シセラ・ボクの『共通価値 文明の衝突を超えて』に続き、共著書が出版されました。
『グローバル・エシックスを考える 「9.11」後の世界と倫理』です。
「9.11」が勃発し、すぐに対アフガニスタン報復戦争の話が持ち上がってきた頃、
私の親しい研究者たちが中心となって、この状況に対して何か物申さねばということになり、
2001年の12月から「〈9.11〉を多角的に考える哲学フォーラム」というのを始めました。
1年に3~4回のペースで2007年までに22回のフォーラムを開催しています。
残念ながら、できるだけ多くの一般市民の参加を得てという
所期の目的は達成できませんでしたが、
しかし、さまざまな専門分野の研究者を集めて継続的に討議できたことは、
大きな成果だったと思います。
途中の4年間は科学研究費補助金を得ることができ、
それぞれの分野の第一人者をお呼びして話をうかがうこともできましたし、
2005年には『中間報告書』、2007年には『成果報告書』も出すことができました。
今回の著書はこの『成果報告書』が出版社の目に止まり、
単行本として刊行されることになったものです。
上記のリンク先で本書の詳しい目次も見ることができますので、
ご覧頂いて興味ある論考がありましたらぜひお買い求めいただければと思います。
私は本書に「カントとテロリズム」と題する論文を寄稿しました。
テロリズムという語は現代では、いわゆるテロリストが行うテロ行為を指しますが、
もともとカントの時代においては、
フランス革命時に革命政府が行った恐怖政治のことを意味していました。
そこで私はカントの議論を援用しつつ、
現代的な意味でのテロ活動と、国家の側が行う恐怖政治と(報復戦争も含む)、
そのいずれをも禁止できるような論理を探っていこうとしたのです。
恐怖と不信によって人を支配することは可能かもしれませんが、
それで人類の未来を築いていくことはできないでしょう。
理性と相互信頼に基づく関係を構築する以外に、
私たちが生き残っていく術はないだろうと思うのです。
そのためにも「グローバル・エシックス」すなわち、地球規模の倫理というものを、
人類は案出し共有していかなければなりません。
私の論考も、また本書に収められた他の論考も、
グローバル・エシックスを具体的に提示することには至っていません。
地球規模の倫理を考えていく上であらかじめ押さえておくべきことを指摘し、
確認したという段階であろうと思います。
その意味ではこの研究はやっとスタートラインに立ったところであり、
今後も継続していかなくてはならないのだろうと思います。
たとえば、シセラ・ボクが唱えた「共通価値」は、
地球規模の倫理を提起する試みのひとつだったと言えるでしょう。
すでにどのような試みがなされているかについては、
第1章の寺田論文が簡単に紹介していますが、しかしボクの試みも含めて、
人類に共有されたグローバル・エシックスなどまだどこにも存在しません。
かすかな可能性を信じて、グローバル・エシックス探求の道を歩んでいきたいと思います。
『グローバル・エシックスを考える 「9.11」後の世界と倫理』です。
「9.11」が勃発し、すぐに対アフガニスタン報復戦争の話が持ち上がってきた頃、
私の親しい研究者たちが中心となって、この状況に対して何か物申さねばということになり、
2001年の12月から「〈9.11〉を多角的に考える哲学フォーラム」というのを始めました。
1年に3~4回のペースで2007年までに22回のフォーラムを開催しています。
残念ながら、できるだけ多くの一般市民の参加を得てという
所期の目的は達成できませんでしたが、
しかし、さまざまな専門分野の研究者を集めて継続的に討議できたことは、
大きな成果だったと思います。
途中の4年間は科学研究費補助金を得ることができ、
それぞれの分野の第一人者をお呼びして話をうかがうこともできましたし、
2005年には『中間報告書』、2007年には『成果報告書』も出すことができました。
今回の著書はこの『成果報告書』が出版社の目に止まり、
単行本として刊行されることになったものです。
上記のリンク先で本書の詳しい目次も見ることができますので、
ご覧頂いて興味ある論考がありましたらぜひお買い求めいただければと思います。
私は本書に「カントとテロリズム」と題する論文を寄稿しました。
テロリズムという語は現代では、いわゆるテロリストが行うテロ行為を指しますが、
もともとカントの時代においては、
フランス革命時に革命政府が行った恐怖政治のことを意味していました。
そこで私はカントの議論を援用しつつ、
現代的な意味でのテロ活動と、国家の側が行う恐怖政治と(報復戦争も含む)、
そのいずれをも禁止できるような論理を探っていこうとしたのです。
恐怖と不信によって人を支配することは可能かもしれませんが、
それで人類の未来を築いていくことはできないでしょう。
理性と相互信頼に基づく関係を構築する以外に、
私たちが生き残っていく術はないだろうと思うのです。
そのためにも「グローバル・エシックス」すなわち、地球規模の倫理というものを、
人類は案出し共有していかなければなりません。
私の論考も、また本書に収められた他の論考も、
グローバル・エシックスを具体的に提示することには至っていません。
地球規模の倫理を考えていく上であらかじめ押さえておくべきことを指摘し、
確認したという段階であろうと思います。
その意味ではこの研究はやっとスタートラインに立ったところであり、
今後も継続していかなくてはならないのだろうと思います。
たとえば、シセラ・ボクが唱えた「共通価値」は、
地球規模の倫理を提起する試みのひとつだったと言えるでしょう。
すでにどのような試みがなされているかについては、
第1章の寺田論文が簡単に紹介していますが、しかしボクの試みも含めて、
人類に共有されたグローバル・エシックスなどまだどこにも存在しません。
かすかな可能性を信じて、グローバル・エシックス探求の道を歩んでいきたいと思います。