今日は、加藤国彦先生の『集成』の完成を記念して、『集成』を読む会が開かれました。
私は報告者の一人として、彼の脳死移植反対論を取り上げ、
それに反論する役を引き受けました。
その議論を組み立てる中で、
先に公開した「脳死臓器移植をめぐる諸問題」を改訂する必要を感じましたので、
今日はその改訂版をアップします。
今日の議論の中で、
さらに 「家族の死の受容」 という問題があることが明らかになりましたが、
これをどこに位置づければいいのかまだ私にはわからないので、
今日のところはそれはまだ勘弁してください。
Ⅰ.定義や判定方法をめぐる問題
a.脳死という名称は適切か?
(そもそも「死」と呼ぶべきだったのか。)
b.脳死の定義は?
(現在は世界中で大きく言って3種類の定義があり統一されていない。B案はこのI-bやI-cをはっきりさせようという案だったが、廃案になってしまった。)
c.脳死の判定基準をどう定めたらよいか?
(脳血流検査や脳代謝検査など日本が課していない検査を課している国もある。)
d.不可逆性をいかにして保障するか?
(絶対に回復不可能であるということをどうやって保証できるのか。1回検査したあと一定時間経過後にもう一度検査をすることによって確かめようとしているが、はたしてそれは不可逆性を担保したことになるのか。なお日本の判定基準では6時間後に再検査だが、これは世界最短。)
e.子どもの脳死判定基準は大人の場合と同一でよいか?
(子どもは回復力が強いのでもともと性急な脳死判断は危険であるとされている。E案はこの点をきちんと検証しようという案だったが、廃案になってしまった。)
f.安全確実な判定基準と簡便な判定基準とどちらを選ぶか?
(死の判定だから間違いがないよう厳格な基準が求められてしかるべきだが、日本ではできるだけ容易に判定できる道が選ばれている。)
g.臨床的脳死と法的脳死のダブルスタンダードは許されるか?
(現行法のもとでは主治医が行う臨床的脳死判定と、臓器移植のために法に基づいて行う脳死判定の二つがあった。)
Ⅱ.人の死は何かをめぐる問題
a.脳死は人の死か否か?
(人工呼吸器によって機械的に酸素補給を行い、それに伴って心臓の自動機構により心拍が維持されている状態は生きていると言えるのか。以前は脳死後ほんの数日のうちに必ず心臓死が訪れると言われていたが、今では脳死状態のまま10年以上保持することが可能になっている。その場合、脳死を死と認めないとするならば、人はどうやって死ねるのか。)
b.心臓死は人の死か否か?
(心停止後、呼吸停止後の治療が常態化している現代において、心臓死は死の定義や判定基準として有意味か。例えば、手術中に人工心肺装置などにつないでいる状態は、心臓死になるのかならないのか。けっきょく心拍停止や呼吸停止も不可逆的停止でないかぎり死とは言えないはずだが、その不可逆性はいかにして担保されるのか。)
c.医療技術による生への介入はどこまで許されるか?
(現代においては脳死であれ心臓死であれ自然な死というのは稀で、医療技術によって生への介入が行われているが、それは許されないことなのか。生の機能をどこまで機械的、医学的に補填することが許されるのか。心臓のペースメーカーや人工弁、人工透析なども不自然な生の延長になるのか。植物状態の患者に対する輸液や経管栄養はどうか。)
d.臓器移植を行う場合のみ脳死は人の死となるのか?
(脳死の問題は臓器移植の問題と不可分なのか。現行法では臓器移植を行う場合のみ脳死は人の死とされていたが、その場合、臓器提供しない人たちに関しては脳死の問題が存在しないことになり、延命治療の停止の是非についても語りえなくなってしまう。しかし今回のA案のように一律に脳死を人の死とすると、今度はⅢ-c.のような問題が出てきてしまう。)
e.人の死の理解に多様性を認めるべきか?
