その日夜遅くに鬼塚専務は東京へ帰りました。 多忙な関西出張を終えて翌朝役員室には決済の書類が山積みしていました。
役員の仕事に書類決済があります。細かく読んで判断していると、軽く一日が終わってしまうくらいの量がありますが、コツとしては標題を見て提出者をチェックします。 大概の書類は事前に確認がありますから、 『あぁあれか…』なんて調子で判を押します。
鬼塚専務の場合まず山のような書類を二つに分けます。事前の打ち合わせのあった形式的な稟議書、もう一つは『こんなの知らねぇよ(笑)』です。
まぁ時間が過ぎて忘れてしまった(笑)ものがほとんどですが…
そしてOKの書類をまとめて判を押して行きます。 これで大体は済みます。 残った書類にはいちいち担当者を呼び付けて確認です。 この時不運なのは専務のご機嫌の斜めの時でした。 『なに!もっと分かりやすく書けよ!』
『今頃出してよ…忘れていたんじゃあないか!』
担当者にも弁解はありますが、専務の場合、弁解は無用です。返って火に油を差す!ことになります(笑)
担当者はひたすら平身低頭ごめんなさいで通すしかありません(笑)
下手に逆らうと忘れた頃(笑)とんでもないところへの転勤になりますからね… (笑)
話が横道に逸れましたが、兎に角、書類の山を片付けました。 鬼塚専務は愛煙家です。
一通り決裁を済ませるとタバコに火を付けました。
『ふう~』白煙を吹かすと内線で加賀美さんを呼び出しました。
あの美人秘書です。
『社長との会議何時だった?』
『はい!11時ですが…』『分かったよ』
昨日携帯に連絡がありました。
『明日相談したいことがあるから…』役員同士の連絡は普通は秘書を通じて行われます。 この辺は大袈裟と言いますか、勿体ぶる(笑)わけですね。
昨日も連絡は加賀美さんからありました。
直接聞いた訳ではないので社長の思いが分かりません。『何の用ですか?』と聞く訳にもいきません。
『まぁ出たとこ勝負だね』
鬼塚専務は腹をくくりました。
社長室は同じ15階にあります。
専務室から出るとホテルの廊下みたいな豪華な絨毯が敷き詰めています。中ほどまで歩くと吹き抜けになった空間が出てきました。壁一面に備えた窓には新宿の高層ビルが霞んで見えました。
『いい天気だね』
外の風が果たして吹いているのか分かりませんが、一つ深呼吸をすると 『俎板の鯉だよ…』鬼の専務と異名をとる鬼塚専務ですら所詮は宮仕えの身体です。
永いサラリーマンの経験と動物的な勘からして良いか悪いか二つに一つでした。
そして今回の呼び出しは悪い方だと確信していました。
廊下の先に社長室があります。
扉をノックして 中から『はい』秘書の声がありました。
『鬼塚ですが…』 社長室は秘書の控室と続になっていました。
『はい!鬼塚専務ですね。承っております』
丁重な秘書の案内で社長室に入りました。
『ああ専務ご苦労様です』
書き物をしていたらしく黒田新社長は机から顔を上げて笑顔を作りました。
『いやぁ仕事に追われて片付かないんですよ』
笑顔は変りません。
『どうぞお掛けください』秘書が手招きしてくれた応接セットに鬼塚専務はドッサリと腰を下ろしました。 社長室は白とベージュを基調とした気品溢れたしつらえになっています。
流石に一流企業の社長室と呼べるだけの雰囲気が漂っていました。
社員一万数千人の頂点を極めた男だけが座る事が出来る黒壇の机に若き新社長はごく当たり前に座っていました。『…』微かに資材の匂いが鼻をくすぐってきました。
『そうか!新しく新社長を迎えるにつき室内装飾を変えたんだよなぁ』
確かに以前、と言いましても二か月程ですが入って以来 良く似た感じでしたが壁紙は確かに新しくなっていました。
秘書がコーヒーを運んで来て恭しくお辞儀をして下がって行きます。
『鬼塚専務すみませんがもう少しで片付けますからタバコでも吸ってお待ち下さいよ』
黒田社長は急かされているのか今度は机に向いたまま声を掛けました。 (バーロ~忙しいのはあんただけじゃあないぜ)
『そうします…』 上着からタバコを取り出して火を付けました。
『ふぅ…』見れば見る程この部屋は豪華なだよなぁ! 『俺だって運が良ければこの部屋の主になれたんだよなぁ』
