相馬の看護学校で行った 「病気が教えてくれたこと」 のワーク、
先日は各班の代表作品をご紹介しましたが、
今日はまさおさまセレクトの5作品をご紹介しましょう。
【家族】
普段私達は、家族とあたりまえのように話し、食事をとり、日々を過ごしている。そのため毎日の生活の中で、家族という存在の有り難さには中々気づかない。しかし、それがあるきっかけにより気づかせてくれることがある。それが、自分もしくは家族の病気である。
病気の症状は突然であった。母親が突然顔をまっさおにし動けずに横になったまま表情をこわばめていたのだ。この時は、知識もなくどう対処すればいいかわからず心配や不安におしつぶされそうで、家族を失うのではないかという思いでいっぱいだった。それからは、ふとした瞬間にその時のことを思い出される。
家族はいてあたりまえ。確かに健康であればそうなのだろう。
でも、あの時のように突然家族の危機に直面した際に同じことはいえなくなるだろう。家族は普段の生活の中で、学生である私の食事や経済面だけでなく精神的にも支えになっている。私は今、あの時のように何もできない自分ではなく、家族をいちはやく気づき対処できる自分になるために勉強している。
【大切な存在】
中学生のときに妹が手術をした。
先天性の疾患で辛抱中隔欠損症だった。
医師は 「悪化する前に見つかって良かったね」 と言った。
何が良いのか、当時の私には分からなかった。
「心臓の手術をする。」
ただその言葉だけが、頭の中をかけめぐった。
2つ年下の妹。
私よりもしっかりしてて、口うるさくて。
よくケンカをした。
何度、一人っ子だったら良かったのにと思ったことだろう。
それなのに、このときは、妹をいとおしく思えた。
手術は無事に終わった。
「ほっと肩をなでおろす」 ということは、こういうことかと思った。
あれから10年ぐらいになる。
妹は元気であいかわらず私よりもしっかりしていて口うるさい。
でも、さすがにケンカの回数は減った。
いつも近くにいて、それご当たり前で気づかなかった。
大切な存在。
仕方ないから、次の休みには買い物に付き合うことにした。
【話せるということ】
今まで風邪を引いても、大声で叫んだりしても声がかれることはなかった。でも、今、声が出ないという状態になってみて、人とのコミュニケーション (会話) がとても大切なことだと気付いた。
今はLINEとかで友人とも、連絡をとったりすることは出来るから…と思っていたが、一緒に住んでいる家族にさえも、うまく自分の思っていること、話さなきゃわからないことが伝わらないと思った時に、LINEやメールなど文字では伝わらないことがたくさんあると気付いた。相手に伝わらないモヤモヤ感はすごい孤立感で、苦痛であることを改めて知った。
いつもだったら友人と楽しく会話したり、不安だったり相談なども電話でできたのに…と思うと、すごい寂しいと感じた。
でも、友人も家族も私のジェスチャーだったり、小さく聞き取りにくい声を一生懸命聞き取ろうとしてくれているのをみて、それだけで嬉しさがあった。
声が出ること、友人と会話することがあたり前ではないわかった。ささいなことに対しても感謝しなければならないと思えた。
【おじいちゃんの想い】
おじいちゃんが認知症とパーキンソン病を発症した。
おじいちゃんは食べることが大好きで、病気が発症する前は自分で家の中のおかしを探し、ポケットにたくさんつめて、こっそりおかしを食べていた。
病気が進行し、今はベッドの上での生活がほとんどで、1日中話しかけても発話することがなかった。パーキンソン病の影響で腕の関節の拘縮がすすみ、自分で好きなものを食べることができなくなった。パーキンソン病に伴う嚥下機能の低下も進んでいた。
ある日お母さんがおじいちゃんに、看護師さんには内緒でオロナミンCを飲ませてみた。おじいちゃんはうまいなあと一言話した。これまでほとんど発話することがなかったおじいちゃんが自分から発言をしたことに家族みんなで涙を流して喜んだ。このとき初めて、日常生活の中で好きな時に好きなものを食べることができていることはありがたいことであると学んだ。おじいちゃんはずっと自分の好きなものを食べたいという気持ちが心の中にあり、発話がほとんどなくなった今、自分の気持ちを伝えることができずにいた時に、好きなものを食べたいという思いがお母さんに伝わり、あのうまいなあという発言につながっていったのだと思った。今後もおじいちゃんのお見舞いに行った時には、おじいちゃんが望むことは何かを表情や目で追いかけるものなどから知っていき、おじいちゃんに最後まで自分らしく生きてほしいと思う。