(現行法のように何をもって人の死とするかに関しても個人の自由を認めてよいのか。多様性を認める場合に、それを本人ではなく、家族が決めてよいのか。人の死の問題を、臓器提供するかしないかという問題と混同してしまうことの危険性。)
f.人の死に関する家族(本人も含めた)の合意をいかにして形成するか?
(A案が通ってしまったからこそ、今後家族での話し合いが重要になってくる。)
Ⅲ.脳死前・脳死後の治療(または治療停止)をめぐる問題
a.脳死状態に陥らないような最善の救命治療を保障できるか?
(臓器提供を望んでいる場合でも望んでいない場合でも同じように、回復をめざした最善の救命治療を施すことが医療者の第一の義務であるはずだが、はたしてそういうことができるような体制は整っているのか。)
b.将来的にも脳死者を回復させることは絶対に不可能なのか?
(I-b.~I-f.に関して厳格に決めていない以上、不可逆性には疑問があるので、今後、治療可能・回復可能になる可能性は大いにある。)
c.脳死者への治療に保険は適用できるか?
(脳死を一律に人の死とするA案が通ってしまったので、今後この問題が一番重大な問題となっていくと思われる。)
d.延命治療の停止は許されるか?
(A案のおかげで、臓器移植を希望しない脳死者の存在が公認されることになるはずだが、その場合に延命治療を停止するという選択も可能になるのか。あるいは、延命治療を停止するのが基本となっていくのか。)
e.延命治療に関する家族(本人も含めた)の合意をいかにして形成するか?
(家族の誰かが脳死になってしまった場合に、家族が決断を迫られることになるので、家族でふだんから話し合っておく必要が出てくる。)
Ⅳ.臓器移植をめぐる問題
a.臓器移植ははたして医療と言えるのか?
(病気の臓器を治しているわけではなく、誰かの臓器と取り替えているだけなので、はたしてそれが治療といえるか。しかも臓器移植後には免疫抑制剤によって人工的に免疫機能を抑えなければならないので、それははたして安全な治療方法といえるのか。)
b.臓器移植は倫理的な医療行為か?
(死体臓器移植は誰かの死を前提とする医療であるが、それは倫理的に許されるか。死体臓器移植も人工臓器移植も、人間をサイボーグ化し不死を可能にする医療なのではないか。だとしたら、そのような行為は倫理的に許されるのか。)
c.死体からの臓器移植は許されるか?
(心臓死であれ脳死であれ、死体から移植のための臓器を摘出することは許されるのか。逆に摘出を禁止することはできるのか。はたして死体は誰のものなのか。)
d.心臓死者からの臓器移植は許されるか?
(脳死臓器移植より以前から行われていた、心臓死した者からの腎臓摘出や角膜摘出は許されるのか。逆に摘出を禁止することはできるのか。)
e.脳死者からの臓器移植は許されるか?
(とりわけⅠ~Ⅱのような問題がある中で、脳死者から臓器を摘出することは人殺しにはならないのか。逆に、厳密な脳死の定義や判定基準が作られて、脳死が完全に人の死と認められた場合、脳死者からの臓器摘出を禁止することはできるのか。)
f.生体からの臓器移植は許されるか?
(日本では長らく脳死臓器移植ができなかったために、生体移植が当たり前のように行われてしまっているが、病気でも何でもない健康な人の身体にメスを入れ臓器を摘出するのは犯罪ではないのか。)
g.動物からの臓器移植は可能か、許されるか?
(人間ではなく、人間に近い動物から臓器を移植できるならば、そのほうが倫理的問題は少ないと言えるか。生きた動物から摘出するのはやはり動物保護上問題があるのか。人間の身体に動物の臓器を移植すること自体、倫理的に許されない行為か。)
h.死体臓器移植と人工臓器の開発とどちらを優先すべきか?
(脳死臓器移植に頼るよりも人工臓器を移植したほうが倫理的には問題が少ないのではないか。近年ではクローン技術を用いて自らの細胞から新しい臓器を作ることも可能になりつつあり、免疫作用の問題からもより安全性が高いと思われるが、ヒトクローン技術はあくまでも禁止すべきか。)
i.脳死臓器移植をいかにして普及させるか?