今までは遥か遠い存在だと思っていた社長席、前の社長は鬼塚専務より一回りも年上でしたから自然お仕えする、そんな感じでした。周りから見れば専務→社長となる訳ですが、いざ当事者となるとこの一段はでかいのでした。
この会社ではあくまでも階級主義でしたから一段違えば家来同然、二段違えば虫けら同然の世界です。
下から見れば遥か天上の世界でも専務から見るとやっぱり社長は恐い存在なのでした。
その社長僅か二か月で年下の青年社長に移行して複雑な心境にならざるを得ないのは鬼塚専務だけでは無いはずです。
しかし現実はここにありました。
自分より六才も年下でおまけにかつての部下だった男が今こうして社長の席の証しでもある黒塗りの黒壇の机に座っているのです。
…その姿がまた実に良く似合うから不思議なものでした。
社長就任から僅か二か月で既に大企業の社長の貫禄を備えていました。 言葉遣いは先輩に対する礼儀を弁(わきま)えているとしても威厳らしき雰囲気が漂っていました。 それは前の社長とは違った雰囲気でありましたが…。
どう違うのかは鬼塚専務でも分かりませんが、兎に角気圧(けおさ)されているには違いないのでした。
黒田新社長はその真摯(しんし)な態度から鬼塚専務に旧来の上下関係を強要して来るようにも思えません。 そんな態度に出られた方が鬼塚専務には好都合だったかも知れませんから…
(野郎舐めやがったら…)一暴れして辞めてやるんだ!
心の何処かにはそんな気持ちがあったかも…
現在鬼塚専務の束ねている事業本部は全社のなかでもリーマンショック以来低迷を続けている事業本部でした。
毎回の経営者会議では針の筵(むしろ)であります。
そこへ年下の社長から嫌味なんか言われた日には何もかもブチまければどれだけ清々するかと思う心境になったとしてもおかしくないでしょう。
反面今まで育った事業部だから何とか持ち直したい… そんな気持ちもありました。
揺れる鬼塚専務は黙々とタバコを吸いました。
側のほんの二メートルくらいの場所にはそんな鬼塚専務の気持ちを知ってか知らずか新社長は仕事をしついました…
役員の仕事に書類決済があります。細かく読んで判断していると、軽く一日が終わってしまうくらいの量がありますが、コツとしては標題を見て提出者をチェックします。 大概の書類は事前に確認がありますから、 『あぁあれか…』なんて調子で判を押します。
鬼塚専務の場合まず山のような書類を二つに分けます。事前の打ち合わせのあった形式的な稟議書、もう一つは『こんなの知らねぇよ(笑)』です。
まぁ時間が過ぎて忘れてしまった(笑)ものがほとんどですが…
そしてOKの書類をまとめて判を押して行きます。 これで大体は済みます。 残った書類にはいちいち担当者を呼び付けて確認です。 この時不運なのは専務のご機嫌の斜めの時でした。 『なに!もっと分かりやすく書けよ!』
『今頃出してよ…忘れていたんじゃあないか!』
担当者にも弁解はありますが、専務の場合、弁解は無用です。返って火に油を差す!ことになります(笑)
担当者はひたすら平身低頭ごめんなさいで通すしかありません(笑)
下手に逆らうと忘れた頃(笑)とんでもないところへの転勤になりますからね… (笑)
話が横道に逸れましたが、兎に角、書類の山を片付けました。 鬼塚専務は愛煙家です。
一通り決裁を済ませるとタバコに火を付けました。
『ふう~』白煙を吹かすと内線で加賀美さんを呼び出しました。
あの美人秘書です。
『社長との会議何時だった?』
『はい!11時ですが…』『分かったよ』
昨日携帯に連絡がありました。
『明日相談したいことがあるから…』役員同士の連絡は普通は秘書を通じて行われます。 この辺は大袈裟と言いますか、勿体ぶる(笑)わけですね。
昨日も連絡は加賀美さんからありました。
直接聞いた訳ではないので社長の思いが分かりません。『何の用ですか?』と聞く訳にもいきません。
『まぁ出たとこ勝負だね』
鬼塚専務は腹をくくりました。
社長室は同じ15階にあります。
専務室から出るとホテルの廊下みたいな豪華な絨毯が敷き詰めています。中ほどまで歩くと吹き抜けになった空間が出てきました。壁一面に備えた窓には新宿の高層ビルが霞んで見えました。