【私のパートナー】
”◯◯は、毎日お手伝い頑張ってくれてるから、神さまがちょっと休めって病気にしてくれたんだよ”
幼い私にも分かるように説明してくれた母。
家族や友達と離れて暮らしていて、毎日悲しかった。辛かった。
”頑張っていればすぐ家に帰れるよ”
その言葉を信じて毎日毎日頑張った。注射だって我慢した。
頑張れば、頑張った分だけ報われるということに、病気になって気づいた。
今は忘れている時もあるけど、たまに思い出して頑張る力に変えている。
”なんで病気になんか…” と思ったこともあったけど、
病気も、自分らしさの一部だって今は思えるよ。
これからもヨロシクネ。
いかがだったでしょうか。
いずれも各班の代表作品に選ばれていてもおかしくなかった力作と言えるでしょう。
特に、話せることの大切さを教えてもらった話が複数含まれていたのが特徴的です。
このワークをやってみた感想として、
「自分がなぜ看護師になろうとしたのかまで思い出すこともできました。
あの時、対処も何もできなかった自分があったからこそ、今看護師としての知識をつけ、
あの時とは違う自分になるために、実習や勉強がつらくても、
目標に向かっていっていることをあらためて考えることができました。」
と書いてくれた人もいました。
病気はさまざまなことを教えてくれるんだなあと再確認しました。
このワークをやったことで、少しは自分の疾病観、医療観、看護観を深めてもらえたでしょうか?
相馬の看護学校の授業はしばらく空いていましたが、明日で終了となります。
最後に4週間、2週間と空いてちょっと間延びしてしまいましたが、
この4ヶ月に渡る15回の学びを振り返り、みんなの胸に刻んでもらおうと思っています。
先日は各班の代表作品をご紹介しましたが、
今日はまさおさまセレクトの5作品をご紹介しましょう。
【家族】
普段私達は、家族とあたりまえのように話し、食事をとり、日々を過ごしている。そのため毎日の生活の中で、家族という存在の有り難さには中々気づかない。しかし、それがあるきっかけにより気づかせてくれることがある。それが、自分もしくは家族の病気である。
病気の症状は突然であった。母親が突然顔をまっさおにし動けずに横になったまま表情をこわばめていたのだ。この時は、知識もなくどう対処すればいいかわからず心配や不安におしつぶされそうで、家族を失うのではないかという思いでいっぱいだった。それからは、ふとした瞬間にその時のことを思い出される。
家族はいてあたりまえ。確かに健康であればそうなのだろう。
でも、あの時のように突然家族の危機に直面した際に同じことはいえなくなるだろう。家族は普段の生活の中で、学生である私の食事や経済面だけでなく精神的にも支えになっている。私は今、あの時のように何もできない自分ではなく、家族をいちはやく気づき対処できる自分になるために勉強している。
【大切な存在】
中学生のときに妹が手術をした。
先天性の疾患で辛抱中隔欠損症だった。
医師は 「悪化する前に見つかって良かったね」 と言った。
何が良いのか、当時の私には分からなかった。
「心臓の手術をする。」
ただその言葉だけが、頭の中をかけめぐった。
2つ年下の妹。
私よりもしっかりしてて、口うるさくて。
よくケンカをした。
何度、一人っ子だったら良かったのにと思ったことだろう。
それなのに、このときは、妹をいとおしく思えた。
手術は無事に終わった。
「ほっと肩をなでおろす」 ということは、こういうことかと思った。
あれから10年ぐらいになる。
妹は元気であいかわらず私よりもしっかりしていて口うるさい。
でも、さすがにケンカの回数は減った。
いつも近くにいて、それご当たり前で気づかなかった。
大切な存在。
仕方ないから、次の休みには買い物に付き合うことにした。