(以上の問題点がクリアされ、他の選択肢もないという場合、脳死臓器移植がもっと行われるようにするにはどうしたらいいのか。)
Ⅴ.臓器提供をめぐる問題
a.臓器提供は本人の自己決定に委ねられる問題か否か?
(本人の自己決定によって、臓器を提供するかしないかを決めてもよいか。本人の意思とは関わりなく臓器提供を強要するシステム、ないしは禁止するシステムを作り上げてもよいか。)
b.臓器提供に本人の意思表示は必要か否か?
(臓器提供するかどうかに死んでしまった本人が関与できなくていいのか。)
c.臓器提供に家族の同意は必要か?
(本人が臓器提供を望んでいたのに家族が拒んだ場合、どちらの意見が優先されるべきか。)
d.家族の同意だけで臓器提供を決めてもよいか?
(A案では家族の同意だけでOKとなったが、ある日突然家族の誰かが脳死になってしまったというときに、家族はその場で臓器提供するか否かを落ち着いて決めることができるのか。)
e.臓器提供に関する家族(本人も含めた)の合意をいかにして形成するか?
(万が一のときのために、あらかじめⅡ-e.Ⅲ-e.の問題とともに家族で話し合っておく必要がある。)
f.子どもが臓器提供する場合に本人の意思表示は必要か?
(現行法では本人の意思表示が必要とのことで、遺言同様15歳以上にしか臓器提供の意思表示を認めていなかった。B案は12歳に引き下げようとしたが、何歳から意思表示は有効なのか。D案は15歳未満に関しては家族の同意だけでOKにしようとしていた。けっきょくA案が通ったので、大人も子どもも本人の意思表示は不要ということになってしまったが、はたしてそれでよかったのか。)
Ⅵ.臓器分配をめぐる問題
a.提供者(の家族)への謝礼は認められるか?
(もらった側としては心情的には謝礼を払いたいところだろうが、それは次のⅥ-bの問題ともつながってきかねない。)
b.臓器売買は許されないのか?
(お金の授受をしたほうがよっぽどすっきりするという意見もあり、そうすることによって臓器移植が一気に増える可能性もある。しかし家族の同意だけで可能になった現在、臓器売買まで認めると怪しいケースが増えることも考えられる。)
c.悪質な臓器ブローカーをいかにして取り締まるか?
(国際的には、生きた子どもを拉致して臓器摘出するといった事件も発生している。そうしたことが起こらないようなシステムをどうやって作っていけばいいのか。)
d.いかにして臓器を公平に分配するか?
(現在は臓器移植ネットワークなどの機関が医学的データを基に分配を行っている。それでもいくつかの問題が生じているようだが、今後、臓器移植が増加していったときに公平性は保たれるのか。)
e.限定的提供は認められるか?
(今度の法案では、自分の家族限定で臓器提供をすることが可能になるようである。一家族の中に移植の必要な患者と脳死者が同時に存在する確率はきわめて低いと思われるが、ボランティア精神に依拠している現在のシステムを破壊することにはならないか。)
関連問題 死体の扱いをめぐる問題
a.死体をどのように葬ったらよいのか?
(世界中でも火葬を標準としている国家は稀である。あの野蛮国アメリカですら火葬にはしない。)
b.死体の葬り方と、本人の意思表示や家族の意向との関係は?
(本人の意思表示and/or家族の意向によって葬り方を決めてよいのか、死体の葬り方は共同体として一定の方法を定めてそれに従うべきか。)
c.死体を葬る前に利用することは許されるか?
(医療者養成のための解剖、死因解明のための解剖、博物館での骸骨の展示、心臓死体や脳死体を使った人体実験、脳死体を使った薬物生産、心臓死体や脳死体からの臓器摘出、等々。)
d.死体利用と、本人の意思表示や家族の意向との関係は?
(本人の意思表示and/or家族の同意があれば死体を利用してもよいのか、なくても利用してよいのか、あってもなくても利用してはいけないのか?)
