まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.人間として一番大切なことは何ですか?

2009-10-04 12:45:28 | 哲学・倫理学ファック
うーん、これは深い問いですねぇ。
こんなブログでそう簡単にお答えできるような問いではありません。
しかもこれは前にも言ったように、考え続けなければいけないけれど、
なにか1つの正解が存在するわけではないような問いのうちの1つです。
ですので、いちおうお答えしたとしても、それはけっして唯一絶対の正解ではありません。
というか、「哲学・倫理学ファック」 でのお答えはすべてそういう性格のものです。
あくまでも、小野原の個人的見解ということですので、その点ご承知おきください。

さて、哲学や倫理学はまず 「問いを問い直す」 ところから始めるという話をしました。
この問いに関しても、すぐに答えを考え始めるのではなく、
問いを問い直すことから初めてみましょう。
「一番大切なこと」 は何かと問われているわけですが、
まずはっきりさせておかなくてはならないのは、
「一番大切」 ってどういうことか、ということです。

例えば 「空気」 は人間にとって大切ですね。
空気がなければ、人間は1時間も生きていることができません。
水や食べ物も大切です。
しかし、空気や水や食べ物が大切というのは、動物にとっても同じことです。
質問にあるように 「人間にとって大切」 というのがどういう意味かにもよりますが、
それらは人間にとってのみ大切なわけではなく、
人間を含めた動植物全般にとって大切なわけです。
そういうものって 「人間にとって一番大切」 と言えるのでしょうか?
別の言い方をすると、一番下のレベルで大切なものというのは、
たしかに本当に大切なものであるわけですが、
それが満たされたからといって、
人間らしくあるという意味で一番大切なものであるかどうかは、まだわからないわけです。

例えば、標記のような質問を受けたら、
私はたぶん 「生きていること」 と答えるでしょう。
最近では、「人間、生きてるだけで丸儲け」 なんていうことが言われていて、
その言葉には私はものすごく同意できるわけです。
しかし、ただ生きているだけなら、他の動植物と変わらないのではないでしょうか?
とすると、「生きていること」 というのは、人間にとって一番大切なことなのでしょうか?

実際、江戸時代までは、生きていることよりも大切なことはたくさんありました。
お国のため、お家のために命を捧げることはとても大切なことでした。
国民一人一人の命が大切だなんて言われるようになったのは、
日本では、第二次大戦が終わって以降、ほんのこの60年くらいのことです。
世界的に言ってもそんなに古いことではありません。

現代では多くの国で、一人一人が生きていくことが大切なこととされるようになっていますが、
それにしても、では 「生きること」 は人間にとって一番大切なことなのでしょうか。
そういう最低限度のことではなく、もっと高次の大切なことがあるのではないでしょうか。
結論から言うならば、たぶんあるのでしょう。
しかし、高次になればなるほど、すべての人間に共通というのは難しくなって、
一人一人に固有な大切なことが出てくるのだと思います。
一人一人にとって大切なことというのは、一人一人が考えればいいことですから、
哲学・倫理学がそれに答えることはできません。
もちろん、高次の大切なことにしても、
すべての人間に普遍的に大切だと言えるようなことがあればいいのですが、
それに関して、みんなの同意を集めるのは至難の業でしょう。

とすると、哲学・倫理学が言えるのは、
高次のレベルではなく、低次の、すべての人間に共通な大切なことくらいかもしれません。
だとするならば、私は胸を張って、
人間にとって一番大切なことは 「生きること」 であると断言したいと思います。
生きていることがすべての前提です。
ありとあらゆる可能性の根源です。
どうせいずれ死ねるんですから、生きていられる間は生きておいて、
人間の可能性 (すなわち自由) を味わい尽くしたいと、私は思います。