今日の1限は人間発達文化学類の1年生全員必修の 「キャリア形成論」 で、
「働くとは」 の回を担当させていただきました。
内容は先日の修明高校の大学訪問のときに話した 「人はなぜ学びなぜ働くのか」 と基本的に同じです。
ただし、今回はうちの学類の1年生相手ですので、まず最初に次のような質問をしてみました。
「皆さんは福島大学の人間発達文化学類に入学してきましたが、
『人間発達文化学類』 と聞いてどんなことを学ぶところだと思いましたか。」
うちの学類は漢字8文字の長ったらしい名前ですが、
それがどういう意味をもつものだと思っているかを書いてもらったのです。
だいたい多くの人は 「人間の発達について学ぶところ」 みたいに答えていて、
若干名の人たちが 「人間の発達や成長と、様々な文化について学ぶ」 というように、
並列的に文化についても触れてくれているという感じでした。
そういう各自がもつイメージを出発点にしながら、
いつもの 「本能の壊れた動物」 の話をしていきました。
以下、学生の皆さんのワークシート記入内容に基づいてどんな話をしたか再現してみましょう。
「まずは、人間とは本能の壊れた動物であるということが印象に残った。
人間は一番有能な動物であると思っていたが、他の動物と違い、
本能と自然目的が必ずしも一致してはいないということを感じた。
その代わり、人間には文化という形で自由や可能性があることがわかり、
自分が生きていく上で文化というものが大きな役割を果たしていることを感じた。」
「今まで 『文化』 について自分は漠然としたイメージしか持っていなかった。
しかし、『文化』 というのは本能の代替物であり人間が生き残るために不可欠なもので、
人は文化の中で文化を使って生きるという言葉に深く感銘を受けた。」
「私達は普段 『文化の中で生活している』 という意識をもって生活していませんが、
人間は文化から生きている力を学び、その文化を使って働くという考え方がとても印象に残った。
『生きていくために学ぶ』 その時代の文化に適応させながら
人間は人間を作り出していくのだなと思った。」
本能の壊れた動物の話をすると人間に対して幻滅してしまう人が例年若干いるのですが、
最近は、だからこそ人間には自由と無限の可能性があるのだという話をセットでするようにしています。
「時々、虫や動物は自由に暮らしているのに、なぜ人間は勉強したり、
働いたりして生活しなければいけないんだろうと思うことがありましたが、
今日の講義を聞いてすごく納得しました。
今までは ”文化” という意味を漠然としか理解していなかったけれど、
人間は本能の壊れた動物だからこそ、
自分たちでいろいろな文化を作っているという話でよく理解できました。
クモのように本能で生きるのと、人間のように文化を作り生きていくのとでは
どちらがいいかと考えたときに、お話にもあったように、
自由度が高くて可能性の広がる人間の生き方が望ましいと思いました。
今まで虫や動物が自由で、私たち人間は自由でなく縛られていると思っていたけど、
そうではないことに気がつきました。」
そして、人間は本能ではなく文化によって生きていくのだから、
長い時間をかけて文化を伝達 ・ 習得しなければならない、
文化の伝達 (=教育)、文化の習得 (=学習) は人間の発達 ・ 成長に不可欠なものであり、
それを学んでいくのが人間発達文化学類なんだと説明しました。
「私は ”文化” というのは自分の興味あるものの伝統などを自由に学ぶものと思っていました。
しかしこの講義で文化は生きていくための能力だと学びました。
今まで思っていた文化の価値観が全くちがっていて、
人間は、人間が作り出した文化を長いスパンで学んでゆくことが使命なんだと思いました。
そしてそれを学ぶだけでなく、さらに次世代に伝えるまで深く学ぶところがここ福島大学であり、
私は入学した誇りをもって、生きていくための力を追求していきたいと思いました!」
ここまで話したところで得意の 「ありがたい話」 をかまします。
「他人が何かしてくれるのはあたり前ではなく、有ることが難しいことなのだから、
ありがとうと感謝しなければいけないということが印象に残りました。
相手に対して 「なんでこういうことしないの?」 と思うこともありますが、
それはあたり前のことではないから自分がどうこうと言えることではないと思いました。
そんなめったにないことを自分なんかにしてくれる人にはありがとうの気持を大切に、
そして表現していきたいです。」
「両親は、どんなに仕事に行くのがいやでも必ず仕事に行きます。
私達は、授業がいやならさぼることができます。
両親は、私たちのために仕事に行き、お金をかせいでくれます。
先生がおっしゃっていたことで、他人が何かしてくれるのは、
有ることが難しいという言葉が思い浮かびました。