( )内は具体的にどういう問題かを理解してもらうための補足であって、全部が全部私の意見というわけではない。
私は報告者の一人として、彼の脳死移植反対論を取り上げ、
それに反論する役を引き受けました。
その議論を組み立てる中で、
先に公開した「脳死臓器移植をめぐる諸問題」を改訂する必要を感じましたので、
今日はその改訂版をアップします。
今日の議論の中で、
さらに 「家族の死の受容」 という問題があることが明らかになりましたが、
これをどこに位置づければいいのかまだ私にはわからないので、
今日のところはそれはまだ勘弁してください。
Ⅰ.定義や判定方法をめぐる問題
a.脳死という名称は適切か?
(そもそも「死」と呼ぶべきだったのか。)
b.脳死の定義は?
(現在は世界中で大きく言って3種類の定義があり統一されていない。B案はこのI-bやI-cをはっきりさせようという案だったが、廃案になってしまった。)
c.脳死の判定基準をどう定めたらよいか?
(脳血流検査や脳代謝検査など日本が課していない検査を課している国もある。)
d.不可逆性をいかにして保障するか?
(絶対に回復不可能であるということをどうやって保証できるのか。1回検査したあと一定時間経過後にもう一度検査をすることによって確かめようとしているが、はたしてそれは不可逆性を担保したことになるのか。なお日本の判定基準では6時間後に再検査だが、これは世界最短。)
e.子どもの脳死判定基準は大人の場合と同一でよいか?
(子どもは回復力が強いのでもともと性急な脳死判断は危険であるとされている。E案はこの点をきちんと検証しようという案だったが、廃案になってしまった。)
f.安全確実な判定基準と簡便な判定基準とどちらを選ぶか?
(死の判定だから間違いがないよう厳格な基準が求められてしかるべきだが、日本ではできるだけ容易に判定できる道が選ばれている。)
g.臨床的脳死と法的脳死のダブルスタンダードは許されるか?
(現行法のもとでは主治医が行う臨床的脳死判定と、臓器移植のために法に基づいて行う脳死判定の二つがあった。)
Ⅱ.人の死は何かをめぐる問題
a.脳死は人の死か否か?
(人工呼吸器によって機械的に酸素補給を行い、それに伴って心臓の自動機構により心拍が維持されている状態は生きていると言えるのか。以前は脳死後ほんの数日のうちに必ず心臓死が訪れると言われていたが、今では脳死状態のまま10年以上保持することが可能になっている。その場合、脳死を死と認めないとするならば、人はどうやって死ねるのか。)
b.心臓死は人の死か否か?
(心停止後、呼吸停止後の治療が常態化している現代において、心臓死は死の定義や判定基準として有意味か。例えば、手術中に人工心肺装置などにつないでいる状態は、心臓死になるのかならないのか。けっきょく心拍停止や呼吸停止も不可逆的停止でないかぎり死とは言えないはずだが、その不可逆性はいかにして担保されるのか。)
c.医療技術による生への介入はどこまで許されるか?
(現代においては脳死であれ心臓死であれ自然な死というのは稀で、医療技術によって生への介入が行われているが、それは許されないことなのか。生の機能をどこまで機械的、医学的に補填することが許されるのか。心臓のペースメーカーや人工弁、人工透析なども不自然な生の延長になるのか。植物状態の患者に対する輸液や経管栄養はどうか。)
d.臓器移植を行う場合のみ脳死は人の死となるのか?
(脳死の問題は臓器移植の問題と不可分なのか。現行法では臓器移植を行う場合のみ脳死は人の死とされていたが、その場合、臓器提供しない人たちに関しては脳死の問題が存在しないことになり、延命治療の停止の是非についても語りえなくなってしまう。しかし今回のA案のように一律に脳死を人の死とすると、今度はⅢ-c.のような問題が出てきてしまう。)
e.人の死の理解に多様性を認めるべきか?
(現行法のように何をもって人の死とするかに関しても個人の自由を認めてよいのか。多様性を認める場合に、それを本人ではなく、家族が決めてよいのか。人の死の問題を、臓器提供するかしないかという問題と混同してしまうことの危険性。)
f.人の死に関する家族(本人も含めた)の合意をいかにして形成するか?
