「イマジン」で思考に目覚め、「倫・社」の教科書で哲学に目覚めた私ですが、
それでもまだ哲学を自分でやっていこうと思うには、もうワンステップが必要です。
それは何かというと、書くことに目覚める必要があったのです。
私の大好きな座右の銘があります。
「書き留めなければ、何も起こらなかったも同じこと」
これはトム・クランシーの『日米開戦』の中に出てくるセリフなんですが、
私が前々から思っていたことを端的に表した表現として、
最近よく学生たちにもこのことばを紹介するようにしています。
人間は時々刻々いろんなことを考えているわけですが、
例えば夜中とかに布団の中でものすごくいいことを考えついたとしても、
そのまま寝てしまったときに、
朝になったらもう何も思い出せなかったということはありませんか?
私はそういうことがしょっちゅうあるのです。
電車の中でボーッといろいろ考えていて、
中にはけっこうナイスなアイディアがあったりしても、
目的駅に到着したときには忘れてしまっているとか。
そういうことを避けるためにも、いつでも書き留められるようにしておく必要があるのです。
私は書き留めることを高校生の頃から始めました。
「イマジン」で思考に目覚めて以来、いろいろなことを考えるようになったのですが、
頭の中で考えていることってどんどん消え去っていってしまうので、
これは何とかしなければと思ったのです。
そこで書き留める用のノートを作り、日々そこに書き付けていくようにしました。
これを始めてみると、実は「考える」→「考えたことを書き留める」で終わりではなくて、
→「書きながら考えがまとまってくる」→「書くことによって考えが発展していく」
→「書いたことをもう一度読み直してまた考える」→「深まった考えを書き留める」→…
というように無限にループしていくことがわかりました。
つまり 「書くこと=考えること」 なわけです。
そんなふうに書きながら考えることが習慣化した頃に、
『ロッキング・オン』 という雑誌に出会いました。
渋谷陽一というロック評論家が始めた、読者投稿を主体とした伝説の雑誌です。
当初は毎号熱心に読みふける一読者でしたが、
渋谷氏や、当時の代表的なライターの一人であった岩谷宏氏の文章などに触発されて、
自分でも見よう見まねでロック評論を書いてみるようになりました。
ちょうど高3の頃だったでしょうか。
受験勉強してるフリをしながら、深夜になんか一生懸命書いていた覚えがあります。
そして、どこにそんな勇気があったのか、それを投稿してみたんですね。
そうしたらその処女作がなぜか採用されて『ロッキング・オン』に掲載されてしまいました。
その後も2本くらい投稿して掲載してもらいました。
渋谷陽一氏から連絡をもらって六本木の事務所に会いに行ったこともありました。
とにかくこの頃には書くことが好きになっていたのは間違いありません。
高1の頃から軽音楽部に入って、ドラムをやったりボーカルをやったりしていましたが、
すでにロックンローラーとしての自分の才能には限界を感じていましたので、
別の表現手段を求めていたときに、『ロッキング・オン』という媒体で、
「書く」 ことに目覚めることができたのはラッキーだったと思います。
その後けっきょく、ロック評論という世界にも限界を感じて、
『ロッキング・オン』からは離れてしまうことになりましたが、
「考えて書く」 ことが自分の自己表現手段として最適であるという発見は、
その後の私の一生の宝物となりました。
というわけで、(その3)の答えはこうなります。
A.『ロッキング・オン』という雑誌に投稿して、書くという表現手段に目覚めたからです。
私が初めて哲学関係で書いたのは、
大学の卒業論文 『カント研究 ―「学」と「信仰」―』 です。
友だちはみんな卒論書くのに苦しんでいましたが、私は書くのが楽しくて、
夏休み明けにはほぼ完成させていました。
今は卒論指導とかしていても、手取り足取り指導して、
誤字脱字のチェックも全部してあげなければなりませんが、
私はゼミで2回発表しただけで(卒論生が20人いたので発表は1人1~2回のみ)、
特に先生から指導をしてもらうこともなく、
途中段階の草稿を先生に提出して赤を入れてもらうなんていうことも一切なく、
自分で勝手に書き上げていました。
これはやはり、今どきの大学生が書けなくなってしまっているということではなく、
すでに書くことに目覚めていた当時の私が普通とは違っていたということなのでしょう。
とにかく哲学を自分でやっていくためには、
書くことに目覚めているというのは必須だったと思います。
書くことが好きでないとこの商売はやっていけないのです。
それでもまだ哲学を自分でやっていこうと思うには、もうワンステップが必要です。
それは何かというと、書くことに目覚める必要があったのです。
私の大好きな座右の銘があります。
「書き留めなければ、何も起こらなかったも同じこと」
これはトム・クランシーの『日米開戦』の中に出てくるセリフなんですが、
私が前々から思っていたことを端的に表した表現として、
最近よく学生たちにもこのことばを紹介するようにしています。
人間は時々刻々いろんなことを考えているわけですが、
例えば夜中とかに布団の中でものすごくいいことを考えついたとしても、
そのまま寝てしまったときに、
朝になったらもう何も思い出せなかったということはありませんか?