家族だからといって当たり前ではないのだと感じました。
感謝の気持ちは忘れてはならないと改めて考えさせられる授業でした。」
最後に、現代のような高度産業化社会、知識基盤社会においては、
生きる力としての文化というのも高度に複雑化していて、
答えのない問題を考え抜く力が必要とされるようになっているので、
大学4年間という時間を大切に、楽をするのではなく、
自分に負荷をかけて自分の力を伸ばすようがんばってほしいと締め括りました。
「私は今まで、小、中、高と、ただ学校へ行って、
授業で教わったことを記憶してテストに挑むという暗記だけで終わらせていて、
本当の 『学ぶ』 という行為をしていなかったことを実感しました。
これからは答えが出ない問題を解決していくことになるので、
積極的に授業をきいて、先生方のお話の中から、
問題解決へ向けての手がかりをみつけたいと思いました。」
「大学入学してもうすぐ1ヶ月が経つが、すでに先輩が楽だという授業をとったり、
話を真剣に聞いていなかったり、楽をした生活をおくろうとしている。
しかし、大学4年間かけて学び、生きていく力をつけなくてはいけないのに、
このままでいてはいけないと思う。
せっかく親にお金をだして学ばせてもらっているのだから、
これからは何かを選択する時は自分にとって少し負荷がかかる方を挑戦していきたい。
そして将来社会に出た時に周りの情報に惑わされず、
自分で考え答えを出す力を身につけていきたい。」
「どの授業もぼんやり聞くだけでなく、自分からどう行動するか、
つまらない授業をいかに活用するかはやはり自分次第であると感じた。
ただ授業を聞いている人間にはなりたくないし、大学に学びに来た以上、
つまらない授業も自分のモノにして成長していけたらいいと考える。
そしてダラダラ生活して毎日を過ごさないように生活習慣を身に付けていきたい。
確かに今の私たちは社会に出ても通用する人材ではないが、
この4年間で社会に出てもおかしくない、
ふさわしい人間になれるよう精一杯学びたいと強く思う。」
「私は教職はとらないが、この4年間、何事にも感謝の気持ちを忘れずに、
積極的な行動をし、主体的な学びをしたいと思った。
そして自分の可能性を広げ、4年後の自分の進路を見つけつくりあげていきたいと思う。」
「人間は生まれつき先生になれるわけではない、
文化を伝達することはとても高度な技術であり、一筋縄ではいかないと感じた。
教師になるためには専門的な知識だけじゃなく、
答えのない今日のような講義の内容を探究し、
子ども達に伝えていくための技術を身に付ける必要があると感じた。
どんな授業でも頑張ってなにかを身につけたいと思います。」
「もっと深い理解と表現できる力がほしいと思っています。
それは、今回の震災でも思ったことです。
避難所生活をしていた時期がありましたが、
自分に出来ることにものすごく限りがあること、力量のなさを痛感しました。
もっと人の力になりたいと思います。
そのために、この4年間、積極的に学びたいです。」
「今日の授業を聞いて、改めて自分自身のこれまでの生活の仕方を考えました。
今までは、いくら授業で先生方が自分の生活の過ごし方について良い方法を示してくださっても、
なかなか自分の習慣づいてしまった考え方のせいで行動を変えることができずにいましたが、
人間の脳の発達に言語の使用が関わっているという話を聞き、
言葉を使って自分の思考の仕方を修正していこうと思いました。
なので今日は、自分にとって大切だと思ったこと、先生が強調していた部分をメモしておきました。
これから、メモを逐一とるくせをつけ、
毎日それを見直すことで少しずつ自分の行動を変えていきたいと思います。」
「『何を学ぶかは自分で決める!』 という言葉にはすごく感動しました。
何を学ぶべきなのか、その意味を見失いかけていた私は、
これから1つ1つの授業をもっとよく考えて受けようと思いました。
『負荷をかけて力をつける!!』 実際、朝早くてつらかったりすることもありますが、
少しでも人のためになる力を身に付けられればと思います。
これからの大学生活がすごく楽しみになりました!
ありがとうございます!!」
さすがに300人弱が受講している授業だと、ご紹介したいコメントがたくさんありますね。
できるかぎり内容の重複を避けて厳選に厳選を重ねてこれだけに絞りましたが、
本当はほかにもまだまだみんないいことを書いてくれていました。
みんなそれぞれにいろいろな気づきをしてくれたようで、それは本当に有り難いことですが、
誰かが書いてくれていたように、人間というのは一度気づきを得たからといって、
それであっさりそれまで習慣化していた行動をガラッと改められるものではありません。
今日の2限以降、意識を集中して自分に負荷をかけながら学ぶことはできていたでしょうか?
