まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

相馬看護14期生に病気が教えてくれたこと

2016-07-06 09:55:38 | 生老病死の倫理学
昨年度から始め、今年は看護教員養成講座でもやってみた 「病気が教えてくれたこと」 のワーク、
相馬看護学校でもまたやってきました。
今年は8班に分けて、各グループ内で朗読しあってもらったあと、
班の代表作品をひとつ選んでもらいました。
昨年度はただ代表作品を選んでねと指示しただけでしたが、
今年度は一番感動的な作品を選んでくださいとお願いしてみました。
昨年度は代表作品のなかに感動部門ばかりでなく面白部門がけっこう選ばれていて、
それはそれで面白かったのですが、今年は男子の多いクラスなので、
放っておくと全部が全部、面白部門ばかりになってしまうのではないかと危惧したためです。
あとで確認してみたところ、実際に男子の作品は面白部門が多かったので、
あのように指示しておいてよかったと思います。

また、このあいだ看護教員養成講座でやってもらったときに、
けっこう自分のエッセイにタイトルを付けてくれている人が多かったので、
もともとの本がそういう作りになっているのだから当然でしょう)
今回はあらかじめ全員に、書き終わったらタイトルも付けてください、と指示しておきました。
これもタイトルを付けてもらってなかなかよかったと思います。
このワークもほんの少しずつだけど改善を重ねながら、理想の形に近づきつつあるな。
それでは各班の代表作品をご覧ください。
今回はいつも1班から発表させられるのはズルイという指摘を受けて、
8班から順番に発表してもらいました。


【8班の代表作品 「最後まで」】
 私の友人は病気により精神遅滞があった。また正確な病名は分からないが、病気のために中学生の時に亡くなってしまった。その友人は、自分が周りと同じようにできないことをいつもくやしがり、泣いてしまうこともあった。しかし、くやしがりながらもマラソンは最後まで走り抜き、工作や宿題も最後までやり遂げるなど、決して途中で投げだすということはしなかった。そして最後にはいつも笑っていた。途中で歩いたり、絵も下手だったり、計算の答えが間違っていても、その友人は満足気な顔をしていた。そんな友人をみて、病気があるからということを理由にせず、自分なりに一生懸命取り組むことの大切さ、最後まであきらめずにやり遂げることの大切さを学ぶことができた。


【7班の代表作品 「思う気持ちは生きる源になる」】
一時も母の手を離すまいと、大きな手を必死手に握っていた。
毎日会いに来る医師や看護師が黒い影となって、針をさしに来て、自分をおさえに来る。そんな毎日が恐怖でしかなかった。
黒い影が去って、母親の姿が見えた時、「頑張ったね」 と抱きしめてくれた時の安心感は、治療による痛みを忘れさせてくれるものだった。
家族が会いに来てくれた後は、見えなくなるまで手をふっていた。明日も来るという言葉が、明日も自分は家族といられる、”生きている” ということで嬉しかった。
病気は私に 「側にいてくれる」 その存在がいかに大切かを教えてくれた。
母も子どもがいかに大切であり、自分を犠牲にしてでも守りたい存在であり、生きていることに幸せを感じたと言っていた。
その母が病気になった時、私は自分が代わりになってもいいと思った。
母は子どもたちのために 「生きなければ」 と思った (後日談)。
会える毎日に感謝した。
食べれる (食べている姿を見れる) ことに感謝した。
毎日が新鮮で感謝の気持ちでいっぱいになった。
病気は身体を弱くはしたが、すれ違っていた思い、忘れかけていた心を思い出させてくれた。
これからも病気とは闘っていかなければならない。それでも、生きる中で目標をみつけ過ごしていこうと、私たちは毎日に感謝しながら今を生きています。


【6班の代表作品 「特効薬」】
 私は小さい頃風邪をひいた。親に病院へ連れられ医者から風邪薬を処方された。その晩、氷枕をして薬をのんで寝たが、熱が上がり、頭が痛くて、気分が悪くて苦しかった。恐怖だった。不安で仕方なかった。その時 「大丈夫?」 との声かけがあった。たった一言であったが、その一言に優しさや思いやりを感じ、私はその瞬間気分が楽になった。私の苦痛を取り除いてくれたのは薬でも氷枕でもない声かけでした。病気の人がいて辛そうにしていたら声をかけてみて下さい。あなたの優しい心が一番の特効薬です。


