質問は言葉でなされ、言葉で返される。
我々はある言葉を別の言葉で、しかも、しばしば知らない言葉に取り換える。
あらゆるものは何かの類似で繋がっている。
経験から引き出される関係は常に片輪で不完全である。
だが、何処かの端で比較が結び合わされる。
品物は店頭に陳列さえされれば半分は売れたも同然で、
そんなものより、何処かの正しい人が闇の中から拾い上げて
そのもの自体の美しさ故に明るみにさせる行為は
賢明で優雅であろう。
自然の混合は実に巧みで、
もしも我々の顔が似ていないなら、
人間と動物を区別することが出来ないだろう。
もしも違っていなければ、
人間と人間を区別することも出来ないだろう。
注意を引き、注意を裏切るのが差異の追求で、
思い掛けない信号を出すことは
期待に背く恥であったり、人間的喜びの一つにもなる。
Utada Hikaru「Beautiful World」 Directed by Tsurumaki Kazuya
建築は石の衣服とも言うべきで、
ダンスは体を対象とする素材で
人間はその中間項に近く、人間から切り離せる衣装は孤独な芸術で
交換や一致のない孤独であることは野蛮であり、
それ自体が見世物としての道を辿る。
機械に求められるのは使用頻度や頑丈なもの、信用性と合理的な動き。
機械に求められないものは調子はずれの勇気や臆病さ、
勝手に休んだり、自力で全体を何とかしようとしたり、
余計な、立場を弁えない個性を発揮すること。
人間は機械を従わせ、第二の自然でもあるかのようにする。
機械の存在が大きく成れば人間の行動や形までも従わされるようになる。
機械の中に自然があるわけではない、仮説として。
科学の進歩に断言は出来ない。