おはようございます。
今朝も最近凝っている俳句の話題です。
あかあかと 日はつれなくも 秋の風 松尾芭蕉
う~ん 読んでみて解ったような わからんような‥俳句ですが
最後の秋の風 で秋の句かな と分かりますが 前がよくわかりません。
解説を見ますと、残暑厳しい中太陽は変わらず照り続けている、それでもさすがに秋の風が吹いてきて
いる‥もう秋なのかなぁ‥これはその場の松尾芭蕉になった気持ちでの解釈です。
それを聞くと なるほどそうなのか‥と分かりましたが、何せ周りの風景と心情と季節をミキサー
してあれこれ言いたいのをギュッと 5・7・5に縮め余計なところを切っ払ってるので
かなり想像力を湧き立たせないと分からないのは当然かと思います。
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かされぬる 藤原 敏行
これは古今和歌集に載っている和歌です。
残暑厳しい中にも早くも秋風の音を聞いて驚く 旅愁の情を詠んだ歌だそうです。
因みに 5・7・5・7・7 31文字を明治以前は 和歌 以降は短歌と呼び名を区別しています。
さて俳句の研究をされている方が 芭蕉の句を見て これは 古今和歌の上記の和歌を下敷きにしている。
と指摘されています。
古今和歌集は平安時代初期に編纂されました。この後に出された新古今和歌集など
は有名な和歌集で和歌、俳句を職業としている俳諧師は教科書としてみな諳(そら)んじるくらいだったでしょう。
それで この二つの作品、芭蕉の方は俳句ですし、教科書は和歌。手本にしたのでは‥
と言われて何度も読んで比べてみますが、似ているようでも非なり。
晩夏の残暑厳しい折りの一風に秋を思える、現代にも通じるのではと思って紹介しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます