寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

昭和のお話し

2018年12月17日 20時05分08秒 | 面白い噂

おはようございます(^.^)  昨日の昭和の話は如何でしたか。

 よく話される中で、あの頃は皆んな…国民全員が貧しかった、とね(^.^)

ツギハギだらけの服を着ていて食べるモノも粗末でお肉なんてお盆かお正月

にしか食べられなかった…それでも皆んな明るくて幸せだった。

  平成生まれの人にはわからないような今と比べたらホント貧しかったのです。

でも楽しく生きていた。イジメもないし心の病いに患かる人なんか絶対なかったし

 派遣や請負みたいな弱い者を使い棄てる会社はなかった。 

女性は慎ましく操を守り結婚したら家庭に入り家事をする傍ら姑や舅に仕え子どもを育

てました。

 

若い男女は年頃になると出会いの場を設けてもらい将来の伴侶を見つける事が出来まし

た。夫婦は永遠の誓いを立てて

男は仕事に励み家族を養い夜は夕食を共にして家族団らんで過ごしました。

女は操を守り常に夫を立て舅と姑に仕え家事をこなし子どもを育てる。

 こんな時代ですから結婚率は高く少子化なんて考えられない時代でした。 

・・・とここまで書いてきまして ふと気付いたことがあります。

それは、結婚について です。全く知らない同士が、紹介されて それをお見合い と言い

ますが、愛だとか恋という事もさることながら、先ず どちらも 結婚する  という

結論をしっかり持っていることがあって、妥協がないとは言えないけれど品定めなんて

モノは自由恋愛のこのご時世でも当たり前にあること。

むしろお見合いという運命的な出会いはお互いがそれを信じる事で尚更堅く結ばれた

のじゃないでしょうか。

  

 

 

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お正月を待ってました^^

2018年12月17日 07時29分38秒 | 面白い噂

おはようございます。 今年も残りが半月となりました~  早いねぇ・・だとかもう年末かぁ…とため息交じりにつぶやくのを見ていまして、ここにいる人はみんな、おっちゃん…イヤイヤおじいさんのほうが多いようで

 皆が一様に 月日の経つのが早くてと ぼやいているのか 嘆いているのか まぁ ♪もういくつ寝るとお正月~と童謡にあったように喜んでいる人はまずいないでしょうね。 

 ちょっと昔のことを思い返してみましたが、お正月前…つまり12月のこの時分に お正月が迫っていることに対して どのように思っていたのか?と考えてみました。  え! お前よくそんなこと考えるなぁ・・

と呆れているでしょう諸兄の皆様方  稚雑なわたくしをお嗤い下さい。 確かに自身の過去を振り返ることについては やぶさかでじゃない皆様方でも、この内容でわざわざ時間を割いて戻ろうとしているわたくしに

一体 どんな効果があるのかと 思われているでしょうし、所詮はこのブログのなけなしの記事に使うためだとわかったら ほんに この男は あほじゃないかと、改めて確信されたのじゃないでしょうか。

 まぁ 開き直るつもりはありませんが、この様な 拙(つたな)い ブログを手にされた 報(むく)い…し 失礼!つい楽屋話が出てしまいました^^

 ・・・とりあえずは しばらく お付き合いのほどよろしくお願い致します。

 さて冒頭のお正月が待ち遠しい…頃 私ですと小学生まで遡らなきゃあなりません。 あといくつ寝たら…と具体的な期待感にワクワクしているようでも 実はその高揚感みたいなものがあった記憶が思い出せません。

じゃあなんで小学生なんじゃ?と問われると言葉に詰ってしまいます。 でもたぶん たぶんですよ…幼稚園児では お正月の楽しみなんかが いまいちわかってないように思いますし中学生ですと もう生意気盛りでしょ…

 果たして親に素直な嬉しい気持ちを打ち明けられるのか… このころは子供から脱却しようと背伸びをしている時期ですから…とするとやっぱり小学生が妥当なところかと 思いますね^^

それで 私の小学生の時代… 例によって昭和のノスタルジーの話になってしまいます^^

 では、改めて昭和40年代に戻ってみて 現代とどれくらい違うのか と比較をしてみましょう…  

まずお金の価値が一番に浮かびますが  正しく比べるのチト難しいといいますにのが、この時代は高度経済成長の真っ只中。五千円の給料が翌年には八千円になりその次の年は一万円・・2割3割のアップは

 当たり前 の時代でしたから、単純な比較ができないのですね。それでも 今の給料は当時の20倍…くらいか う~ん…これはやっぱり 保留にしておきましょう・・

そして今と格段の違いなのが通信手段でしょうか。現代は言わずと知れた 電波?目に見えない光だとかよくわかりませんが、日本国内はもとより世界中にあっという間に伝わってしまいます。

 昭和40年代、電話はあったようですが一般の家庭までは普及しておらず、遠方への通信方法は主に電報かはがき(速達と普通) 電報は 今では結婚式の会場に届けられ披露されるので少しは知られていますが速度は

どうだったかと言いますと、送付元が電話局に 行って(電話があれば掛けるのですが…)〇〇さん宅に こういう内容を電報で知らせてください…と依頼します。電話局は ハイわかりました。と内容を聞いて

相手の最寄りの電話局を調べて電報を送ります。電報とは 打電と言いましてモールス信号の一種でして、言葉を信号に換えて信号を送り 受けた局はそれを文章に戻していたようで、一字が幾らになっていましたから

短絡した文章を使っていましたし電報は今ほど 気安く使うことはなかったので 電報の代表的なのは、チチキトキクスグカエレ、だとかサクラサク(合格した)などがありました。

 それで 電報の速度ですが、電報を受けた相手方の最寄りの電話局はその電報を持って相手方の家まで配達をしました・・・とここまで説明をすれば大体どれくらいの時間が掛ったかお分かりでしょうね^^

ほかにもありますが 今朝はここまで・・・^^

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