まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

相馬看護15期生に病気が教えてくれたこと

2017-05-31 08:46:03 | 生老病死の倫理学
相馬看護学校の 「哲学」 の授業が先週で終了しました。

昨年は6回 (12コマ) 終えたところで実習が始まってしまい、4週間空いて7回目の授業、

さらに2週間空いてから最後の1コマと、最後のほうが間延びしてしまいましたので、

今年度は一気に終えられるように教務の先生と相談して、

実習前に終えられるように詰め込んだ上に、最終回は一気に3コマやるという形で、

4~5月で何とかすべての授業を終えることができました。

最終日はさすがにずっと立ちっぱなしで足がつってしまいましたが、

濃厚な学びを拡散させずに凝縮するという意味ではこのスケジュールでよかったと思います。

さて、最終回の2コマ目に一昨年から始めた 「病気が教えてくれたこと」 のワークを行いました。

今年も8班分の代表作品が出揃いましたので、ご紹介していきましょう。


【1班の代表作品 「人は1人では生きていけない」】
これは祖父が入院中に私に言った言葉です。
祖父は今まで自分は何でもできると思って生きてきました。
しかし病気で立ち上がることが困難となり入院することになった時、
祖父の仕事を親戚の人がかわりに手伝ってくれたりとたくさんの人に祖父は助けられました。
この状況を聞いた祖父は 「人は1人では生きていけない、
色々な人に助けられて生きているから感謝しないといけない」 と涙ながらに話しました。
健康だと1人で何でもできると思いがちですが、病気を患うことで他人の温かさを知り、
今まで気づけないことを気づかせてくれるのだと思いました。


【2班の代表作品 「側にいる大切さ」】
友人が病気を患った。
いつも明るく元気でいたことが多かった友人は、私がお見舞いに行くたび、日が過ぎるたびに笑顔が消えていった。
そんな彼女をみると、私も辛くなり、どう声をかけたらいいか分からなかったが、会いに行くことはやめなかった。
そして手術の日。
手術は成功し、病室から戻ってきた彼女から一言、「しんどいときも一緒にいてくれてありがとう」。
そのときに私は 「あ~、大したことは言えなかったし、支えられていたか分からないけど、
側にいたことだけでこの子の力になれたのかな」 と思うことができた。
そして、そのときに久しぶりの友人の笑顔をみれた気がし、これから先もこの子に何があっても側にいようと、
彼女が病気になったことで再認識できた。


【3班の代表作品 「明日やろうはバカヤロウ」】
 中学3年の冬、祖父が亡くなった。胸が苦しいという訴えがあり、意識不明となったため救急車で病院に運ばれた。その後、意識を取り戻し、状態が落ち着いたという連絡があったため、家族でお見舞いに行った。そのとき、祖父は 「ゼリーが食べたい」 と話していたが、「今日は面会時間になるから [終わるから?] 次来るときに持ってくるね」 と伝え、帰宅した。だが、次お見舞いに行くことは無かった。その日の夜中、祖父は亡くなった。私が小学生の頃のドラマに ”明日やろうはバカヤロウ” というセリフがあったことを思い出した。祖父がゼリーを食べたいと訴えていたが、状態が落ち着いたということや面会時間だからといってゼリーをその日のうちに買わなかったことを後悔した。必ず明日はくるという確証は無い。”明日でいいや、まだ間に合う” という考えではなく、後悔しないように、今できることは今行うことが大事だと祖父の病気 (死) が教えてくれた。後悔しないように、明日ではなく、今日のうちにやることの大切さを教えてくれた祖父のためにも、「明日やろうはバカヤロウ」 という言葉を忘れずに生きていきたい。


【4班の代表作品 「病気と家族をもつ」】
私には姉がいる。姉は会社員で、平日は出勤し、週末は家でのんびり過ごしている。
姉は結婚している。しかし、子どもはまだいない。
姉は元気な人だ。しかし、病気をもっている。
会社ではしっかり仕事をこなしている姉が、家では苦痛で身をふるわせている姿を私は見てきた。
今でも休日にその姿を見かけることがある。その時は、姉の夫が姉のからだをさすったり、マッサージをする。
私はこの光景をみて、改めて家族の温かみを感じる。
姉は病気をもっている。しかし、病気の時、傍らで支えてくれる人もいる。


【5班の代表作品 「いざとなると自分が弱くなる」】
私のおじいちゃんは魚屋だった。
本当に仕事熱心で、体調が悪くても自分のことより仕事を優先していた。私はおじいちゃんを尊敬している。年に数回しか会いに行けていなかったけれど、いつも私の大好物のものを用意して待っていてくれた。
いつも笑顔でやさしくて、大好きなはまじいちゃん。
そんなはまじいちゃんが入院した。
はじめはすぐに元気になって退院できるだろうと思っていた。
けれど、もう家には戻れないと母からいわれた。仕事もやめると。あんなに仕事人間だったのに。
はまじいはヨーグルトやプリンしか食べてはいけない。それでも差し入れを持っていくと嬉しそうに食べていた。
それがまた私にはつらかった。次会いに行ったときはすごく小さくなっていた。手を握った。
握り返してくれた。なぜか涙が出てきてその場にいられなくなった。
なんではまじいなのか。お願いだから治ってよ。
でも、どんどん衰弱している。今の私は病気がにくい。けれどはまじいはどう思っているのか怖くてきけない。でも昨日、もう長くはないと電話がきた。今のうちに、今しかできないこと、話せないこと、きけないことを、後悔する前に。私が笑顔で会いに行こう。


