静岡市内では1970年代初頭から退院して社会生活が送れるような支援が試みられていました。今のグループホームの基礎になる活動で、共同住居活動というものです。当時、全国で数か所の取り組みでしたが、市内でも保健所の相談員、病院のソーシャルワーカー等が集まり、それを生みだしました。
私が関わったのは保健所に異動してからで、活動が軌道に乗って複数の住居活動を始める時期でした。借家で4人ほどが共同で暮らすのを支援者が支援するという活動です。長期に入院していた人たちにとって、自力で暮らすことは大変です。どんな支援が必要なのか、日々発見でした。活動が始まった当初は、包丁を持って調理することは大丈夫なのかということまで心配されていました。支援者が毎日交代で泊まり込み、支援する形でした。その内に利用者の力が見直されるようになり、支援のポイントがわかるようになって、泊まりこみでの支援から、日々夕方に支援に入る方向に移行しました。
私が関わる頃には市独自の補助金が出るようになり、世話人を配置して、支援者は週2回程度の訪問活動という体制になっていました。また、支援者と世話人が月に1回は集まり、支援内容等について話し合う場がありました。そのような支援の情報を共有することが、より効果的な支援に結びついていきました。
支援の中では様々なエピソードが生まれ、在宅支援の方法がその都度蓄積されるという状況でした。この活動から、生活障害といわれる、精神障害者がかかえる障害の一部を理解していくことができました。また、利用者が次の利用者を誘ってくるという利用者自身の持っている力も発見できました。共同住居活動は厚生労働省からも注目されるものとなり、後に制度化されたグループホームの支援の原型になっていきました。
私にとっては、長年の活動で延べ数百人の支援に関わり、精神障害者が抱える生活上の困難を学ぶことができる場でもありました。
可睡ゆりの園にて
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