほうでは、
「ああ研究だけしていられたらいいのになあ」と願っているのです。
というわけで、先生になろうと思ったことはありません、
というのが皆さんの質問に対するお答えでした。
たぶんこういうことが聞きたかったのではないだろうとは思いますが、
これからいろんな先生方とつきあっていく上で、
大学の先生というのがどういう人たちなのか、
知っておいても損はないだろうと思います。
「なぜ哲学(or倫理学)の先生になろうと思ったのですか?」
「哲学(or倫理学)の先生になろうと思ったきっかけは何ですか?」
という問いです。
この問いはたぶん2番目に多い質問
「なぜ哲学(or倫理学)を研究しようと思ったのですか?」と
同じことを聞きたくて発せられたのだろうと思いますが、
しかし私の答えはそれぞれでまったく異なります。
2番目の質問にはいずれお答えすることにして、
まずは1番目の質問にお答えすることにしましょう。
A.哲学(or倫理学)の先生になろうと思ったことは一度もありません。
この答えは皆さんにとって意外なものかもしれませんが、
哲学・倫理学に限らず、大学の先生方のほとんどは、
たぶん私と同じ答え方をするでしょう。
どういうことかというと、
私たちは自分のことを「先生(教員)」というよりも「研究者」だと思っているのです。
だから大学院の修士課程(マスターコース)や
博士課程(ドクターコース)に進学するとき、
大学の先生になりたかったのではなく、
それぞれの学問の研究者になりたかっただけなのです。
研究者というのはつまり、ある学問について本を読んだり実験をしたりして、
新しい発見をし、それを論文に書いて発表する人たちのことです。
もしも研究だけしていられたら、本当に幸せなことでしょう。
しかし研究だけしてお金をもらえる仕事というのはそれほどありません。
研究所の研究員とかくらいでしょうか。
ただし日本にはその手の研究所というのが圧倒的に少ないのです。
理系の場合にはそれでも研究職というのはあるみたいですが、
文系の場合は研究所なんてほとんどありません(欧米にはけっこうあるのですが)。
それではどうするのか。
研究所の次に、研究でお金をもらえる職場が大学なのです。
大学は、研究所とちがって、日本中にたくさんありますね。
ただし大学は研究だけしていればよいところではありません。
大学というのは教育機関です。
大学生を教えなくてはなりません。
というかそれが第一の使命です。
でも私たちは別に教育の仕事がしたかったわけではないのです。
研究をしたかっただけなのですが、
研究を続けていくためには、
大学という職場に入れてもらうしかなかったというわけです。
大学の先生の授業がたいがいつまらないのもこれで説明がつきますね。
みんな教育者になろうと思ったことはないし、
教育者になるための訓練も受けていないし、
大学の先生になるのに教員免許とかも必要ないし、
そもそも自分のことを教員ではなく研究者と思っているのですから。
とはいえ教育の仕事をすることによってお金をもらっているのですから、
「私は研究者だ」とばかり言っているわけにもいきません。
最近では世間の風当たりも強くなって、
大学の先生方も教育に力を入れるようになってきました。
でもやっぱり心の奥底のほうでは、
「ああ研究だけしていられたらいいのになあ」と願っているのです。
というわけで、先生になろうと思ったことはありません、
というのが皆さんの質問に対するお答えでした。
たぶんこういうことが聞きたかったのではないだろうとは思いますが、
これからいろんな先生方とつきあっていく上で、
大学の先生というのがどういう人たちなのか、
知っておいても損はないだろうと思います。