何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

永遠の微笑み

2020-04-19 10:56:43 | 詩はあいまいな哲学
怒りほど判断の正確をかき乱す感情はない。
怒りが静まって冷静になってみると物事は確かに別に見えるものだ。
カッとしたときに命ずるのは激情であり、喋るのも激情であって、我々自身ではない。

どうして怒りに駆られて子供を鞭打つことを禁じないのだろうか。
打たれた子供が気絶したり、びっこになった手足は国家のものではないみたいである。
怒りは独りよがりの思い上がった感情である。
間違った原因に心を乱されている時は真理や無実にさえ怒ることがある。

感情は発散させ吐き出せば弱まる。
押し殺せば内攻する。
その切り裂きを自身に向けるよりは外に働かせれば。
自分を大切にすることとは自分自身の内部を充実させることだ。

アリストテレスは「怒りは時に武勇の武器として役に立つ」確かにそうであるが、
怒りは正しい使い方をしなければならない武器だ。
なぜなら他の武器は我々が動かすのだが、この武器は我々を動かすからだ。
それが我々を掴むのであって、我々がそれを掴むのではないからだ。  


それは幸福感ではなく、不幸感でも判定できない。
形式的に実在していないものは所有の対象とならない。
「人生を有意義にする武器」は認め合えた精神としての笑いなのかもしれない。


悲しいときはいつも - 松田博幸 ~特攻隊~
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神の収穫~心の富~

2020-04-15 17:50:12 | 詩はあいまいな哲学
ホメロスの主人公は無邪気にこういう
「僕は、自分の手足の中に僕を前進させる一人の神を感ずる」
子供が何かを獲得するのに祈りという方法しか知らぬところを見れば一番最初のものだといえる。

本能は、精神の最初の対象(もの)だ。
注意力はいつも欲望に支えられている。
海が船を支えるように、人間の探求を支え、およそ人間に一番大事なものだ。
次々と水面が揺れ波の交差の知覚に辿り着く。
優れた精神にも落下は悪夢と映った。
だが二つの運動が時々ある場所の水を動かなくさせる。
この静止した水の重力が外部に架設されたものではなく骨格自体である。
孤独と同化して自然であった少年。
若さの罪とは自然と理性が混ざり合い自分を隠そうとしないことだ。

男の真価は衣服や装飾に依らない、あやまたぬ死によって富も噴出するものかは。
青春と愛は我が道を行くので日常生活とは似ても似つかない。

この二種の原因には主体と客体、
あるいはお望みなら精神と物資とのような区別がある。

生活は既製品ではない。
軽率な連中は宛てがいぶちの既製品を現実とか生活だと名付ける。
病気にまつわる最初の観念は機械的なもので、
整えられた世界では害とならず、余計な物と思わせぬ芝居に見えてこなければならない。

無情な観察者は、動物機械に過ぎぬが者を物自体に投げ返す必要がある。

これが真の知識の真の自由の鍵だ。
雄々しく有効な物理学上唯一の源泉であるこの強い考えをもって
法則の原因というものをはっきりさせておかねばならぬ。

悪魔は自分の収穫が多いことを喜んだ。
神の収穫は僅かであったが「人間はなんて美しいんだ」といった。
「人間が美しいだって?」悪魔はわからなかった。

私も今だよくわかってない・・・。
タイにもデッカイ鳥居があるし、土着の神様も武士道?もある。
仏教より古い伝道のものかもよく知らない。
がそのうち心の繋がりを見つけて応えれたらいいなと書いてみた。

2019-10-29 14:50:07の記事の再編


แดงกับเขียว - TaitosmitH |Official MV|
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隠れた正義

2020-04-07 18:53:39 | 詩はあいまいな哲学
[Official MV] Honey, I Hate You -XIS X-ing



「従うことは軽蔑するための理由だ」

身体がその本性から生まれた存在を保持しようとし
魂も本性を等しく理解するため
働く場所は健康を遥かに越えた幸福。

身体のことだけが
魂の働きではない。

魂は出来事しか知らない身体より有能であり
魂の知解によって説明されてリアルに幸せを求める。

魂からの営為は悲しみや嫌悪ではなく、
それはいつも喜びの源泉で全存在を変える欲望である。

軽蔑も怒りも又想いの強さであり、
人間にある卑屈な本性の隷属性を道連れにする。

怒りや恐怖に囚われて行うことを
理性的人間は盲目的な大胆さに駆られ
社会の平和を愛することに行うだろう。

理性は自らを罰しても未来の時間をも形作る。
想定できる自由が身体より遥かに多いからである。

全ての人間は情熱に溺れる。
暴君が欲するのは不正な所有ではなく
人々の承知を求める所有権である
あらゆる情熱は不正であり
正義のための怒りを隠しておくのに
自由な精神を持つものを味方にしたいと努める。