(A案が通ってしまったからこそ、今後家族での話し合いが重要になってくる。)
Ⅲ.脳死前・脳死後の治療(または治療停止)をめぐる問題
a.脳死状態に陥らないような最善の救命治療を保障できるか?
(臓器提供を望んでいる場合でも望んでいない場合でも同じように、回復をめざした最善の救命治療を施すことが医療者の第一の義務であるはずだが、はたしてそういうことができるような体制は整っているのか。)
b.将来的にも脳死者を回復させることは絶対に不可能なのか?
(I-b.~I-f.に関して厳格に決めていない以上、不可逆性には疑問があるので、今後、治療可能・回復可能になる可能性は大いにある。)
c.脳死者への治療に保険は適用できるか?
(脳死を一律に人の死とするA案が通ってしまったので、今後この問題が一番重大な問題となっていくと思われる。)
d.延命治療の停止は許されるか?
(A案のおかげで、臓器移植を希望しない脳死者の存在が公認されることになるはずだが、その場合に延命治療を停止するという選択も可能になるのか。あるいは、延命治療を停止するのが基本となっていくのか。)
e.延命治療に関する家族(本人も含めた)の合意をいかにして形成するか?
(家族の誰かが脳死になってしまった場合に、家族が決断を迫られることになるので、家族でふだんから話し合っておく必要が出てくる。)
Ⅳ.臓器移植をめぐる問題
a.臓器移植ははたして医療と言えるのか?
(病気の臓器を治しているわけではなく、誰かの臓器と取り替えているだけなので、はたしてそれが治療といえるか。しかも臓器移植後には免疫抑制剤によって人工的に免疫機能を抑えなければならないので、それははたして安全な治療方法といえるのか。)
b.臓器移植は倫理的な医療行為か?
(死体臓器移植は誰かの死を前提とする医療であるが、それは倫理的に許されるか。死体臓器移植も人工臓器移植も、人間をサイボーグ化し不死を可能にする医療なのではないか。だとしたら、そのような行為は倫理的に許されるのか。)
c.死体からの臓器移植は許されるか?
(心臓死であれ脳死であれ、死体から移植のための臓器を摘出することは許されるのか。逆に摘出を禁止することはできるのか。はたして死体は誰のものなのか。)
d.心臓死者からの臓器移植は許されるか?
(脳死臓器移植より以前から行われていた、心臓死した者からの腎臓摘出や角膜摘出は許されるのか。逆に摘出を禁止することはできるのか。)
e.脳死者からの臓器移植は許されるか?
(とりわけⅠ~Ⅱのような問題がある中で、脳死者から臓器を摘出することは人殺しにはならないのか。逆に、厳密な脳死の定義や判定基準が作られて、脳死が完全に人の死と認められた場合、脳死者からの臓器摘出を禁止することはできるのか。)
f.生体からの臓器移植は許されるか?
(日本では長らく脳死臓器移植ができなかったために、生体移植が当たり前のように行われてしまっているが、病気でも何でもない健康な人の身体にメスを入れ臓器を摘出するのは犯罪ではないのか。)
g.動物からの臓器移植は可能か、許されるか?
(人間ではなく、人間に近い動物から臓器を移植できるならば、そのほうが倫理的問題は少ないと言えるか。生きた動物から摘出するのはやはり動物保護上問題があるのか。人間の身体に動物の臓器を移植すること自体、倫理的に許されない行為か。)
h.死体臓器移植と人工臓器の開発とどちらを優先すべきか?
(脳死臓器移植に頼るよりも人工臓器を移植したほうが倫理的には問題が少ないのではないか。近年ではクローン技術を用いて自らの細胞から新しい臓器を作ることも可能になりつつあり、免疫作用の問題からもより安全性が高いと思われるが、ヒトクローン技術はあくまでも禁止すべきか。)
i.脳死臓器移植をいかにして普及させるか?
(以上の問題点がクリアされ、他の選択肢もないという場合、脳死臓器移植がもっと行われるようにするにはどうしたらいいのか。)
Ⅴ.臓器提供をめぐる問題
a.臓器提供は本人の自己決定に委ねられる問題か否か?
(本人の自己決定によって、臓器を提供するかしないかを決めてもよいか。本人の意思とは関わりなく臓器提供を強要するシステム、ないしは禁止するシステムを作り上げてもよいか。)
b.臓器提供に本人の意思表示は必要か否か?
(臓器提供するかどうかに死んでしまった本人が関与できなくていいのか。)
c.臓器提供に家族の同意は必要か?
(本人が臓器提供を望んでいたのに家族が拒んだ場合、どちらの意見が優先されるべきか。)
d.家族の同意だけで臓器提供を決めてもよいか?
(A案では家族の同意だけでOKとなったが、ある日突然家族の誰かが脳死になってしまったというときに、家族はその場で臓器提供するか否かを落ち着いて決めることができるのか。)
e.臓器提供に関する家族(本人も含めた)の合意をいかにして形成するか?
(万が一のときのために、あらかじめⅡ-e.Ⅲ-e.の問題とともに家族で話し合っておく必要がある。)
f.子どもが臓器提供する場合に本人の意思表示は必要か?
(現行法では本人の意思表示が必要とのことで、遺言同様15歳以上にしか臓器提供の意思表示を認めていなかった。B案は12歳に引き下げようとしたが、何歳から意思表示は有効なのか。D案は15歳未満に関しては家族の同意だけでOKにしようとしていた。けっきょくA案が通ったので、大人も子どもも本人の意思表示は不要ということになってしまったが、はたしてそれでよかったのか。)
Ⅵ.臓器分配をめぐる問題
a.提供者(の家族)への謝礼は認められるか?
(もらった側としては心情的には謝礼を払いたいところだろうが、それは次のⅥ-bの問題ともつながってきかねない。)
b.臓器売買は許されないのか?
(お金の授受をしたほうがよっぽどすっきりするという意見もあり、そうすることによって臓器移植が一気に増える可能性もある。しかし家族の同意だけで可能になった現在、臓器売買まで認めると怪しいケースが増えることも考えられる。)
c.悪質な臓器ブローカーをいかにして取り締まるか?
(国際的には、生きた子どもを拉致して臓器摘出するといった事件も発生している。そうしたことが起こらないようなシステムをどうやって作っていけばいいのか。)
d.いかにして臓器を公平に分配するか?
(現在は臓器移植ネットワークなどの機関が医学的データを基に分配を行っている。それでもいくつかの問題が生じているようだが、今後、臓器移植が増加していったときに公平性は保たれるのか。)
e.限定的提供は認められるか?
(今度の法案では、自分の家族限定で臓器提供をすることが可能になるようである。一家族の中に移植の必要な患者と脳死者が同時に存在する確率はきわめて低いと思われるが、ボランティア精神に依拠している現在のシステムを破壊することにはならないか。)
関連問題 死体の扱いをめぐる問題
a.死体をどのように葬ったらよいのか?
(世界中でも火葬を標準としている国家は稀である。あの野蛮国アメリカですら火葬にはしない。)
b.死体の葬り方と、本人の意思表示や家族の意向との関係は?
(本人の意思表示and/or家族の意向によって葬り方を決めてよいのか、死体の葬り方は共同体として一定の方法を定めてそれに従うべきか。)
c.死体を葬る前に利用することは許されるか?
(医療者養成のための解剖、死因解明のための解剖、博物館での骸骨の展示、心臓死体や脳死体を使った人体実験、脳死体を使った薬物生産、心臓死体や脳死体からの臓器摘出、等々。)
d.死体利用と、本人の意思表示や家族の意向との関係は?
(本人の意思表示and/or家族の同意があれば死体を利用してもよいのか、なくても利用してよいのか、あってもなくても利用してはいけないのか?)
( )内は具体的にどういう問題かを理解してもらうための補足であって、全部が全部私の意見というわけではない。