私はそういうことがしょっちゅうあるのです。
電車の中でボーッといろいろ考えていて、
中にはけっこうナイスなアイディアがあったりしても、
目的駅に到着したときには忘れてしまっているとか。
そういうことを避けるためにも、いつでも書き留められるようにしておく必要があるのです。
私は書き留めることを高校生の頃から始めました。
「イマジン」で思考に目覚めて以来、いろいろなことを考えるようになったのですが、
頭の中で考えていることってどんどん消え去っていってしまうので、
これは何とかしなければと思ったのです。
そこで書き留める用のノートを作り、日々そこに書き付けていくようにしました。
これを始めてみると、実は「考える」→「考えたことを書き留める」で終わりではなくて、
→「書きながら考えがまとまってくる」→「書くことによって考えが発展していく」
→「書いたことをもう一度読み直してまた考える」→「深まった考えを書き留める」→…
というように無限にループしていくことがわかりました。
つまり 「書くこと=考えること」 なわけです。
そんなふうに書きながら考えることが習慣化した頃に、
『ロッキング・オン』 という雑誌に出会いました。
渋谷陽一というロック評論家が始めた、読者投稿を主体とした伝説の雑誌です。
当初は毎号熱心に読みふける一読者でしたが、
渋谷氏や、当時の代表的なライターの一人であった岩谷宏氏の文章などに触発されて、
自分でも見よう見まねでロック評論を書いてみるようになりました。
ちょうど高3の頃だったでしょうか。
受験勉強してるフリをしながら、深夜になんか一生懸命書いていた覚えがあります。
そして、どこにそんな勇気があったのか、それを投稿してみたんですね。
そうしたらその処女作がなぜか採用されて『ロッキング・オン』に掲載されてしまいました。
その後も2本くらい投稿して掲載してもらいました。
渋谷陽一氏から連絡をもらって六本木の事務所に会いに行ったこともありました。
とにかくこの頃には書くことが好きになっていたのは間違いありません。
高1の頃から軽音楽部に入って、ドラムをやったりボーカルをやったりしていましたが、
すでにロックンローラーとしての自分の才能には限界を感じていましたので、
別の表現手段を求めていたときに、『ロッキング・オン』という媒体で、
「書く」 ことに目覚めることができたのはラッキーだったと思います。
その後けっきょく、ロック評論という世界にも限界を感じて、
『ロッキング・オン』からは離れてしまうことになりましたが、
「考えて書く」 ことが自分の自己表現手段として最適であるという発見は、
その後の私の一生の宝物となりました。
というわけで、(その3)の答えはこうなります。
A.『ロッキング・オン』という雑誌に投稿して、書くという表現手段に目覚めたからです。
私が初めて哲学関係で書いたのは、
大学の卒業論文 『カント研究 ―「学」と「信仰」―』 です。
友だちはみんな卒論書くのに苦しんでいましたが、私は書くのが楽しくて、
夏休み明けにはほぼ完成させていました。
今は卒論指導とかしていても、手取り足取り指導して、
誤字脱字のチェックも全部してあげなければなりませんが、
私はゼミで2回発表しただけで(卒論生が20人いたので発表は1人1~2回のみ)、
特に先生から指導をしてもらうこともなく、
途中段階の草稿を先生に提出して赤を入れてもらうなんていうことも一切なく、
自分で勝手に書き上げていました。
これはやはり、今どきの大学生が書けなくなってしまっているということではなく、
すでに書くことに目覚めていた当時の私が普通とは違っていたということなのでしょう。
とにかく哲学を自分でやっていくためには、
書くことに目覚めているというのは必須だったと思います。
書くことが好きでないとこの商売はやっていけないのです。