『いい天気だね』
外の風が果たして吹いているのか分かりませんが、一つ深呼吸をすると 『俎板の鯉だよ…』鬼の専務と異名をとる鬼塚専務ですら所詮は宮仕えの身体です。
永いサラリーマンの経験と動物的な勘からして良いか悪いか二つに一つでした。
そして今回の呼び出しは悪い方だと確信していました。
廊下の先に社長室があります。
扉をノックして 中から『はい』秘書の声がありました。
『鬼塚ですが…』 社長室は秘書の控室と続になっていました。
『はい!鬼塚専務ですね。承っております』
丁重な秘書の案内で社長室に入りました。
『ああ専務ご苦労様です』
書き物をしていたらしく黒田新社長は机から顔を上げて笑顔を作りました。
『いやぁ仕事に追われて片付かないんですよ』
笑顔は変りません。
『どうぞお掛けください』秘書が手招きしてくれた応接セットに鬼塚専務はドッサリと腰を下ろしました。 社長室は白とベージュを基調とした気品溢れたしつらえになっています。
流石に一流企業の社長室と呼べるだけの雰囲気が漂っていました。
社員一万数千人の頂点を極めた男だけが座る事が出来る黒壇の机に若き新社長はごく当たり前に座っていました。『…』微かに資材の匂いが鼻をくすぐってきました。
『そうか!新しく新社長を迎えるにつき室内装飾を変えたんだよなぁ』
確かに以前、と言いましても二か月程ですが入って以来 良く似た感じでしたが壁紙は確かに新しくなっていました。
秘書がコーヒーを運んで来て恭しくお辞儀をして下がって行きます。
『鬼塚専務すみませんがもう少しで片付けますからタバコでも吸ってお待ち下さいよ』
黒田社長は急かされているのか今度は机に向いたまま声を掛けました。 (バーロ~忙しいのはあんただけじゃあないぜ)
『そうします…』 上着からタバコを取り出して火を付けました。
『ふぅ…』見れば見る程この部屋は豪華なだよなぁ! 『俺だって運が良ければこの部屋の主になれたんだよなぁ』
今までは遥か遠い存在だと思っていた社長席、前の社長は鬼塚専務より一回りも年上でしたから自然お仕えする、そんな感じでした。周りから見れば専務→社長となる訳ですが、いざ当事者となるとこの一段はでかいのでした。
この会社ではあくまでも階級主義でしたから一段違えば家来同然、二段違えば虫けら同然の世界です。
下から見れば遥か天上の世界でも専務から見るとやっぱり社長は恐い存在なのでした。
その社長僅か二か月で年下の青年社長に移行して複雑な心境にならざるを得ないのは鬼塚専務だけでは無いはずです。
しかし現実はここにありました。
自分より六才も年下でおまけにかつての部下だった男が今こうして社長の席の証しでもある黒塗りの黒壇の机に座っているのです。
…その姿がまた実に良く似合うから不思議なものでした。
社長就任から僅か二か月で既に大企業の社長の貫禄を備えていました。 言葉遣いは先輩に対する礼儀を弁(わきま)えているとしても威厳らしき雰囲気が漂っていました。 それは前の社長とは違った雰囲気でありましたが…。
どう違うのかは鬼塚専務でも分かりませんが、兎に角気圧(けおさ)されているには違いないのでした。
黒田新社長はその真摯(しんし)な態度から鬼塚専務に旧来の上下関係を強要して来るようにも思えません。 そんな態度に出られた方が鬼塚専務には好都合だったかも知れませんから…
(野郎舐めやがったら…)一暴れして辞めてやるんだ!
心の何処かにはそんな気持ちがあったかも…
現在鬼塚専務の束ねている事業本部は全社のなかでもリーマンショック以来低迷を続けている事業本部でした。
毎回の経営者会議では針の筵(むしろ)であります。
そこへ年下の社長から嫌味なんか言われた日には何もかもブチまければどれだけ清々するかと思う心境になったとしてもおかしくないでしょう。
反面今まで育った事業部だから何とか持ち直したい… そんな気持ちもありました。
揺れる鬼塚専務は黙々とタバコを吸いました。
側のほんの二メートルくらいの場所にはそんな鬼塚専務の気持ちを知ってか知らずか新社長は仕事をしついました…