これはコメント欄でもらった追加質問ですが、
今日はこれについて考えてみたいと思います。
コメントではこんなふうに質問されました。
「今まで、何人かの教授の方たちから講義を受けましたが、
その中の数名の教授は、「自分が嫌いだったこの分野を専攻してこうなるとは思わなかった」
「私はこの教科が苦手です」など、
一番苦手だったはずなのに、嫌いだったのに、
ということを話してくれた先生たちがいましたが、
小野原先生は、倫理学が嫌い、もしくは、苦手だと思ったことはありますか?」
さて、どうお答えしたらいいでしょうか。
私自身に関して言うなら、次のようにお答えしておくことにいたしましょう。
A.倫理学が嫌いと思ったことはありません。
他の学問と比較して、倫理学が苦手と思ったこともありません。
こんな感じでしょうか。
他の先生たちがどういう文脈で苦手とか嫌いと言われたのかわかりませんが、
私の場合はあまりそういうことはなかったように思います。
昔書いたとおり、中学校以来ずっと倫理学ラブ
なわけですから、
そういう意味では私は珍しいタイプなのかもしれません。
研究対象としても、ずっとカントを愛し続けていますので、
それも研究者の中では少数派といっていいかもしれません。
嫌いだった苦手だったとおっしゃる先生方がいらっしゃるのは、
私的にはそんなに不思議ではありません。
前から言っている通り、学問というのは問いを発するところから出発しますので、
研究対象にあまりにピッタリ寄り添いすぎていて何の疑問も生じないようだと、
学問研究にならないというところがあるからです。
高校までの勉強では、正しい答えを覚えていればそれでよかったし、
逆に言うと、正しい答えを覚えなければいけなかったのですが、
大学以降の学問では、正解と言われているものを疑ってかかっていいし、
むしろ疑わなければならないわけですから、
苦手だったり嫌いだったりするもののほうが、
冷静にいろいろな問いを立てて学問しやすいのかもしれません。
またそういう嫌いだったり苦手だったりする分野においては、
嫌いや苦手をなんとか克服しようと、いろいろな工夫をこらしてみたり、
その世界では考えつかないようなアイディアを持ち込んでみたりすることにより、
ブレイクスルーが生み出されやすいということもあるのではないでしょうか。
というわけで、嫌いで苦手な道に進むという可能性は大いにありうると思いますが、
私の場合はあまりそういうことはありませんでした。
さて、たしかに他の学問と比較して、倫理学が苦手と思ったことはないのですが、
しかし、倫理学の世界に一歩足を踏み込んでみてから、
他の倫理学者と比較して、自分が倫理学に向いていないのではと思ったことは山ほどあります。
自分が倫理学を好きなのなんて、ただの横恋慕にすぎなくて、
この世にはよっぽど倫理学のことを考えるために生まれてきたような人が、
それはもう数え切れないほどいるのです。
だから、苦手ではないというのは自分の中での比較にすぎなくて、
客観的に比べると、自分なんて苦手で下手くそなダメ倫理学者だなあと、
残念な気分になってしまうことがしばしばあります。
ただしその話は質問者の意図からは離れてしまいますので、
それはまた別の機会に論ずることにいたしましょう。
今日はこれについて考えてみたいと思います。
コメントではこんなふうに質問されました。
「今まで、何人かの教授の方たちから講義を受けましたが、
その中の数名の教授は、「自分が嫌いだったこの分野を専攻してこうなるとは思わなかった」
「私はこの教科が苦手です」など、
一番苦手だったはずなのに、嫌いだったのに、
ということを話してくれた先生たちがいましたが、
小野原先生は、倫理学が嫌い、もしくは、苦手だと思ったことはありますか?」
さて、どうお答えしたらいいでしょうか。
私自身に関して言うなら、次のようにお答えしておくことにいたしましょう。
A.倫理学が嫌いと思ったことはありません。
他の学問と比較して、倫理学が苦手と思ったこともありません。
こんな感じでしょうか。
他の先生たちがどういう文脈で苦手とか嫌いと言われたのかわかりませんが、
私の場合はあまりそういうことはなかったように思います。
昔書いたとおり、中学校以来ずっと倫理学ラブ
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そういう意味では私は珍しいタイプなのかもしれません。
研究対象としても、ずっとカントを愛し続けていますので、
それも研究者の中では少数派といっていいかもしれません。
嫌いだった苦手だったとおっしゃる先生方がいらっしゃるのは、
私的にはそんなに不思議ではありません。
前から言っている通り、学問というのは問いを発するところから出発しますので、
研究対象にあまりにピッタリ寄り添いすぎていて何の疑問も生じないようだと、
学問研究にならないというところがあるからです。
高校までの勉強では、正しい答えを覚えていればそれでよかったし、
逆に言うと、正しい答えを覚えなければいけなかったのですが、
大学以降の学問では、正解と言われているものを疑ってかかっていいし、
むしろ疑わなければならないわけですから、
苦手だったり嫌いだったりするもののほうが、
冷静にいろいろな問いを立てて学問しやすいのかもしれません。
またそういう嫌いだったり苦手だったりする分野においては、
嫌いや苦手をなんとか克服しようと、いろいろな工夫をこらしてみたり、
その世界では考えつかないようなアイディアを持ち込んでみたりすることにより、
ブレイクスルーが生み出されやすいということもあるのではないでしょうか。
というわけで、嫌いで苦手な道に進むという可能性は大いにありうると思いますが、
私の場合はあまりそういうことはありませんでした。
さて、たしかに他の学問と比較して、倫理学が苦手と思ったことはないのですが、
しかし、倫理学の世界に一歩足を踏み込んでみてから、
他の倫理学者と比較して、自分が倫理学に向いていないのではと思ったことは山ほどあります。
自分が倫理学を好きなのなんて、ただの横恋慕にすぎなくて、
この世にはよっぽど倫理学のことを考えるために生まれてきたような人が、
それはもう数え切れないほどいるのです。
だから、苦手ではないというのは自分の中での比較にすぎなくて、
客観的に比べると、自分なんて苦手で下手くそなダメ倫理学者だなあと、
残念な気分になってしまうことがしばしばあります。
ただしその話は質問者の意図からは離れてしまいますので、
それはまた別の機会に論ずることにいたしましょう。
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