今日は、サポーターズクラブのメンバーのお葬式に行ってきた。スペインの葬式に出たのは今回が初めて。先週の金曜日に亡くなって、木曜日にはお葬式というのは、この時期、とても迅速だと思った。2年前の1月3日に義父がイギリスで亡くなったときには、葬式まで1ヶ月近く待ったのとは比べ物にならない早さだ。
サンペドロの葬儀場に式開始15分前に到着すると、静まり返っている。不思議に思って、友人に電話をしてみると、なんと隣町の葬儀場だということだった。幸い、隣町までは、車で2~3分ほど。ガソリンスタンドで道を聞き、居合わせた親切な人の先導で、なんとか時間前に葬儀場にたどり着いた。これが、普通の建物で、地味な案内標識がなければ、葬儀場と気がつかないところだった。
参列者は、普段着の人が多く、われわれも遺族のリクエストで、アーセナルのユニフォームを来て参列した。ちょっと不思議な葬式だが、友人の話によると、夏の葬式では、Tシャツにショーツの人もいたそうだ。
故人がイギリス人だったことから、式はすべて英語で執り行われた。司会者(服装からすると、牧師さんではないようだ)は、故人の名前を間違えたり、手順を誤ったりして、素人っぽい。しかも、間違いを隠さないところが、ますますプロっぽくない。故人の義理の息子に当たる人のスピーチは、これまで知らなかった故人の一生を紹介して、とても興味深かった。友人代表のマイケル・ジャクソン(当然、名前にまつわるジョークが飛び出した)のスピーチも、故人に対する友情がしのばれ、ユーモアのあふれるものだった。2曲ほど賛美歌合唱があった。
棺は閉じられていて、故人の顔を見ることはできなかったが、そうでない場合もあるらしい。友人によると、彼の行ったスペインの葬式では、開かれた棺の中の故人にキスをする人もあったそうだ。
これで式はお開きということになった。なんだか、あっけない葬式だった。奥のドアが開いて、棺がそちらに運び込まれるのかと予想していたのだが、たぶん、この葬儀場は火葬場が併設されていないためだろう。棺はそのまま、そこに置かれていて、参列者は外に出ることになった。棺を見送るということがないのは、なんとなくきちんとお別れをした気分にならない。
その後、参列者はまちまちに地元のプラヤフラメンカのバーに向った。軽食が出され、みんなで故人に乾杯をした後、わたしたちは遺族に挨拶をして、家に戻った。
サンペドロの葬儀場に式開始15分前に到着すると、静まり返っている。不思議に思って、友人に電話をしてみると、なんと隣町の葬儀場だということだった。幸い、隣町までは、車で2~3分ほど。ガソリンスタンドで道を聞き、居合わせた親切な人の先導で、なんとか時間前に葬儀場にたどり着いた。これが、普通の建物で、地味な案内標識がなければ、葬儀場と気がつかないところだった。
参列者は、普段着の人が多く、われわれも遺族のリクエストで、アーセナルのユニフォームを来て参列した。ちょっと不思議な葬式だが、友人の話によると、夏の葬式では、Tシャツにショーツの人もいたそうだ。
故人がイギリス人だったことから、式はすべて英語で執り行われた。司会者(服装からすると、牧師さんではないようだ)は、故人の名前を間違えたり、手順を誤ったりして、素人っぽい。しかも、間違いを隠さないところが、ますますプロっぽくない。故人の義理の息子に当たる人のスピーチは、これまで知らなかった故人の一生を紹介して、とても興味深かった。友人代表のマイケル・ジャクソン(当然、名前にまつわるジョークが飛び出した)のスピーチも、故人に対する友情がしのばれ、ユーモアのあふれるものだった。2曲ほど賛美歌合唱があった。
棺は閉じられていて、故人の顔を見ることはできなかったが、そうでない場合もあるらしい。友人によると、彼の行ったスペインの葬式では、開かれた棺の中の故人にキスをする人もあったそうだ。
これで式はお開きということになった。なんだか、あっけない葬式だった。奥のドアが開いて、棺がそちらに運び込まれるのかと予想していたのだが、たぶん、この葬儀場は火葬場が併設されていないためだろう。棺はそのまま、そこに置かれていて、参列者は外に出ることになった。棺を見送るということがないのは、なんとなくきちんとお別れをした気分にならない。
その後、参列者はまちまちに地元のプラヤフラメンカのバーに向った。軽食が出され、みんなで故人に乾杯をした後、わたしたちは遺族に挨拶をして、家に戻った。
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