来週の 「キャリア形成論」 も私が担当します。
そのときにはこの1週間すべての授業をどんなふうに受講していたか聞きますので、
胸を張って、こんなことを学びました、これだけ力が伸びました、と報告できるよう、
今日学んだことを意識しながら1つ1つの授業を受けるようにしてみてください。
「働くとは」 の回を担当させていただきました。
内容は先日の修明高校の大学訪問のときに話した 「人はなぜ学びなぜ働くのか」 と基本的に同じです。
ただし、今回はうちの学類の1年生相手ですので、まず最初に次のような質問をしてみました。
「皆さんは福島大学の人間発達文化学類に入学してきましたが、
『人間発達文化学類』 と聞いてどんなことを学ぶところだと思いましたか。」
うちの学類は漢字8文字の長ったらしい名前ですが、
それがどういう意味をもつものだと思っているかを書いてもらったのです。
だいたい多くの人は 「人間の発達について学ぶところ」 みたいに答えていて、
若干名の人たちが 「人間の発達や成長と、様々な文化について学ぶ」 というように、
並列的に文化についても触れてくれているという感じでした。
そういう各自がもつイメージを出発点にしながら、
いつもの 「本能の壊れた動物」 の話をしていきました。
以下、学生の皆さんのワークシート記入内容に基づいてどんな話をしたか再現してみましょう。
「まずは、人間とは本能の壊れた動物であるということが印象に残った。
人間は一番有能な動物であると思っていたが、他の動物と違い、
本能と自然目的が必ずしも一致してはいないということを感じた。
その代わり、人間には文化という形で自由や可能性があることがわかり、
自分が生きていく上で文化というものが大きな役割を果たしていることを感じた。」
「今まで 『文化』 について自分は漠然としたイメージしか持っていなかった。
しかし、『文化』 というのは本能の代替物であり人間が生き残るために不可欠なもので、
人は文化の中で文化を使って生きるという言葉に深く感銘を受けた。」
「私達は普段 『文化の中で生活している』 という意識をもって生活していませんが、
人間は文化から生きている力を学び、その文化を使って働くという考え方がとても印象に残った。
『生きていくために学ぶ』 その時代の文化に適応させながら
人間は人間を作り出していくのだなと思った。」
本能の壊れた動物の話をすると人間に対して幻滅してしまう人が例年若干いるのですが、
最近は、だからこそ人間には自由と無限の可能性があるのだという話をセットでするようにしています。
「時々、虫や動物は自由に暮らしているのに、なぜ人間は勉強したり、
働いたりして生活しなければいけないんだろうと思うことがありましたが、
今日の講義を聞いてすごく納得しました。
今までは ”文化” という意味を漠然としか理解していなかったけれど、
人間は本能の壊れた動物だからこそ、
自分たちでいろいろな文化を作っているという話でよく理解できました。
クモのように本能で生きるのと、人間のように文化を作り生きていくのとでは
どちらがいいかと考えたときに、お話にもあったように、
自由度が高くて可能性の広がる人間の生き方が望ましいと思いました。
今まで虫や動物が自由で、私たち人間は自由でなく縛られていると思っていたけど、
そうではないことに気がつきました。」
そして、人間は本能ではなく文化によって生きていくのだから、
長い時間をかけて文化を伝達 ・ 習得しなければならない、
文化の伝達 (=教育)、文化の習得 (=学習) は人間の発達 ・ 成長に不可欠なものであり、
それを学んでいくのが人間発達文化学類なんだと説明しました。
「私は ”文化” というのは自分の興味あるものの伝統などを自由に学ぶものと思っていました。
しかしこの講義で文化は生きていくための能力だと学びました。
今まで思っていた文化の価値観が全くちがっていて、
人間は、人間が作り出した文化を長いスパンで学んでゆくことが使命なんだと思いました。
そしてそれを学ぶだけでなく、さらに次世代に伝えるまで深く学ぶところがここ福島大学であり、
私は入学した誇りをもって、生きていくための力を追求していきたいと思いました!」
ここまで話したところで得意の 「ありがたい話」 をかまします。
「他人が何かしてくれるのはあたり前ではなく、有ることが難しいことなのだから、
ありがとうと感謝しなければいけないということが印象に残りました。
相手に対して 「なんでこういうことしないの?」 と思うこともありますが、
それはあたり前のことではないから自分がどうこうと言えることではないと思いました。
そんなめったにないことを自分なんかにしてくれる人にはありがとうの気持を大切に、
そして表現していきたいです。」
「両親は、どんなに仕事に行くのがいやでも必ず仕事に行きます。
私達は、授業がいやならさぼることができます。
両親は、私たちのために仕事に行き、お金をかせいでくれます。
先生がおっしゃっていたことで、他人が何かしてくれるのは、
有ることが難しいという言葉が思い浮かびました。
