人生で一番きつい1週間を送っております。
なんと今週の土曜日 (11月12日)、福島大学で日本カント協会第41回学会が開催されるのですっ!
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東北哲学会であれば10年に1度、福島で開催しておりますが、
哲学・倫理学系の全国規模学会が福島大学で開かれるのはたぶんこれが初めてのことです。
しかも、私が福島大学に赴任したときは私のほかにもう2人哲学の先生がいらっしゃいましたが、
順次定年退職になられたあと、後任の先生を取ることができませんでした。
折からの公務員削減、人件費削減の嵐のなかで、どうしても必要というポストの補充が優先されて、
哲学の後任補充は後回しにされてしまったのです。
私としてはそのお2人のポストに関して、もう後任は取らないと決めてしまったわけではなく、
当面後任補充はできないけれどもその2つのポストはまだなくなってしまったわけではない、
ということを当局ならびに大学全体に確認してもらうというところまでで精一杯でした。
というわけで、2008年の3月末 (内田詔夫先生のご退職時) をもって、
福島大学は 「哲学のない大学」 になってしまっているのです。
思わずグチになってしまいましたが、
要するに現在、福島大学には哲学・倫理学系の専任教員は私しかいないのです。
そのたった1人の孤立無援状態で全国学会の開催準備をしなければならないのです。
しかも、うちには大学院博士課程もありませんから、研究者を目指している院生もいません。
私の研究室のゼミ生たちも研究者を目指しているわけではないので学会に入っていないどころか、
学会がどういうところか見たことも聞いたこともないのです。
当日は彼らに手伝ってもらうつもりですが、そこまでの準備はほぼ1人でやるしかありません。
そんな状態だというのに、先ほどのポスターをご覧になってお気づきいただけたでしょうか?
なんと私は公開シンポジウム 「3.11後の 『公共』 とカント ―Kant in Fukushima―」 において、
提題者も務めなければならないのです
。
シンポジウムというのはいわば学会のメインイベントです。
学会のなかの最もエライ先生方が選りすぐられて最新かつ最重要な話題を提供し、
それに対して全学会員が集中砲火を浴びせるという世にも恐ろしい儀式です。
この提題者に選ばれるというのはたいへん光栄なことではありますが、
それだけ荷が重く、激しいプレッシャーのかかる重責でもあります。
そんな大役をなんで初めて学会の開催校を引き受けるという一会員に押し付けるんですか?
しかも私はほんの3年前にシンポジウムの提題者を務めたばかりじゃないですか
。
あれで十分じゃなかったんですか?
福島大学での初めての学会をつつがなく成功させるだけじゃダメなんですか?
「テーマがテーマだから小野原さん頼むよ」 って、これって福島差別ではありませんか?
被災者イジメになっていませんか?
とまあ、先週に続いて昨晩も大学に泊まり徹夜してしまったので精神が崩壊しております。
はぁ、ダメだ…。
間に合わない…。
もしも今週の土曜日、学会の準備が何も整っていなくて、
ぼくが大学に姿を現さなかったとしても誰も探しに来ないでください。
学会当日に大学がもぬけの殻で、シンポジウムの提題者が無断欠席したりしたら、
学会の歴史に未来永劫名前が残るだろうな。
うん、それもいいかもしれない…。
はたして日本カント協会福島大会は予定通り開催されるのかっ
シンポジウム 「3.11後の 『公共』 とカント ―Kant in Fukushima―」 はちゃんと執り行われるのかっ
興味のある方はぜひ11月12日 (土)、福島大学にお越しくださいっ
なんと今週の土曜日 (11月12日)、福島大学で日本カント協会第41回学会が開催されるのですっ!
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東北哲学会であれば10年に1度、福島で開催しておりますが、
哲学・倫理学系の全国規模学会が福島大学で開かれるのはたぶんこれが初めてのことです。
しかも、私が福島大学に赴任したときは私のほかにもう2人哲学の先生がいらっしゃいましたが、
順次定年退職になられたあと、後任の先生を取ることができませんでした。
折からの公務員削減、人件費削減の嵐のなかで、どうしても必要というポストの補充が優先されて、
哲学の後任補充は後回しにされてしまったのです。
私としてはそのお2人のポストに関して、もう後任は取らないと決めてしまったわけではなく、
当面後任補充はできないけれどもその2つのポストはまだなくなってしまったわけではない、
ということを当局ならびに大学全体に確認してもらうというところまでで精一杯でした。
というわけで、2008年の3月末 (内田詔夫先生のご退職時) をもって、
福島大学は 「哲学のない大学」 になってしまっているのです。
思わずグチになってしまいましたが、
要するに現在、福島大学には哲学・倫理学系の専任教員は私しかいないのです。
そのたった1人の孤立無援状態で全国学会の開催準備をしなければならないのです。
しかも、うちには大学院博士課程もありませんから、研究者を目指している院生もいません。
私の研究室のゼミ生たちも研究者を目指しているわけではないので学会に入っていないどころか、
学会がどういうところか見たことも聞いたこともないのです。
当日は彼らに手伝ってもらうつもりですが、そこまでの準備はほぼ1人でやるしかありません。
そんな状態だというのに、先ほどのポスターをご覧になってお気づきいただけたでしょうか?
なんと私は公開シンポジウム 「3.11後の 『公共』 とカント ―Kant in Fukushima―」 において、
提題者も務めなければならないのです
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シンポジウムというのはいわば学会のメインイベントです。
学会のなかの最もエライ先生方が選りすぐられて最新かつ最重要な話題を提供し、
それに対して全学会員が集中砲火を浴びせるという世にも恐ろしい儀式です。
この提題者に選ばれるというのはたいへん光栄なことではありますが、
それだけ荷が重く、激しいプレッシャーのかかる重責でもあります。
そんな大役をなんで初めて学会の開催校を引き受けるという一会員に押し付けるんですか?
しかも私はほんの3年前にシンポジウムの提題者を務めたばかりじゃないですか
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あれで十分じゃなかったんですか?
福島大学での初めての学会をつつがなく成功させるだけじゃダメなんですか?
「テーマがテーマだから小野原さん頼むよ」 って、これって福島差別ではありませんか?
被災者イジメになっていませんか?
とまあ、先週に続いて昨晩も大学に泊まり徹夜してしまったので精神が崩壊しております。
はぁ、ダメだ…。
間に合わない…。
もしも今週の土曜日、学会の準備が何も整っていなくて、
ぼくが大学に姿を現さなかったとしても誰も探しに来ないでください。
学会当日に大学がもぬけの殻で、シンポジウムの提題者が無断欠席したりしたら、
学会の歴史に未来永劫名前が残るだろうな。
うん、それもいいかもしれない…。
はたして日本カント協会福島大会は予定通り開催されるのかっ
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シンポジウム 「3.11後の 『公共』 とカント ―Kant in Fukushima―」 はちゃんと執り行われるのかっ
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興味のある方はぜひ11月12日 (土)、福島大学にお越しくださいっ
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