2014-12-10 09:12:26を再編集

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全体

2020-04-01 11:42:16 | 詩はあいまいな哲学
     科学の発展に貢献するのは人間に関する知識である。
     なので中々進歩しない。ルソー

人間を理解するには積極的に働きかける行為にどう関わるか試してみること。
イメージ通りに事が運ばなかったりすると、
それは人を知っていることでなく単に「記憶」されていただけのこと。
採用するかしないかの二者択一は性格(欲望)が決めている。
人間の行動には理由がない。
理由を必要とするのはそれだけやましいことだからである。

自然状態の人(未開人)はごくわずかな情念にしか支配されず、
自分ひとりで用がたせたので、この状態に固有の感情と知識しかもっていなかった。
彼は自分の真の欲望だけを感じ、見て利益があると思うものしか眺めなかった。
そして彼の知性はその虚栄心と同じように進歩しなかった。

人間が多くの選択肢から採用を決めているのは
生まれてから次第に形成されてきた価値観である。

ルソーは「自然の最初の衝動はつねに正しい」という前提を立てた。
子の自発性を重視し、関係性よりも
子の内発性を社会から守ることに主眼を置いた教育論を展開している。
初期の教育について、「徳や真理を教えること」ではなく、
「心を悪徳から、精神を誤謬から保護すること」を目的とした。

露出狂だったり、自分の5人の子供を孤児院に入れたり
哀れみと楽観に向き合っていた模様。
理性的とは全く言い難く、重度の被害妄想となり自分を苦しませたり、
周囲を困らせたりも。

しかし後にあの生真面目なカントが
何時もの散歩を忘れるぐらいルソーのエミールを読みふけってしまい
「わたしの誤りをルソーが訂正してくれた。
目をくらます優越感は消え失せ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ。」
いうのだから変態の「私」は世界全体を変える…。


     全体とは一個人の広大された影である。エマーソン

何を買うのかより、どのようにそれを選ぶのかが重要。
それをどの程度理解しているのか、
自分の限界を誠実に認めているのかを検討する必要がある。

マイクロホンは極端な例である。
注意深くマイクロホンを取り付けたエンジニアはそれに向かって話せば
音が即座に増幅され、正確に確認されることを信頼している。
しかし「本質は多様性を有している」が、魅力的であることとかけ離れている。
投資家のグレアムは「分析は芸術であるべき」という伝統を批判した。

グレアムは人格の定義を合理性の類義語のように扱っていたが、
市場のアノマリー(合理的に説明できない一定の法則)は
それまでに蓄積された崩壊を原則としており、
将来において成果を得る妨げとなるので精密な数式で扱ったところ
それは粗末な道具でしかないと警告している。「人が歩くのを助ける杖のようなもの」と。
「合理性」とは必ず結果が良い方に運んだ時に使われる性質であり、
結果が予定道りにいかず悪い目に使われる合理性はない。

医師の完全な仕事の対応とは、熱心で、我慢強く責任感のある病室での労働の対応であって、
図書館での知的学習ではない。
地味でありふれた実務であり、
経験に打ち出された判断によって秩序だった活用の選択を可能にする。

医学と証券分析のいずれも科学と芸術の入り混じった性質を帯びている。
双方とも予測不能な未知に強く影響され
「無意識に無知を隠しつつ、知識をひけらかす」ようなことが見られるであろう。
それは彼の仕事の一部であり、
それは顧客が健康を害したとき、投資に失敗した時のみ相談を受け
資源を効果的に最大限に活用する支援するであろう。

それには並外れた感情の規律が要求される。
最終的に勝利するのは「常に一喜一憂しているような他の人達とは違っていなければならない」

     発想の冷たさは力量の弱さである。みこ

เขียนไว้ข้างเตียง - PARADOX「Official MV」


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