まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

理想の死に方

2020-05-21 16:01:26 | 看護学校「哲学」
看護学校の第11回目・第12回めの授業では、

最初に自分の「理想の死に方」について考えてもらいました。

自分は最期どんなふうに死にたいのか、というのも死生観のひとつです。

しかも、人生の最期をどう迎えるかということですから、

これは人生全体の質に関わってくる問題です。

もちろんこれも人それぞれで、誰がどんな死に方を望もうとまったく自由です。

自分のと比べて相手のはおかしいなどと思う必要はありませんし、

ましてや相手に向かってそれを言う必要もないことです。

みんなはどんな死に方を望んでいたでしょうか?


さて、しかしながらこれはあくまでも理想であり希望であって、

その通りになるとは限りません。

いつ交通事故にあうかわからないですし、

事件に巻き込まれるなんていうこともあるかもしれません。

大きな災害だってまたやってくるかもしれないでしょう。

今回のように今まで存在しなかったような病気が突然大流行して、

それにかかって亡くなってしまうなんて誰が想像していたでしょうか。

そうなったときには理想もへったくれもなくて、

まったく自分ではコントロールできなくなってしまったりするのです。


それでは次のケースを考えてもらいましょう。

不治の病にかかっている場合に、それを告知してもらいたいか、

告知されたくないかという問題です。

最初の問いの答えで、告知されてあらかじめ死が近づいているのが

わかっているほうがいいと答えた人にとっては、

同じ答えを書くことになるかもしれませんが、

たぶんそういう人はそれほどいないだろうと思うので、

もしもそういう病にかかってしまっていた場合に、

告知されたいかされたくないか考えてみてください。

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