私は1994年に福島大学に来ました。
その年の6月に生まれて初めて骨折してしまいました。
当時自転車で駅まで通っていたのですが、
官舎の裏手にあるS字クランクをいつもより少しスピードを上げて通り抜けようとしたところ、
タイヤがズルッとすべって自転車ごと左側に倒れてしまいました。
ペダルから足を離して身体を支える暇 (いとま) もなく、
左膝からアスファルトの道に激突し、ヒザのお皿がパッカリと割れてしまったのです。
骨折したのが初めてだったので、翌日病院で手当を受けて驚いたのは、
骨折ってなにか治療らしい治療をするわけではないんですね。
要するに、ギプスで固定するだけ。
あとは骨が勝手に自己再生してくっつくのを時間をかけて待つだけなんですね。
私の場合はヒザを曲げることができないように、
太ももから足首までのギプスをはめられて、松葉杖生活が始まりました。
そして残念なことに、その同じ6月に父が亡くなってしまったのです。
そうなんです。
私は父のお通夜や告別式のあいだじゅう、
親族代表としてご挨拶を申し述べるときも、
さらには九州嬉野のお墓に納骨に行くときもずっと、
ギプスと松葉杖姿のままだったのです。
これはけっこうたいへんでしたねぇ。
よりによってなんでこんな時に、と自分の愚かしさを呪い、
父のタイミングの悪さにも毒づいたりしていたものでした。
で、もう記憶が薄れてしまったのであやふやなのですが、
たしか葬儀場から火葬場への移動の時だったと思います。
ものすごく痛い思い出がひとつあるのです。
葬式のときってクルマに乗らなきゃいけないことが多いですね。
ところが私はギプス&松葉杖状態ですから、
クルマの乗り降りがものすごく不自由でした。
左脚はギプスで固められまったく曲がりませんし、
左脚に体重をかけることもできません。
その場合そもそもどうやってクルマに座ればいいのでしょうか。
これはもう福島でも大学の同僚たちにずいぶんお世話になっていましたので、
乗り方は確立しています。
ちょっと大きめのクルマなら、助手席をめいっぱい下げてそこに座ることもできますが、
たいていの場合は、後部座席全部を占拠して、
左脚を横に投げ出すようにして横座りするのです。
しかしながら、クルマの外に2本の松葉杖を使って立っている状態から、
その横座りの体勢までどうやって移行したらいいのか、
これを習得するにはかなりの時間がかかりました。
まずは左の松葉杖をクルマの中に入れ、左手で開いたドアのルーフの部分をつかみます (①)。
わかりますか?
ドラマとかで警官が犯人をクルマに乗せるとき、
犯人の頭がぶつからないように頭を下げさせながら犯人をクルマの中に押し込みますね。
あの頭がぶつかりそうになる部分のことです。
あそこを左手でガシッと握るのです。
親指は車内に、他の4指は屋根の上にかける感じになります。
その左手と右脚で体重を支えながら、右の松葉杖もクルマの中にしまいます (②)。
そうしたら右手で後部座席の背もたれのあたりをもち、
まずはギプスで固められた左脚を後部座席に投げ出します (③)。
そこからは両手で全体重を支えつつ、
右脚を後部座席のシート部分にヒザをつくようにして折り入れていきます (④)。
さらに両手で身体を持ち上げながら、
折り入れたヒザを伸ばしつつお尻で座れるように体勢を整えていきます (⑤)。
横座りの体勢が確保できたら、両手を離して乗車完了です (⑥)。
ドアはめいっぱい開いている状態ですから、この状態で自力でドアを閉めるのは不可能です。
誰かに閉めてもらうしかないでしょう。
下りるときはこの逆をやらなくてはならないのです。
とまあ、こんなつらいエクササイズをクルマに乗り降りするたびやっていたわけです。
そして悲劇が訪れます。
たぶん火葬場に向かおうというときだったと思うのですが、
いつものように私は一連の手順を踏んでクルマに乗り込もうとしておりました。
で、⑤の部分まで来て、両手で体重を支えながら体勢を整えようとがんばっていたのです。
ところがその最中に、外に立っていた妹がバターンと思いっきりドアを閉めてしまったのです。
このときまだ私の左手は 「ルーフ」 を 「ガシッと握り」、
「親指は車内に、他の4指は屋根の上にかける感じ」 になっているんですよっ
なのにあいつはドアを思いっきり閉めやがったのです
私は本当に 「ギャーッ
」 と叫んでしまいました。
驚いたことにドアは完全に閉まったのです。
普通だったら私の左手に阻まれてドアクローズに失敗し、
再び開いてしまったりしてもよさそうじゃないですか。
ところが、あいつはどれだけ力いっぱい閉めたんだか、
ドアは私の左手をはさんだままちゃんと閉まり、室内灯も消えたのです。
私の叫び声に気づいた妹はしかし私がなぜ叫んだのかには気づいておらず、
私がドアの窓越しにやつを睨みつけながら、
「手ぇ、手ぇ」 と繰り返したらやっと事態が呑み込めたようで、
あわててドアを開けてくれました。
ドアを開けながらやつは爆笑していました。
完全に閉まったドアから私の4本の指が出ている絵柄がよっぽどおかしかったようです。
私はその爆笑を咎める元気もなく、
ジーンとし横一線赤く腫れている左手の甲を見ながら、
今度は左手骨折かあと呆然としていました。
しかし幸いなことに骨折はしていなかったようで、
その日のうちに痛みも腫れもひいてきましたので、病院にも行かずにすみました。
それにしても、あの完全に閉まったドアと、妹の高笑いは未だに鮮明に覚えています。
父の命日のたびに甦ってきます。
いつか妹が脚を骨折しないかなあ、
そうしたらクルマの乗り降り手伝ってあげるのになあと楽しみにしている今日この頃でした。
その年の6月に生まれて初めて骨折してしまいました。
当時自転車で駅まで通っていたのですが、