【6班の代表作品 「母の気持ち」】
 私が幼少の頃、母は肺癌を患った。小1の時に手術を受け、転移もみられず、また普通の生活へと戻った。もちろん、小1の私は、病気の名前も入院している理由も知らずに、また母のいる生活に戻ったとしか思っていなかった。
 月日は経ち、中2になったとき健診で脳への転移がみつかった。この時も手術を受け、昔の手術の話も聞いた。無事手術は成功し、念のため腫瘍付近に放射線もかけた。医者もこれで大丈夫だろうと言っていた。しかし、そんなに甘くはなかった。高校に入学してから、脊髄への転移が見つかってしまった。放射線や抗癌剤での治療を選択した。その時はまだ、また戻ってこれると思っていた。癌は悪化の一途をたどり緩和ケア病棟へと転棟した。これでもまだ母のことだから元気になるんじゃないかと思う私がいた。今思えば馬鹿だとしか思えない。姉も帰省し、家族全員でお見舞いに行った翌日、母は息を引き取った。何もできなかった。話せるうちにちゃんと話しておけばよかった。最後に話した言葉も覚えていない。今、仏壇の前で話しかけても返事はない。何を考えているのか、何をしているのかも分からない。人は自分の意志を自分で伝えない限り、相手に伝えることはできない。相手の気持ちを考えてもそれは推測でしかない。母も私や家族が何を思っていたのかを知らないだろう。そして、もう知ることはできないだろう。


【7班の代表作品 「私の償い」】
 私は中学校のときに、病気で父を亡くしている。それまで普通に家族と生活したため、父の病気を受け入れることができなかった。当時は、病気になったのは父のせいだと思いこみ、何度も何度も父に対しひどいことをしてしまった。でも、そんな私に父は、いつも通り話しかけてくれて、いつでも味方でいてくれた。日々悪くなっていく父をみて、長くはないと自分で感じた。
 父は入退院を繰り返すようになった。私は、部活で忙しいを言い訳にしてお見舞いに行くことは一回しかなかった。本当は苦しんでいる姿をみるのが怖かったから行けなかった。私は父に対して ”ありがとう” も言えず、何もできず亡くなってしまった。亡くなったとき父に対し、罪悪感だけが残った。今までひどいことをしてきたこと、いつも味方をしてくれた父を傷付けてしまったこと、最後まで ”ありがとう” が言えなかったこと。失って初めて気付いた。亡くなった父の顔をみて罪悪感や後悔だけが残った。いくら願っても、もう父はいないし謝ることもできない。しかし、いつも応援してくれた父にこたえられるよう恩返しができるよう、今自分がすべきことをしようと決めた。今は看護師という夢に向かってがんばっている。看護師になって初めての父親孝行をしたい。


【8班の代表作品 「現実を受け入れて、みえたもの」】
 病気がわかったときは、頭も気持ちも全て停止してました。「なんで私が?」 なんて考える余裕もなく、特別悲しいなんて感情になる訳でもなく、ただ涙が止まりませんでした。私の気持ちだけとまったまま、医者は説明を続け、私は涙が止まらないまま部屋を出ました。そのとき看護師が私に 「人生は選択の連続だから」 と言いました。そのときは気持ちがついていかず、頷くことができませんでした。時間が経ち、気持ちが落ち着いた頃、再び考えました。手術を受ける恐怖、しかしこのまま放っておいたらと思うと、その恐怖の方が大きく、私は手術を受けることを自分で選びました。きっとこれまで生活していた中でも意識せず選択をずっとしてきたはずなのに、このときが人生の一番の決断のようで、何か特別に考えていました。でも、私の人生の中でこの選択はこれまで数えきれないくらい選んできたものの中の一つであるというだけで、これだけをピックアップして特別悲しんだり、良かったと思ったりはしたくありません。私は病気になるべくしてなったんだと思っています。病気になって、何気なく毎日通っていた学校や、友人との遊び、家族との食卓など、大切なものに囲まれていたことに気づきました。遠くからお見舞いに来てくれた友人、毎日通って支えてくれた家族が私にとって一番大切なものだと分かりました。大切なものは、特別なときに特別なことをするのではなく、毎日の生活そのものだと思います。病気を受け入れられず人にあたって傷つけたりもしました。でもそんなことをしても今もずっと側にいてくれる人を大事にしていこうと思っています。病気にならなかったら、こんなに大切なものに気づくことができませんでした。病気になったからこそこれからは大切にしていこうと思えました。この経験がなくては私の人生ではないです。


いかがだったでしょうか。

今年は例年になく感動的な作品が揃いました。

グループ内での発表時や全体発表の際もあちこちで鼻をぐすぐす言わせる音が響いていました。

こんなことは初めてです。

みんなまだ若いので 「病気が教えてくれたこと」 といっても、

そんなに重たい学びを期待していたわけではなかったのですが、

15期生はけっこう大変な経験をしてきた人が多いようです。

ふだんはあまりそんなことを感じさせる人たちではないのですが、

内にはいろいろ秘めていたんですね。

この思いを胸に素敵な看護師への道を歩んでいってもらいたいと思います。


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