家族だからといって当たり前ではないのだと感じました。
感謝の気持ちは忘れてはならないと改めて考えさせられる授業でした。」
最後に、現代のような高度産業化社会、知識基盤社会においては、
生きる力としての文化というのも高度に複雑化していて、
答えのない問題を考え抜く力が必要とされるようになっているので、
大学4年間という時間を大切に、楽をするのではなく、
自分に負荷をかけて自分の力を伸ばすようがんばってほしいと締め括りました。
「私は今まで、小、中、高と、ただ学校へ行って、
授業で教わったことを記憶してテストに挑むという暗記だけで終わらせていて、
本当の 『学ぶ』 という行為をしていなかったことを実感しました。
これからは答えが出ない問題を解決していくことになるので、
積極的に授業をきいて、先生方のお話の中から、
問題解決へ向けての手がかりをみつけたいと思いました。」
「大学入学してもうすぐ1ヶ月が経つが、すでに先輩が楽だという授業をとったり、
話を真剣に聞いていなかったり、楽をした生活をおくろうとしている。
しかし、大学4年間かけて学び、生きていく力をつけなくてはいけないのに、
このままでいてはいけないと思う。
せっかく親にお金をだして学ばせてもらっているのだから、
これからは何かを選択する時は自分にとって少し負荷がかかる方を挑戦していきたい。
そして将来社会に出た時に周りの情報に惑わされず、
自分で考え答えを出す力を身につけていきたい。」
「どの授業もぼんやり聞くだけでなく、自分からどう行動するか、
つまらない授業をいかに活用するかはやはり自分次第であると感じた。
ただ授業を聞いている人間にはなりたくないし、大学に学びに来た以上、
つまらない授業も自分のモノにして成長していけたらいいと考える。
そしてダラダラ生活して毎日を過ごさないように生活習慣を身に付けていきたい。
確かに今の私たちは社会に出ても通用する人材ではないが、
この4年間で社会に出てもおかしくない、
ふさわしい人間になれるよう精一杯学びたいと強く思う。」
「私は教職はとらないが、この4年間、何事にも感謝の気持ちを忘れずに、
積極的な行動をし、主体的な学びをしたいと思った。
そして自分の可能性を広げ、4年後の自分の進路を見つけつくりあげていきたいと思う。」
「人間は生まれつき先生になれるわけではない、
文化を伝達することはとても高度な技術であり、一筋縄ではいかないと感じた。
教師になるためには専門的な知識だけじゃなく、
答えのない今日のような講義の内容を探究し、
子ども達に伝えていくための技術を身に付ける必要があると感じた。
どんな授業でも頑張ってなにかを身につけたいと思います。」
「もっと深い理解と表現できる力がほしいと思っています。
それは、今回の震災でも思ったことです。
避難所生活をしていた時期がありましたが、
自分に出来ることにものすごく限りがあること、力量のなさを痛感しました。
もっと人の力になりたいと思います。
そのために、この4年間、積極的に学びたいです。」
「今日の授業を聞いて、改めて自分自身のこれまでの生活の仕方を考えました。
今までは、いくら授業で先生方が自分の生活の過ごし方について良い方法を示してくださっても、
なかなか自分の習慣づいてしまった考え方のせいで行動を変えることができずにいましたが、
人間の脳の発達に言語の使用が関わっているという話を聞き、
言葉を使って自分の思考の仕方を修正していこうと思いました。
なので今日は、自分にとって大切だと思ったこと、先生が強調していた部分をメモしておきました。
これから、メモを逐一とるくせをつけ、
毎日それを見直すことで少しずつ自分の行動を変えていきたいと思います。」
「『何を学ぶかは自分で決める!』 という言葉にはすごく感動しました。
何を学ぶべきなのか、その意味を見失いかけていた私は、
これから1つ1つの授業をもっとよく考えて受けようと思いました。
『負荷をかけて力をつける!!』 実際、朝早くてつらかったりすることもありますが、
少しでも人のためになる力を身に付けられればと思います。
これからの大学生活がすごく楽しみになりました!
ありがとうございます!!」
さすがに300人弱が受講している授業だと、ご紹介したいコメントがたくさんありますね。
できるかぎり内容の重複を避けて厳選に厳選を重ねてこれだけに絞りましたが、
本当はほかにもまだまだみんないいことを書いてくれていました。
みんなそれぞれにいろいろな気づきをしてくれたようで、それは本当に有り難いことですが、
誰かが書いてくれていたように、人間というのは一度気づきを得たからといって、
それであっさりそれまで習慣化していた行動をガラッと改められるものではありません。
今日の2限以降、意識を集中して自分に負荷をかけながら学ぶことはできていたでしょうか?
来週の 「キャリア形成論」 も私が担当します。
そのときにはこの1週間すべての授業をどんなふうに受講していたか聞きますので、
胸を張って、こんなことを学びました、これだけ力が伸びました、と報告できるよう、
今日学んだことを意識しながら1つ1つの授業を受けるようにしてみてください。