官舎の裏手にあるS字クランクをいつもより少しスピードを上げて通り抜けようとしたところ、
タイヤがズルッとすべって自転車ごと左側に倒れてしまいました。
ペダルから足を離して身体を支える暇 (いとま) もなく、
左膝からアスファルトの道に激突し、ヒザのお皿がパッカリと割れてしまったのです。
骨折したのが初めてだったので、翌日病院で手当を受けて驚いたのは、
骨折ってなにか治療らしい治療をするわけではないんですね。
要するに、ギプスで固定するだけ。
あとは骨が勝手に自己再生してくっつくのを時間をかけて待つだけなんですね。
私の場合はヒザを曲げることができないように、
太ももから足首までのギプスをはめられて、松葉杖生活が始まりました。
そして残念なことに、その同じ6月に父が亡くなってしまったのです。
そうなんです。
私は父のお通夜や告別式のあいだじゅう、
親族代表としてご挨拶を申し述べるときも、
さらには九州嬉野のお墓に納骨に行くときもずっと、
ギプスと松葉杖姿のままだったのです。
これはけっこうたいへんでしたねぇ。
よりによってなんでこんな時に、と自分の愚かしさを呪い、
父のタイミングの悪さにも毒づいたりしていたものでした。
で、もう記憶が薄れてしまったのであやふやなのですが、
たしか葬儀場から火葬場への移動の時だったと思います。
ものすごく痛い思い出がひとつあるのです。
葬式のときってクルマに乗らなきゃいけないことが多いですね。
ところが私はギプス&松葉杖状態ですから、
クルマの乗り降りがものすごく不自由でした。
左脚はギプスで固められまったく曲がりませんし、
左脚に体重をかけることもできません。
その場合そもそもどうやってクルマに座ればいいのでしょうか。
これはもう福島でも大学の同僚たちにずいぶんお世話になっていましたので、
乗り方は確立しています。
ちょっと大きめのクルマなら、助手席をめいっぱい下げてそこに座ることもできますが、
たいていの場合は、後部座席全部を占拠して、
左脚を横に投げ出すようにして横座りするのです。
しかしながら、クルマの外に2本の松葉杖を使って立っている状態から、
その横座りの体勢までどうやって移行したらいいのか、
これを習得するにはかなりの時間がかかりました。
まずは左の松葉杖をクルマの中に入れ、左手で開いたドアのルーフの部分をつかみます (①)。
わかりますか?
ドラマとかで警官が犯人をクルマに乗せるとき、
犯人の頭がぶつからないように頭を下げさせながら犯人をクルマの中に押し込みますね。
あの頭がぶつかりそうになる部分のことです。
あそこを左手でガシッと握るのです。
親指は車内に、他の4指は屋根の上にかける感じになります。
その左手と右脚で体重を支えながら、右の松葉杖もクルマの中にしまいます (②)。
そうしたら右手で後部座席の背もたれのあたりをもち、
まずはギプスで固められた左脚を後部座席に投げ出します (③)。
そこからは両手で全体重を支えつつ、
右脚を後部座席のシート部分にヒザをつくようにして折り入れていきます (④)。
さらに両手で身体を持ち上げながら、
折り入れたヒザを伸ばしつつお尻で座れるように体勢を整えていきます (⑤)。
横座りの体勢が確保できたら、両手を離して乗車完了です (⑥)。
ドアはめいっぱい開いている状態ですから、この状態で自力でドアを閉めるのは不可能です。
誰かに閉めてもらうしかないでしょう。
下りるときはこの逆をやらなくてはならないのです。
とまあ、こんなつらいエクササイズをクルマに乗り降りするたびやっていたわけです。
そして悲劇が訪れます。
たぶん火葬場に向かおうというときだったと思うのですが、
いつものように私は一連の手順を踏んでクルマに乗り込もうとしておりました。
で、⑤の部分まで来て、両手で体重を支えながら体勢を整えようとがんばっていたのです。
ところがその最中に、外に立っていた妹がバターンと思いっきりドアを閉めてしまったのです。
このときまだ私の左手は 「ルーフ」 を 「ガシッと握り」、
「親指は車内に、他の4指は屋根の上にかける感じ」 になっているんですよっ
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なのにあいつはドアを思いっきり閉めやがったのです
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私は本当に 「ギャーッ
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普通だったら私の左手に阻まれてドアクローズに失敗し、
再び開いてしまったりしてもよさそうじゃないですか。
ところが、あいつはどれだけ力いっぱい閉めたんだか、
ドアは私の左手をはさんだままちゃんと閉まり、室内灯も消えたのです。
私の叫び声に気づいた妹はしかし私がなぜ叫んだのかには気づいておらず、
私がドアの窓越しにやつを睨みつけながら、
「手ぇ、手ぇ」 と繰り返したらやっと事態が呑み込めたようで、
あわててドアを開けてくれました。
ドアを開けながらやつは爆笑していました。
完全に閉まったドアから私の4本の指が出ている絵柄がよっぽどおかしかったようです。
私はその爆笑を咎める元気もなく、
ジーンとし横一線赤く腫れている左手の甲を見ながら、
今度は左手骨折かあと呆然としていました。
しかし幸いなことに骨折はしていなかったようで、
その日のうちに痛みも腫れもひいてきましたので、病院にも行かずにすみました。
それにしても、あの完全に閉まったドアと、妹の高笑いは未だに鮮明に覚えています。
父の命日のたびに甦ってきます。
いつか妹が脚を骨折しないかなあ、
そうしたらクルマの乗り降り手伝ってあげるのになあと楽しみにしている今日この頃でした。