娘はまだ10歳で、私もいつまでもちゃんとした大人になりきれないのだが
子供は親にとってはいつまでも子供であり続けるものだろうと思う。
親とくに母親というものは、子供がどんなに大きく強くなろうと、
凶悪犯になろうと最後まで庇護してくれる唯一の存在
というぐらいの認識のされ方をしてしまう。
母親とは
全く油断して問題なく、子供の交際範囲が広がり出すと、
どれあい(関西弁の古語)表現される愛情は、
興味を持たれることも所有の権利義務感も
とても身近で希薄な空気のように扱われていく人。
それでも自由や肉体を使って生んだ己の存在の原点の人。
父親の存在は原点でも到達でもない、
通過点の存在というと失礼になるだろうか?
多くの人が「東京タワー」を見て母の柔弱な存在に涙した事と思う。
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スケールの大きなワクワクドキドキするファンタジーでもない。
誰もが知っていながら気が付いてもいない、
普段の日常にある「小の偉大さ」を知らせるのも
一流の映画というのではないだろうか。
「東京タワー」は懐かしさとそういう新鮮さが見事に溶け合い、
何も無駄や邪魔のない深みのある名作でした。
親の偉さを了解したところで(ごり押し)主題は子供の偉さです。
子供って凄く偉いんです。
親より先に行きます、先を生きます。
親の先輩なのです。
その解説をある人から受けた時、
私は子供から教わることが多いのを待ち望むようになった。
「偉大な親」の逆説なのですが、良ければ子供の偉さを考えて見てくださいね。
(誰に言ってるのか?)
ここから都合により次回へ引き伸ばし~
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