【話せるということ】
今まで風邪を引いても、大声で叫んだりしても声がかれることはなかった。でも、今、声が出ないという状態になってみて、人とのコミュニケーション (会話) がとても大切なことだと気付いた。
今はLINEとかで友人とも、連絡をとったりすることは出来るから…と思っていたが、一緒に住んでいる家族にさえも、うまく自分の思っていること、話さなきゃわからないことが伝わらないと思った時に、LINEやメールなど文字では伝わらないことがたくさんあると気付いた。相手に伝わらないモヤモヤ感はすごい孤立感で、苦痛であることを改めて知った。
いつもだったら友人と楽しく会話したり、不安だったり相談なども電話でできたのに…と思うと、すごい寂しいと感じた。
でも、友人も家族も私のジェスチャーだったり、小さく聞き取りにくい声を一生懸命聞き取ろうとしてくれているのをみて、それだけで嬉しさがあった。
声が出ること、友人と会話することがあたり前ではないわかった。ささいなことに対しても感謝しなければならないと思えた。
【おじいちゃんの想い】
おじいちゃんが認知症とパーキンソン病を発症した。
おじいちゃんは食べることが大好きで、病気が発症する前は自分で家の中のおかしを探し、ポケットにたくさんつめて、こっそりおかしを食べていた。
病気が進行し、今はベッドの上での生活がほとんどで、1日中話しかけても発話することがなかった。パーキンソン病の影響で腕の関節の拘縮がすすみ、自分で好きなものを食べることができなくなった。パーキンソン病に伴う嚥下機能の低下も進んでいた。
ある日お母さんがおじいちゃんに、看護師さんには内緒でオロナミンCを飲ませてみた。おじいちゃんはうまいなあと一言話した。これまでほとんど発話することがなかったおじいちゃんが自分から発言をしたことに家族みんなで涙を流して喜んだ。このとき初めて、日常生活の中で好きな時に好きなものを食べることができていることはありがたいことであると学んだ。おじいちゃんはずっと自分の好きなものを食べたいという気持ちが心の中にあり、発話がほとんどなくなった今、自分の気持ちを伝えることができずにいた時に、好きなものを食べたいという思いがお母さんに伝わり、あのうまいなあという発言につながっていったのだと思った。今後もおじいちゃんのお見舞いに行った時には、おじいちゃんが望むことは何かを表情や目で追いかけるものなどから知っていき、おじいちゃんに最後まで自分らしく生きてほしいと思う。
【私のパートナー】
”◯◯は、毎日お手伝い頑張ってくれてるから、神さまがちょっと休めって病気にしてくれたんだよ”
幼い私にも分かるように説明してくれた母。
家族や友達と離れて暮らしていて、毎日悲しかった。辛かった。
”頑張っていればすぐ家に帰れるよ”
その言葉を信じて毎日毎日頑張った。注射だって我慢した。
頑張れば、頑張った分だけ報われるということに、病気になって気づいた。
今は忘れている時もあるけど、たまに思い出して頑張る力に変えている。
”なんで病気になんか…” と思ったこともあったけど、
病気も、自分らしさの一部だって今は思えるよ。
これからもヨロシクネ。
いかがだったでしょうか。
いずれも各班の代表作品に選ばれていてもおかしくなかった力作と言えるでしょう。
特に、話せることの大切さを教えてもらった話が複数含まれていたのが特徴的です。
このワークをやってみた感想として、
「自分がなぜ看護師になろうとしたのかまで思い出すこともできました。
あの時、対処も何もできなかった自分があったからこそ、今看護師としての知識をつけ、
あの時とは違う自分になるために、実習や勉強がつらくても、
目標に向かっていっていることをあらためて考えることができました。」
と書いてくれた人もいました。
病気はさまざまなことを教えてくれるんだなあと再確認しました。
このワークをやったことで、少しは自分の疾病観、医療観、看護観を深めてもらえたでしょうか?
相馬の看護学校の授業はしばらく空いていましたが、明日で終了となります。
最後に4週間、2週間と空いてちょっと間延びしてしまいましたが、
この4ヶ月に渡る15回の学びを振り返り、みんなの胸に刻んでもらおうと思っています。