【5班の代表作品 「母のおかげで」】
 初めての子供が産まれて1年で病気になり 「一生車イスになることを覚悟してください」 と言われた母親。しかし、そこであきらめず治療してくれる病院を探し回り、見つけた病院で、医師から言われた一言。「お母さんすごいですね。今ならまだ治せます」。20歳になった私は、何の後遺症もなく普通に歩くことができています。母の強さを知りました。


【4班の代表作品 「生きていくために」】
 高1の終業式の前日に父が倒れた。そのころの私は両親に反抗ばかりしていた。それは今、考えれば、「親はいつでもいる」 という環境が普通だと思っていたから。
 だけど、父はとつ然倒れた。なにが起こったか分からず、呼んでも反応しない父をみて、またその隣で泣き崩れている母をみて、何もできない自分に無力さを感じて一晩中泣いていた。
 父は手術によって一命をとりとめた。しかし、麻痺が残り、脳の手術だったこともあり、以前の父とは違い、笑顔がなくまた父としての威厳もなかった。私はその姿にとまどいを感じどう接していいか分からなかった。
 退院後、父と2人きりになったときがあった。その際、父に思いきってきいてみた。「手術して、今生きていてよかった?」 と。そうすると父は 「うん、よかった。こうして今でもお前やお母さん、弟と暮らせている。麻痺などのためできないことが多く、迷わくかけているのも分かっている。だけど俺は生きていくために出来ることを一生懸命やる」 と言った。その父は私の父だった。
 その言葉通り、父は、倒れる前まで好きだった酒、タバコを約4年半経った今でもやめている。生きていくために…。


【3班の代表作品 「火花」】
 僕は20歳、看護学校に通っている。実習に追われる日々で、疲れがたまっていた。小児看護実習で保育園に行き、子どもたちから元気をもらっていた。しかし、保育園実習最終日にのどにかゆみを覚えた。風邪か? 一瞬そう思ったが、熱もなく、発熱の症状が他に見られないため放置していたが、身体的な症状として、咳嗽や倦怠感も出てきた。そこで病院に行くと、風邪という診断をうけた。僕は手洗い、うがいにマスク、感染対策をしていたため受け入れられなかった。そこで私は、病気に予防なんてない、健康なうちにすきなことをすきなだけやるんだ、と強い思いにかられ、悔いのないよう生活していこうと思った。


【2班の代表作品 「今の状態でできること」】
 私の叔父はある病気で腎不全となり、約3日に1回、人工透析を30年行っている。そのため、水分・塩分制限があり、好きな時に飲みたいもの、食べたいものをとれていない。それでも家族は叔父の食べられる範囲で好きな食事を作ったりなど、今行える範囲内で叔父が満足できるよう関わっている。叔父もそのことに感謝し、笑顔で会話することがほとんどである。このことから、当たり前のことができなくても、○○だからできないとマイナスでとらえるのではなく、今可能な範囲で出来ることを行い、できることに視点を向けて関わっていくことが大切であり、その人の満足につながると教わった。叔父は今でも笑顔で生活しています。


【1班の代表作品 「俺はノドが弱い」】
 俺はノドが弱い。毎年、年に2~3回は扁桃腺炎になる。季節の変わり目になりやすい。友達と一緒に行くよていだったBBQもキャンセルする始末だ。俺は、ふざけやがってなんでこのタイミングなんだといつも思っていた。でも、そんな時は大体夜更かしをしてたり、ストレスが強い時だった。俺は思った。このノドは 「無理しすぎんなよ」 「大丈夫か?」 って俺にメッセージを送ってきてるのだと。ありがとう。


いかがだったでしょうか?
まだ20歳そこそこの若者たちですが、自分や家族、親戚の病気からいろいろ教えられたようです。
ぜひこの学びを看護師になったあとも忘れずに、
患者さんやご家族の方々と向き合っていってもらえたらと思います。